セラスとの出会い−オリジナル楽器から教えられるもの

竹内太郎(古楽器演奏家)


そのギターと巡り会ったのは、数年前、場所はパリのある骨董商の自宅の応接間だった。
とたんに目は釘付けになり、体は火照り、頭の中を様々な思いが駆けめぐった。

・・・当時、僕はバロック時代に製作されたオリジナルのギターを探していた。
ヴァイオリンなど擦弦楽器の世界では、ガルネリやストラディヴァリに代表されるオールドの楽器を使用するのは珍しくもないのだが、
自分の専門とするリュートやバロックギターといった歴史的撥弦楽器では、
現代に製作されたコピー楽器を使用することがほとんどである。
僕もその頃すでに何台かのコピーのバロックギターを所有しており、それらの使い勝手や音色にもまあ満足していた。
しかし、初のソロレコーディングとなる17世紀のギター曲のCD製作プロジェクトが進行中であり、
それにはどうしてもコピーではなくオリジナルの楽器を使いたかったのだ。
17世紀はギター音楽の黄金時代と言え、コルベッタ、マテイス、サンスなどによる良質のレパートリーが数多く残されている。
僕はそれらの発掘と演奏をライフワークとしていたので、コピー楽器に不満はなくとも、
やはり17世紀の「音」に少しでも近づきたかったのである。

現在まで残されているバロック時代のギターは非常に少なく、ほとんどは富裕なコレクターか博物館の所蔵となっている。
・・・何人ものコレクターやディーラーに問い合わせをした結果、
パリの骨董商からのオファーを受け、とるものもとりあえずユーロスターに飛び乗った。
しかし、そこで見せられた二台のギターは、どちらも18世紀中頃にフランスで製作されたもので
、こちらが探している17世紀タイプの楽器とは多少スタイルを異にするものであった。
またコンデションも決して良くはない・・・ややがっかりして、頭を冷やすために歩き回った応接間で、
壁にかけられている別のギターを発見したのである。それまで僕の座っていた位置からは見えなかったのだ!

楽器は背面を向けていた。その特徴のある唐草模様から、一目で17世紀にヴェニスで製作されたギターだと分かった。
黒檀のベース上の象牙の装飾は、17世紀を代表する名工セラスの作に見える
・・・表にも象牙の装飾がびっしり、物凄く高いクラフツマンシップと材料の良さに驚嘆。
こんな楽器を博物館以外で見ることが出来るとは信じられない・・・改修の跡はあるが修復は充分に可能なようだ・・・
この楽器が欲しい!手に入れられるものならば・・・いや、なんとしても!

冷静を装いながら骨董商に聞く。
「これもギターだよね?売り物?」
「いや、これは装飾品だよ、楽器じゃない。売るつもりもないよ」
「・・・絶対に?」
「うーん、考えてみる・・・」
といったやり取りのあと、僕はいったんロンドンに戻り、電話とファックスにて交渉を継続。
数週間後、僕の預金通帳の残高は限りなくゼロに近くなり、ギターはロンドンのフラットに嫁いできた。
イギリスとアメリカの専門家に鑑定に出した結果、やはりヴェニスのセラス工房、1650年代の作と出た。予想通りである。

幸い、イギリス在住の名ルーティエ、サーシャ・バトフ氏が修復を引き受けてくれ、
7ヶ月ばかり後には、ギターは350年前、製作当時の姿となって見事に甦ったのである。

修復後の数ヶ月間、楽器の鳴りはやや硬い感じであったが、
英国南部のウエストディーン城でのリサイタル中に、いきなり伸び伸びと歌いだした。
それはまさに衝撃的で、今でもその時のことをありありと思い出すことが出来る。
ギターが長い眠りからようやく醒めたのか、僕自身が楽器を鳴らすツボに触れたのか、今でもよく分からない。

ともあれ、それ以来このギターは僕の演奏活動になくてはならないものとなった。
弾き心地、音色、発音、音の伸び、サスティーン、アーティキュレイション・・・
あらゆる意味でこれまで弾いた現代のコピー楽器とはレベルが格段に異なり、演奏するごとに新たな発見がある。
演奏時、身体は非常に楽で、他の楽器では出来ないことが可能になる。
バロック的即興のフレーズが泉の様に湧き出てくる。まるでギターの中に音楽の精が住んでおり、
弦に触れることによって彼女が歌いだすかのようだ。

それまでにもバロック音楽が修辞的であることは知識としては持っていたが、
実際に音そのものに具現、また実感できるようになったのはこの楽器を使い始めてからだし、
表面板の象牙の装飾が、音への実用的機能を持っていることも初めて悟った。

 いささか神がかって響くかもしれないが、この楽器の意に染まぬこと・・・
例えばバロック音楽を一般の聴衆に分かりやすく料理しようとして、
必要以上にノリやリズムを強調したり、また流行の「癒し系」的な中身の無い演奏を試みると、
ギターの方で拒否され、たしなめられてしまう。

決して生真面目というのではなく、ユーモアもたっぷりと持ち合わせているのだが、
真に高貴な文化に属する一員として、決して矜持を崩すことなく、
常にわれわれ(楽器にとってはさぞかし浅薄に感じられるであろう)21世紀人の及ばぬ先を平然と歩いている。
そして常に表現的である。

このような楽器が数多く作られ使用された17世紀の音楽は、現在知りえる以上に
−−おそらくその何倍も−−高い文化の所産であったことは全く間違いないように思える。

 これからも、このギターは僕のかけがえのない大先輩/パートナーでありつづけてくれるだろう。
・・・実はこの楽器の後、16−18世紀に製作されたリュートやバロックギターを数台入手してしまった。
それらオリジナル楽器が、この先どんな体験をさせてくれるのかと思うと、
大変楽しみで、また少しオソロシク、夜も眠れない毎日なのである・・・
(ピアノ月刊誌「ショパン」 2004年12月号に掲載)


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