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日記

エッセイ風日記です。
(読み込みに時間がかかる場合があります。少々お待ち下さい)

ポーランド日記
(ナイジェル・
ケネディ/ポーランド室内管弦楽団とのリハーサル日記
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ドイツ日記
(ナイジェル・ケネディ/ベルリンフィルとのドイツ演奏旅行記
:2003年9月27日ー10月21日)はここをクリック

2024年2月

現代ギター誌3月号に載せたルネサンスギター曲

ルートヴィヒ・ゼンフル/竹内太郎編
『僕の可愛いエルゼ』 Ach Elslein, liebes Elselein meine  

ルネサンスギターは16世紀にスペイン、フランス、イギリス、フランドルなど各国で流行した。
ドイツ語圏では幾つかの文献にギターは登場するが作品は残されていない。
下はスティンマーの「ギターを弾くミューズ」(シュトラスブルク、1572年頃)

詩の大意 

ギターが弓奏楽器を模して作られたと考える者は、
その起源を正しく捉えている。

ギターをよく観察する者は
リュートや他の撥弦楽器へのさそいだと気づくだろう。

古の人たちを模して歌を作って歌う者は、
きっとギターを弾くはずだ

今回は、当時流行した恋人を想う歌『僕の可愛いエルゼ』をルネサンスギター用に編曲した。
ギター式五線譜と現代式と同じヴァレンシア式タブ譜。
ウクレレやギターでもそのまま弾ける。


この曲はゼンフル作とされるが元は民謡であった可能性も高い。
大変流行した節でリュート版もいくつか残されている。
↓はノイジードラー版(リュート協会)。原譜はドイツ式タブラチュア。


”Elsline”Elseline”は恋人への呼びかけだが
「エルスライン」「エルゼライン」と訳するのは不正確、「可愛いエルゼちゃん」の意。

歌詞の大意は以下の通り
ああ、僕の可愛いエルゼ、君に会いたい。
でも僕らの間には2本の深い河がある。
君に会えないのはつらい。
でも時間がきっとなんとかしてくれる。
希望は捨てないよ。



2023年12月

現代ギター誌2024年1月号のルネサンスギター作品は
バラッド「愛って何」 オズボーン・ギター手稿譜(イギリス、1560年頃)より

4複弦のルネサンスギターの曲ですが、変更なくギターやウクレレで演奏可能です。
タイトルは16世紀イギリスの詩人サー・トーマス・ワイアットの詩‘Lo, what it is to love!’から。

15節ほどもある長大な詩で、「おお!愛するとはどういうことか!」で始まり、
恋愛の苦しみが語られ、最終節で詩人は不毛な恋のためにこれ以上自分の人生を犠牲にしないことを宣言。
歌詞の一部を以下に載せます。

曲の構造としてはAm―E−Am−E−Am−G−Am−Eのコード進行による変奏曲。
コード進行、3拍子のリズムやドミナントで終止するところなどスペインのファンダンゴにも似ています。

この楽譜が独奏のためか上記の歌詞を持つ歌の伴奏譜なのかは不明ですが、
歌のソロ編曲譜と伴奏譜は当時しばしば区別なく用いられていました。
この時代のギター譜にはコードの弾き方の指示がなく、
通常のpimの他、親指で弾き下ろす、ラスゲアードなども考えらます。

低音はほとんどラかミなので、適宜5弦と6弦の開放弦で弾くとよいでしょう。

演奏動画はここ

下は原譜ファクシミリ。




2023年10月

ルネサンスギター音楽の楽しみ グレゴワール・ブレッサン『ファンタジー』
『ル・ロワのギター曲集第4巻』(パリ、1553年)

現代ギター誌の「ルネサンスギター音楽」連載楽譜、
前回はルネサンス時代の代表的な舞曲をとり上げたが、
今回は舞曲ではないジャンルの代表「ファンタジー」をお届けする。

作曲はパリで活躍した音楽家グレゴワール・ブレッサン。

「ファンタジー」は和声的なもの(多くはアルペジオ)、音階的な走句、
対位法的なものなど様々な書法で書かれる。

トーマス・モーリーは
「ファンタジーは器楽曲のうち最も重要だ。
作曲家はどんな制限もなしに自身の楽想の赴くままに音楽を紡ぐことが出来る」
と言う[1]




