ライン

ドイツ日記 (第1部)

ナイジェル・ケネディ/ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラとのドイツ演奏旅行記です。
(2003年9月27日ー10月21日)


9月27日

今晩、ロンドンからベルリンに着いた。
一番遅い時間の飛行機を希望しておいたので、
テーゲル空港に着いたのは既に夜11時。
空港までケネディのドライヴァーがベンツで迎えに来てくれる。

ホテルはケンピンスキー。
ガイドブックによると、ベルリンでも第一の格式を誇るホテルだそうだ。
古くて大層なばかりで、あまり感激もしないが、
部屋はスイートを取って貰ったので、まあ不満ではない・・・


ラウンジでケネディのマネージャーと少し打ち合わせして、部屋に引上げる。
明日は朝9時から夕方4時までフィルハーモニアでリハーサルである。



9月28日

朝9時からリハーサルである。
・・・車が朝8時15分に迎えに来るが、寝坊して少し遅れた。
勿論、フィルハーモニアでのリハーサルには余裕で間に合ったが。


今日はポツダムマラソンが行なわれ、ベルリンの道路は封鎖が多いそうである。

ケネディとのリハーサルはなかなか面白い。
非常に興味深いアイデアの提示と、逆に全く承服できない様に思える瞬間が
のべつまく無く繰り返される・・・

今回の演目は全てヴィヴァルディの協奏曲。
昨年ケネディがベルリンフィルと共演して録音したCD/DVDのリリース記念ツアーである。
勿論、僕もテオルボとバロックギターで参加している。

ベルリンフィルは、大変、高性能のオケだが、使用している楽器もなかなか凄い。
そのほとんどがオールドの名器に見える。
僕もクジノーのオリジナル5コースギターを持ってくれば良かったかな・・・
などと思う。
結局、午後4時半まで延長して、くたくたに疲れてようやく終了。
それにしても英国では考えられないリハーサルのやり方である。
やっぱお金があるんだねー

ホテルに戻って、持参したラップトップをインターネットに接続しようとするが、
どうしてもうまく行かない・・・
ドイツのホテルのインターネット接続の悪さは良く聞く。
昨年のベルリンフィルとのツアー時には、何の問題も無かったのだが・・・

ケンピンスキーホテルは長い伝統を持っているだけあって、
電話のラインの形式が古いのだろう。
フロントにインターネットに接続する旨伝えると、エンジニアが分配器を持って現われる。
それを介して接続を試みるが、百回やっても不可能である・・・
もはや仕様がない、明日フィルハーモニアで試してみよう。



9月29日


今日は朝10時から夕方5時までリハーサルである。

なかなか大変である・・・
特にケネディとの仕事の場合、顕著なのだが、
本番に使える楽譜を作成するまでが大変なのである。

通常の通奏低音と違って、
彼は通奏低音パートが書かれていない部分にもバッキングを要求する場合が多い。
そのためスコアは必須なのだが、本番にスコアで臨むことは譜めくりが多すぎて出来ない。
従って、パート譜とスコアを切り貼りして自分だけのエデションを作ることになる。
楽譜が出来た時が、やっと思うように弾ける時なのである・・・ふう。

フィルハーモニアでは、忙しすぎてインターネットの接続は出来なかった。
ホテルに戻ってLANカードを借りて試してみようとするが、
残念ながらLANカードの使用には、ドライヴをインストール必要があることに気づき断念。
残念ながらCDロムドライブは持ってきていない。

ホテルにもコンピュータルームはあるが、使用料はなかなか高額で、15分7ユーロ!
1時間使うと約4000円!ううむちょっと高くないかー!
と、思って散歩に出てインターネットカフェを首尾良く見つける。
ここは1時間1.80ユーロ(200円ちょっと)・・・ふう、と一息ついてベーグルを齧りながら
メイルのチェックをする。・・・どうやら日本語は読めるが書けないようである。
残念だが仕方がない。
自分のホームページの更新や掲示板への書きこみは少し先になりそうである。

テレフォンカードも買うが、いわゆる一般的なヤツ(通話料が高い)しか見当たらないし、
ドイツ人スタッフに聞いてもそれしか知らないという。
イギリスで良く見かける安価な国際電話カード(スイフトとかバナナとか・・・)はないのかな?