ファンタジーには休符や部分の区切りがなく、
取り留めなく音が続くようにも見えがちだが、
分析すると明確な構成とロジックがあり、
それらを意識して演奏することが肝要だ。

この曲の場合はAE5部分に分けることができる。
これまでは現代ギター誌の五線表記においては声部や音価を厳格に書き分けない方針だったが、
今回は対位法的な楽曲なので声部を意識して書いてある。

最もよく見られる対位法的なファンタジーはモテットなど多声声楽曲を器楽で模したのが起源。
今回のファンタジーもそうだ。

冒頭は通模倣で始まり第19小節1拍目で一段落(A)、
次に異なる主題でもう一幕(B)。
Cではソプラノ/アルトの上二声とテナー/ベースの下二声の応答があり
(第29小節2拍目〜32小節1拍目と第32小節2拍目〜第35小節1拍目)、
四声のトゥッティで終止。Dは下降音型による導入を経て四声の和音の大合唱が続き、
Eからは下降するテーマを繰り返しながら収束に向かう。

下は原典ファクシミリ。



ファンタジーの演奏動画

https://www.youtube.com/watch?v=VHrMezgHI2k


[1] Thomas Morley, A Plain and Easy Introduction to Practical Music (London, 1597) p.181. https://imslp.org/wiki/A_Plain_and_Easy_Introduction_to_Practical_Music_(Morley%2C_Thomas).


2023年8月

ルネサンスギター音楽の楽しみ 『パヴァーヌとガリアルド』
『オズボーン・ギター手稿譜』(イギリス、1560年頃)

現代ギター誌9月号のルネサンスギター楽譜『パヴァーヌとガリアルド』の解説。

このギター手稿譜は『オズボーン備忘録』と呼ばれる一冊の帳面に収められている。
料理のレシピ、当時の詩人サリー伯やワイアット卿の作品、
ギターとリュートのタブラチュア楽譜が書かれており、
当時の教養ある市民の姿を示す貴重な資料である。

タブラチュアには拍子記号や小節線はなく書き間違いや修正も多い。
曲のタイトルがないものもあり、現代の我々が自分用に書く楽譜の姿と全く同じだ。
備忘録の持ち主については詳しいことはわかっていない。
ギター曲は21曲収められている[1]

パヴァーヌとガリアルドは16世紀に流行した舞曲でしばしば対になって作曲、また演奏された[2]
ここでも例外ではない[3]

原典はフランス式タブラチュアで書かれている。

『パヴァーヌ』は2拍子系の舞曲でいわば穏やかな行進曲。
ルネサンスの舞踏会ではしばしば最初の入場に用いられた。
ルネサンス時代の作品としてはダウランドの『涙のパヴァーヌ』や『フラット・パヴァーヌ』、
19
世紀以降ではフォーレの『パヴァーヌ』やラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』などが良く知られている。

AB
の二部形式をとる。
手稿譜ではまずAB、そして変奏付きAB’の形で書かれているが、
AA’BB’の様に演奏するのもあり。
各部分にはリピート記号(原典ではbis)が付されているが、
この時代の繰り返しは厳密に考える必要はない。
リピートする場合は自分ならではの変奏を加えてみよう。
遅すぎずに生き生きと弾くのが良いだろう。

『ガリアルド』は跳んだり足技を使う活発な三拍子の舞曲。
リュートやギターのためにも多くの作品が残されているが、
細かく分割された変奏部分を伴う場合は特に速く弾く必要はない。
この『ガリアルド』にも変奏部分があり、ABA’B’の構成をとる。

この『パヴァーヌとガリアルド』は1590年頃の『ホームズ・リュート手稿譜』、
1620年頃の『ボード・リュート手稿譜』(パヴァーヌのみ)にも見られ、人気のほどを示している。


マシュー・ホームズ・リュート手稿譜(2r)


マーガレット・ボード・リュート手稿譜(2r)

ボード手稿譜の『パヴァーヌ』には装飾音記号が多く付けられている。
これは1600年前後のイギリスのリュート音楽の特徴の一つ。
それよりも半世紀前のギター音楽がどうであったかは確証がないが、
同様の可能性も高いだろう。

↓の『パヴァーヌ』はボード手稿譜を参考に装飾音記号を付加したもの。
世界最初の実用版です(ホント!)

この曲のギター用現代譜と現代式タブ譜は現代ギター誌9月号に掲載されています。



演奏動画
https://www.youtube.com/watch?v=-iHEFx-R5Cs
上のタブラチュアに基づいた演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=iM6t1DTVHDU
この動画は原典になるべく忠実に演奏したもので、
原典の書き間違いもそのまま弾いている個所があります。


[1] この備忘録は以下のサイトで公開されている。
https://collections.library.yale.edu/catalog/2007314

[2] 16世紀のルネサンスダンスについては以下の書籍を参照。
M. Dolmetsch, Dances of England and France from 1450 to 1600,
with their music and authentic manner of performance (Haslemere, 1949 & 1975)
.
 
M. S. Evans & J. Sutton (edit), Orchesography (New York, 1967)

[3] 『オズボーン手稿譜』ではパヴァーヌは『サルタレロ』と書かれている。
形式や同じ曲が収められた『ホームズ手稿譜』『ボード手稿譜』から『パヴァーヌ』であることは明白。

[4] 竹内『ルネサンスギターからウクレレまで』現代ギター20238月号を参照。


2023年7月

現代ギター誌7月号に記事『ルネサンスギターのすべて』、
8月号には『ルネサンスギターからウクレレまで』を載せました。

9月号からはルネサンスギター音楽の楽譜と奏法解説を載せます。
ここでは誌面に書き切れなかった情報や原典譜をアップします。

8月号の楽譜『グリーンスリーヴス』について:
『グリーンスリーヴス』は現在では悲恋の歌として知られていますが、
もともとは『ロマネスカ』『パッサメッツオ』と呼ばれたコード進行に乗せて歌われた、
一種の替え歌、流行歌で、内容は女性に振られた男性を揶揄するものです。

(第2節は「命も宝石も」はミスで、「命も土地も」が正しいのです)

『グリーンスリーヴス』の題名が(歌詞の内容よりも)そのコード進行を指す場合も多く見られます。

ルネサンスギターの曲としては『グリーンスリーヴス』のタイトルを持つものは現存しませんが、
今回の楽譜は『ロマネスカ』、またリュートやシターン(↓)の版を元に作りました。


現代ギター誌掲載の楽譜は現代のタブ譜とギター式五線譜なので、
フレンチタブラチュア版を載せておきます。

コード版


ベイシック版



ディヴィジョン版


詳しい奏法解説などは現代ギター誌8月号を見てね!


2022年1月


チョーサー『カンタベリー物語』は面白い。
原典は14世紀にイギリスで書かれている。
音楽にまつわる話も多く、音楽史的にも最重要の文献。
楽器は「リュート」「バグパイプ」「ハープ」「レベック」
「プサルテリー」「ギターン」その他が登場、
それぞれ大切な象徴的、音楽的役割を担っている。

物語中の『粉屋の話』には「プサルテリー」「レベック」と「ギターン」が言及されている。
登場人物は4人、大工ジョン、その若い妻アリソン、
その不貞相手である神学生ニコラス、そして教区の書記アブサロン。

大工ジョンは年配で、若妻アリソンから愛されていない哀れな夫。

神学生ニコラスは上品でスマート、
夜にはプサルテリーで『受胎告知』を弾き語りしたりしているが、
実際は狡猾で信仰心も薄い。
彼は人妻アリソンに言い寄り、アリソンは応じてしまう。
プサルテリーはこれ↓ 「天使の楽器」のひとつ。
弦は多くの場合金属であったらしい。


アリソンには教区書記アブサロンも横恋慕(横横?)。
陽気なアブサロンはレベックとギターンが得意。


レベックとギターンはこれ↓:どちらも彫り抜きのボディを持っている。


ギターンは現在のギターの遠い先祖、ガット弦を持ちプレクトラムで弾かれた。
アブサロン君は「ダンス(?)」も上手で「20ものやり方( ´艸`)で踊ることが出来」、
ギターンで愛の歌を弾き語る。酒場でも人気者。
ギターン演奏動画


ここでは、天使の楽器「プサルテリー」は(ずるい)キリスト教の象徴、
愛の「ギターン」は(正直な)世俗の象徴だ。
(ニコラスは亭主の留守をコソコソと狙うが、
アブサロンは夫婦の寝室の前で堂々とセレナーデを歌う)