ともあれ、
明日はオフだ! 何をしようかな?
楽器博物館とドイツ歴史博物館、
それから森鴎外(ごめんなさい、正しい字が出ません)
記念館にでも行ってみよう・・・

ふああぁ、今日はもう眠い・・・



9月30日

今日はオフだ!
ゆっくりと寝坊をする。
10時半に朝食を摂ってから、ぶらぶらと出かける。
地図で、森鴎外記念館と楽器博物館が同じ方向であることを確認して、
運動がてら歩いていく。
旧東側にある記念館まではホテルから4キロほどだろうか。
ベルリンの街は美しいので、歩いていて気持ちが良い。
記念館につくと、建物が工事中で一瞬アセル・・・


しかし工事は外装だけであるらしく、
問題無く内部を見学することは出来た。
鴎外がベルリン時代に最初に下宿した部屋が保存されている。

その後、フィルハーモニアにある楽器博物館に向かう。

途中、ブランデンブルグ門の前を通る。
バッハのコンチェルトの旋律を頭の中で鳴らしながら歩いたが、
門の前には大きなサッカーボールがある・・・


なんでも2006年にはベルリンでワールドカップがあるそうで・・・
・・・世も末である・・・

気を取り直して楽器博物館に向かう。
ここは実はもう何度も訪れているので、今更珍しいものもないのだが、
今回は特に、1801年のラベルを持つドイツのギターを詳細に検分する。
全体のスタイルやプロポーションは、5コースギターの面影を色濃く残しているのだが、
どうやら最初から6単弦用に作られている興味深い楽器である。


ホテルの方向に向かい、、インターネットカフェに寄ってから部屋に戻るともう7時だ!
バスを使って、ゆっくりと寝むことにする。

明日はロストックでコンサートである。
フィルハーモニアからベルリンフィル御一行様のバスが14時に出発する・・・



10月1日

予定通りにベルリンをバスで出発。
ロストックまで約3時間の行程である。
バスの中で、ウォルフガングというヴィオラ奏者といろいろ話す。
何でもマクロバイオティックに興味を持っているそうである。
これまでにあまり興味はなかったが、なかなか面白く思った。
今度僕も本を読んでみよう。
また、彼の楽器は日本人製作家の作品だそうだ。
リハの時に見せてもらったが、ヴィオラ・ダ・モーレのような形の胴体を持つ、
音も形も大変美しい楽器であった。
(ベルリンフィルになると、流石にヴィオラ奏者もものすごくうまい)

ホールについて、軽くサウンドチェックしてから、夕食。
ベルリンフィルとの共演のたびに思うのだが、
彼らの夕食は豪勢である。
ビュッフェ形式だが、ちょっとしたコース料理くらいの品目は並ぶ。
イギリスで仕事をしていると、夕食は自前のことが多く、
供される場合でも、せいぜいサンドイッチ程度なのが多いのと比べると、
全く嬉しい次第だ・・・
(といってもあまり食べないんですけどね・・・)

ロストックのホールでの演奏が終わったのは11時。
今回も、聴衆大熱狂のコンサートであった。

帰りはバスの中で寝て、ホテルに着いたのは午前2時。
ふう、明日はベルリンのポツダム広場での演奏である。
ある種の記念式典の一環らしい・・・



10月2日


今日はポツダム広場で演奏した。
なんでも、この界隈はベルリンの壁があった箇所らしく、
この地区の完成5周年記念の式典だそうである。

ケネディが二つのバンドと共演するプログラム。
まずベルリンフィルとヴィヴァルディを演奏し、次にはポーランドのバンドとポーランドの民族音楽に材を得たジャズを共演し、
最後は全員参加でジミヘンのジャムセッションを繰り広げると言う、
変化に富んだ、或いはハチャメチャなコンサートだった。

ポツダム広場にしつらえられた特設会場では、
演奏に先だって、20世紀のベルリンの歴史の映像が上映された。
特に壁が壊されて後、その地区が発展していく様子は大変興味深く見た。

今日は、ベルリンの旧東側の人たちにとっては、
大変感慨深い日なのだなーとしみじみ感じ入った。

演奏終了後に、ケネディの楽屋部屋でのパーティに誘われるが、
ホテルに戻ってバスを使って寝ることにする。
オケの人達も皆早々に自宅に戻っているようだ。
ただ一人の例外は、ポーランド人チェンバロ奏者のボグミラおばさんで、
彼女は練習にはあまり熱心ではないが、パーティには必ず参加している。
彼女とは昨年のレコーディングの際に知り合い、懇意にしている。
彼女は英語をほとんど喋らず、勿論僕はポーランド語はほとんど知らない。
そこで我々の間では、
ドイツ語、ポーランド語、フランス語、英語大チャンポンの
無国籍言語が成立しようとしている・・・

明日は、朝9時過ぎにホテルを出発して、デュッセルドルフに飛行機で飛ぶ。
早起きして荷作りを済ませて、カフェでメイルチェックをして行こう。

デュッセルのホテルでは繋がることを祈るが・・・

ケネディのマネージャーの話では、
ドイツでは、(日本やヨーロッパで)一般的に使われているものとは
多少違った形式の電話トーン音が用いられているらしい。
「ハイテックな国のロウテクノロジー」だそうである・・・



10月3日

朝6時過ぎに起きて、荷作りをする。
朝食を摂って、軽く散歩にでる。
カフェでメイル・チェックしてからホテルに戻り、車で空港へ向かう。

ベルリンからデュッセルまでは100分ほどの飛行、
飛行場からホテルまでは30分くらいである。

ホテルはコートヤード。
そう大きくはないが、気持ちの良い新しいホテルである。
午後2時前に着いて、6時半までは自由時間。
ここなら、PC接続も問題ないだろうと目論む。

・・・・だが、ああ、しかし、やはり繋がらないのだ・・・
昨夜、スティ−ヴ(ケネディのツアーマネージャー)が
「ドイツでインターネット接続をやりだすと、時間がいくらあっても足りない・・・
(だから俺はもうしない)」
と言っていたのが分かってきた・・・要するに深追いしても結局は駄目なのだろう。

気分転換に散歩でもしようとするが、
生憎の雨、ライン側沿いのホテルの窓から市を見ると、見事に時雨れている。


演奏会場のTonhalleはとても良い感じのところであった。
演奏していても、なかなか気持ちが良い。
・・・しかし、このホール、弾くと聞くとでは大違いで、
聴衆に聞こえる音響はそれほど良くないそうである・・・

ケネディの演奏はいつもにも増して熱の入ったもので、
8時に始まったコンサートが終了したのは11時過ぎであった。

終演後に、コンサートマスターのバスチァンからお褒めの言葉を頂く。

・・・ここで少しだけ正直な気持ちを書く。

ベルリンフィルは、確かにものすごくレベルの高いオーケストラである。
奏者一人一人はソリスト級の腕前だし、経験も豊かである。
そして、自分たちの固有の音色を持っている。
あのカラヤンやマゼールが大指揮者たりえたのも、
このオーケストラ無くしては考えられないであろう。
ナイジェル・ケネディのようなエキセントリックなソリストにも、
見事に伍する力もある。

その演奏たるや、まるで良く訓練されたオリンピック選手チームのプレイを見ているだ。
それでいて、一人一人の個性には全く欠けていない。
要するに、ものすごくきっちりとした素晴らしいオーケストラなのだ。

・・・だがしかし(だからこそというべきか)、
彼らの脳裏には「オーセンティックな古楽演奏」という考えは微塵も無いように見える。
英国でモダンオーケストラと共演する場合、グラインドボーンやロンドンフィルでも、
何人かは古楽器を演奏する人が居るのだが、
ベルリンフィルでそのような奏者とは会った事がない。
中には、僕の弾いている楽器(大型リュートであるテオルボ)を、
今まで見たことも聞いたこともないという人も居た。
ベルリンフィルの本拠地であるフィルハーモニアの楽器博物館には、
素晴らしいオリジナルが保存されているというのに・・・

要するに、古楽器やピリオド演奏には興味がないのである。

しかし、彼らと共演していると、彼らの音楽性とテクニックは、
非常に優れていることに気づかされる。
正直言って大抵の古楽器奏者よりも大きな表現力を持っているだろう。
音色も非常に美しくチューニングもぴったり合っている。
(彼らの奏する空虚5度からは、はっきりと純正長3度が聴き取れる)

ナイジェル・ケネディにしてもそうで、色物めいて考えられることも多いのだが、
例えば僕は、ヴィヴァルディの緩徐楽章において、
またバッハの無伴奏ソナタのラルゴにおいて、
彼ほど、純粋に美しい演奏をする人は知らない。
彼の今回の使用楽器はグァルネリ・デル・ジェスで、
勿論モダン仕様だが、あれほど美しい音色をヴァイオリンから聞いたのは
生まれて初めてである・・・

しかし・・・
このことは、また考えることにしよう。
いずれにしても、これからの数ヶ月はケネディ/ベルリンフィルと行動を共にするのだ。



10月4日

ブレーメンに来ている。
まさにブレーメンの音楽隊ですな・・・

お昼にデュッセルドルフを列車で出発。
途中どこかの駅でテロの予告があったとかで、多少遅れるが、
無事にブレーメン駅に到着。

電車は一等車両で快適に旅をした。
電車の中で、ソリストとコンサートマスターを兼ねるダニエル氏と話す。
彼の楽器はピエトロ・ガルネリ、1747年だそうだ。
ピエトロ・ガルネリはガルネリ・デル・ジェスの兄弟であり、
今回のソリスト二人は兄弟の楽器を弾いているわけですな。

ダニエル氏曰く「やっぱりデル・ジェスはものすごく特別だよ!」と話していた。

ブレーメンでのホテルはヒルトン、大変現代的なホテルだ。
ラウンジを見下ろす部屋で、なかなか快適である。


部屋には、コンピュータのコネクションも完備しており、涙が出そうになる・・・
ああ、これで溜まったEメイルも処理できるし、HPアップもできる!

・・・しかし・・・試してみるとやはり駄目なのだ・・・

こうなってくると、自分のコンピュータに不備があるのではないかと疑う・・・
一体どうなっているのかしらん?
僕はもう疲れた。ブレーメンの音楽家像でも見に行くか・・・


コンサート会場は、市の中央にあるグロッケン・ホール。
超満員の聴衆である。
ものすごく受けている。
・・・ケネディは、昨夜のコンサートが長すぎたことを反省(?)してか、
今晩は話が短い。
僕ら共演者にとっては有り難いが、多少残念な気もする。

ホールで供された夕食の中に
ハヤシライス(ハッシュドビーフ with ライス)があった。

久しぶりのお米なので、思わず沢山食べてしまう。
(僕は通常は夕食に穀物は食べない)
やはり米は良いものである・・・



10月5日

(朝)
朝食を済ませてこれを書いている。
ラウンジでは、ポーランド人ヴィオラ奏者ポロネクおじさんと一緒になった。

彼は、今日、一端ベルリンに戻り、ベルリンフィルの他のプロジェクトである
シューマンのピアノコンチェルトのレコーディングに参加するそうだ。
指揮はサヴァリッシュ、ピアノはポリーニだと言っていた。
流石に120人のメンバーを持つベルリンフィル、
いくつものプロジェクトが並行して行なわれているのですね。

今日はハンブルグに移動する日である。
12時にホテルからバスが出るが、その前にブレーメンの街を少し見学してこよう。




(夜)
ハンブルグの音楽ホールでの演奏からホテルに戻ってきた。
公演は今日も大受けであった。

ハンブルグのホテルは「ドリント」、
大きなまだ新しいホテルである。
なかなか大掛かりな建築で、内装も凝っている。
宿泊料もかなりなものである(らしい)。

が!
ものすごく居心地の悪いホテルである。
部屋のお洒落な(?)照明は目にまぶしく、
大理石のバスルームは冷たく、
ガウンも置いていない。
インターネットその他が可能なマルチテレビの画像は荒く、
インターネット使用料は1分間1ユーロ(120円)!
おいおいちょっと高くないかー!

皆さん、ハンブルグに行ってもDorintには泊まってはいけません!
設計した人間の品性の低さを露呈しているホテルであります。
まあ大した才能もなかったんでしょうけど・・・

ベルリンフィルの話ではないけど、
結局は、人間は夢中で謙虚に努力していて、
知らないうちに一流になっているのがホントだね。
品性や才能に欠ける人間が、
自分の器量にふさわしくない仕事をすることは世の中の迷惑です。
このことに自分で気がつくのも才能の一つなので、
駄目な人はとことん駄目なんですね、これが。

(大きな声では言えないが、
そういう種類の人間は日本の学校の先生に多い。
特に大学の。)

と、怒りつつも、夜も更けてきたので寝ることにする。

明日はオフだ!
オケの皆はベルリンに戻り、明後日にドルトムントに向かうが、
僕は単独行動で、ハノーヴァーの友人宅を訪ねることにしている。
友人は、ユーリッヒ・ヴェダマイヤー、ドイツ人のリュート奏者である。
彼は、昨年、ロンドンで共演して以来の友人である。

彼も素晴らしいギターコレクションを持っている。
大変楽しみである!

・・・でもドイツで一人で電車にのるのは初めてだ・・・大丈夫かな?(とちょっと弱気)



10月6日

今日はいよいよ単独行動だ!
午前中にハンブルグを散歩するが、まあとくに面白い物にはお目にかからない・・・

早々に中央駅に向かい、ハノーヴァー行きの切符を買う。
オケの移動の際と同様にファーストクラスを買うが、
いざホームにて乗りこむ際に、間違って2等車両の前で待っていたことに気づく。

確かにホームには「ファーストクラス車両は先頭です」と
ドイツ語で書かれている(・・・と思われる)が、
こっちにとってはどちらが先頭なのかからして、不明なのである・・・

今更、荷物をもって移動するのもあほらしく、空いている2等車両に席を占める。
ハノーヴァーまでは1時間ちょっと。
駅にはユーリッヒが迎えに来てくれて、再会を喜び合う。

そしてその日は、郊外の彼の自宅で大変楽しい時を過ごした。
彼はとてもとてもとても(X百万回)素敵な奥様と、
ナイスな息子と一匹の二十日ネズミと一緒に暮らしている。

ユーリは、プロフェッショナルな古楽器奏者として、
それほど派手ではないが、大変素晴らしい仕事を行なっている。
ハノーヴァー歌劇場のバロックオペラ公演には必ずのっているし、
ムジカ・アンティカ・ケルンとの仕事も多い。
この春には日本にも演奏旅行をした。

それでいて、とても謙虚な良い人なのである。
ユーモアにも欠けておらず、多いに笑わせてもくれる。
楽器も好きで、素晴らしい古名器ギターと古楽譜のコレクションを所有している。


奥様は、とてもとてもとても(X百万回)可愛らしく、しかも思慮深い方で、
「ユーリとは19歳の時に、ハノーヴァー音大で初めて会ったのよ。
それからもう二十?年もずっと一緒ね」
と話して下さった。

うーむ、人間こうありたいねー・・・
楽しく、正しい人間の生活がここにある!
と、思ったのでありました。

多いに笑って、食べて飲んだ後、
僕は、ドイツで初めての心地良い眠りについたのでありました、グーグー・・・



10月7日

朝、気持ち良く目が醒めて朝食。
学校で教鞭をとる奥様が出かけられた後、
ユーリと僕は、二重奏をしたり、彼の所有する膨大な楽器を試奏したり、
指揮者の悪口を言ったりして、楽しく遊んだ。

同業者で仲良くなるのは、どの世界でも難しいのだが、彼だけは特別である。
午後、ユーリに送ってもらって無事ドルトムント行きの電車に乗る。
ホテルにチェックインして、夜のリハーサルでオケの皆と合流した。

この日の本番ではちょっとしたハプニングがあった・・・
ケネディはマインツのホテルから車でくることになっていたのだが、
渋滞に巻き込まれたとかで、開演時間を過ぎてもケネディは到着しない・・・

結局、30分遅れで公演は始まったのだが、
気のせいか、いつものナイジェルよりは精彩を欠いていたようであった・・・

(まあそれでも聴衆には大受けなんですけどね・・・)

休憩の際に、第1ヴァイオリンのサブリーダーのアッレサンドロと話す。
彼は片言の日本語も喋るなかなかお茶目な人である。

彼の楽器はオケの中でもなかなか光っていたので、
聞いてみると、1742年製のガダニーニ、
イムジチのアーヨが愛用していた楽器だそうである。

発音の明瞭さと、高音の伸びは、
名器ぞろいのベルリンフィルの中でも
特に郡を抜いているように思う。



10月8日

今日はマンハイムに居る。
小さいが伝統のある素敵な街である。

演奏会場はモーツァルトザールであったが、ここも超満員の聴衆。
ケネディは、昨日とは打って変わって快活で、演奏ものびのびしている。

・・・この日は僕がリハーサルに遅れてしまった・・・
7時集合だと聞いていたので、5分前に到着すると、
もう既に白熱のリハーサルの真っ最中である。

そっと入っていくが、ナイジェルに(勿論)見つかり、
「ケネディみたいだ!ギャハハハ」と言われる・・・

後で聞くと、6時半集合だったとのこと・・・
うーむ、オケでは勿論ドイツ語が使われているが、
まだうまく聞き取れない・・・



10月9日

今日はフランクフルトでの演奏。

フランクフルトはマンハイムからも近く、
夕方5時にバスが出るまでは自由時間である。

朝食の後、インターネットカフェに行き、あたりを少し散歩。
あまり天気も良くないので、フリードリヒ広場の給水塔を見て終わりにする。
(ホテルから1分)

・・・こうしてみると、僕はつくづく観光には興味がないのだなーと我ながら思う。
まあそれは、一般の観光では、ものの核心に迫るものなどを見ることは
まあないことを、知っているからなのかもしれません・・・




10月10日

(朝)
今日はいよいよベルリンに戻る日だ。
フランクフルトの空港からベルリンに飛行機で飛ぶ。
今日は演奏はなく、明日の午後にブラウンシュヴェイヒに向かうまではオフである。

朝食の際にヴァイオリンのアッレサンドロと話す。
彼は数年前まで、札幌の音楽祭で講師をしていたそうだ。
招聘オケはベルリンフィルとウィーンフィルだが、
オーケストラ間の問題があって、もう行っていないという。
どこでも政治的な問題が浮上するのは同様なようである。

彼はガダニーニの他に、ニッコロ・アマティも所有しているそうだ。
「とても大きな音で良く鳴るんだよ!」と話してくれた。

そう言えば、昨夜発見したのだが、
コンバスのルドルフの楽器はグランチーノ。
オレンジのワニスが非常に美しい楽器である。
・・・そう言えばかつてのガールフレンドが
グランチーノのヴァイオリンを弾いていたなー・・・
(と、遠い目)

チェロのトップのオルフの楽器はストラディヴァリだそうだ。
ドイツ銀行の所有になるもので、ベルリンフィルに貸与されているのだという。
これも、ものすごく反応の良い、バランスのとれた楽器だと思う。

(昼)
ベルリンに帰ってきた
ホテルはやはりケンピンスキー。
部屋は新館の通常のダブルだが、かえって使いやすそうである。

飛行機の中で、ポーランド人チェンバロ奏者のボゴミラおばさんと話す。
ポーランドのクラコウ在住の彼女も、僕と同じホテルに泊まっている。

ボゴミラは、気は良いのだが、チェンバロはあまり上手くない・・・
コープマンについた人で、現在はクラコウ音楽院の教授。
そこそこテクニックはあるのだが、
鋭い音楽的な耳を持っているようには思えない。
また、演奏スタイル、様式感にもかなりダサいものがある。
やはり、ポーランドなんかだと、
日頃から優秀な演奏家と共演する機会が少ないのではないかな?
良い聴衆にもそれほど恵まれていないのだろう。

そう考えると、僕も日本に帰国することは、当分考えない方が良さそうである。
自分をいかに優れている環境に置くかが、
芸術家の資質の発展と成果を大きく左右することを決して忘れるべきではない。

このボゴミラおばさん、生活上でもなかなかセコイところがある。
朝食の際には、かならずお昼用のサンドイッチを作成しているし、
タクシーをシェアしても、料金を自分から払うことはまずない。
(一時、立て替えてもすぐにケネディのマネージャーが払ってくれるのだが、
彼女はそれすらも嫌がるのである)
自分が音楽的に他の演奏家のレベルに達していないことを知っているのか、
いつもケネディやオケのメンバーの顔色をうかがっている・・・
このようなツアーは、彼女にとって一世一代の晴れ舞台であろうし、
どうにかして、強固なコネクションを確立したいのであろう。

これは、彼女の個人的な資質なのか、
ポーランドという虐げられてきた国のいわば国民性の一部なのか、
僕には分からない・・・しかし、セコイのは良くないね、何事にも。
こういうのを奴隷根性というのである。
誇りと潔さを旨とする我々サムライとは、対極にある考え方である。

昨日のことだが、ベルリンフィルのマネージャーが
声を顰めて
「ボゴミラとは、来年のツアーやレコーディングのことを話さないでください」
と僕に話した。
可哀想に、ボゴミラおばさん、努力の甲斐も無く今回限りでどうやらクビらしい・・・
まあ音楽性から言えば無理もないけど。
(と、ちょっといい気味、同時に気の毒)

(続く・・・)


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