『グローブ音楽事典』(オックスフォード)には、
カンタベリー物語中のギターンとプサルテリーの言及が引用されている。
そのくらい重要で良く知られていることなのだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・

さて、昨年出版された邦訳『カンタベリ物語』を紐解いてみた。
綺麗な表紙、読みやすい文体。

しかし・・・驚いたことに我らの「ギターン」は「シターン」になっている。明らかな誤訳だ。
「ギターン」は他の箇所にも何回も登場するが、すべて「シターン」に変えられている。
 

シターンは金属弦の楽器で、流行するのは16世紀以降、
この物語が書かれた時代には存在すらしていない。
17世紀にはシターンは「床屋の楽器」とも呼ばれ、
その大衆的な人気のほどがうかがえるが、
シターンのボディは貝に似せて作られており、
ルネサンス期にはヴィーナス(の誕生)、ギリシャ的世界の象徴でもあった。
シターン演奏動画

(シターンの象徴については以下を参照
H.R.Wells, ”The orpharion Symbol of a humanist ideal" Early Music, volume 10, Issue 4. pp.427-440)
 
『カンタベリー物語』では、世俗的「ギターン」と教会的「プサルテリー」であるからこそ示唆に富んでいたことが、
ギターンではなくシターンではよくわかんなくなってしまう。
そもそも時代的に間違いだし。

(後で聞いたことだが、この翻訳の底本にした1980年代の現代版が
"giterne/gittern"ではなく"cittern"になっていたそう)

中世の音楽と楽器についての研究はこの数十年間非常に進んでいる。
特に70,80年代に重要な論文が矢継ぎ早に出ており、
ギターンに関しても画期的な論文が1977年に出版され、
史料には登場するが正体は不明だったgittern/ giterneが特定された。
(それまでは、ギターンは、シターンやシターンの先祖である「シトール」と混同されていた)

この論文を機にして、音楽事典や中世文学もアップデートされたが、
邦訳の底本は修正されていなかったということだろう
(・・・音楽だけでなく、中世文学の研究も日進月歩であると想像するが、
何故35年前の本を底本にしているのかは不思議に思う)

日本での中世文学、音楽文献の翻訳物は、
西洋の研究者がまとめた古い現代版を底本にしている場合が多く、
これには常々違和感を持っている。
グイード『ミクロロゴス』もそうだった。
そして、表紙などに底本をはっきり書くわけでもない。
理解し難い姿勢だが、日本では定石なようだ・・・
一般向けの書籍といえ、もう少しフェアでアカデミックな姿勢でも良いように思ってしまう。

(ちなみに、僕らが15世紀の音楽を調査する場合、
絶対に文献のオリジナルを見る。
誰かが起こした現代語訳や現代譜に頼ったりはしない。
それもファクシミリやデジタルコピーだけではなく、
大英図書館の写本コーナーなどで現物を手に取って調べるのが通常。
でないと、まともな研究なんてできない)

今回残念なのは、日本の訳者、監修者、編集者が楽器名をチェックすることを思いつきもせず、
当然ながら調べもしなかったことだ。
事典やアップデート版を見ればすぐにわかったことなのに。
カンタベリー物語と音楽に関する論文も少なからず存在のに。
共訳版とのことで、20人以上の翻訳者の名が挙がっているが、
そのうちの1人も気にも留めなかったとしたらヤバい・・・

そうなると、この本では他の事柄についても充分なリサーチがなされてない可能性が高そうだ。
なので、僕は買うのはやめた。


一応、『粉屋の話』登場人物それぞれの顛末と感想も書いておく。
ジョン:アホ妻に浮気され、ニコラスに騙され、腕を折り、皆に狂人扱いされる。・・・別れて釣り合う奥さん見つけなよ・・・
ニコラス:アブサロンに焼けた鉄棒をお尻の穴に突っ込まれ大やけど・・・ザマーミロ。
アブサロン:アリソンのお尻の穴にキスさせられ、恋から醒める・・・深入りしなくて良かったね。
アリソン:┐(´д`)┌ 

↓:左はシターン、右はギターン。
似てるけど時代も構造も音色も音楽的機能も象徴的意味も違う。


おまけ
シターンの先祖「シトゥール」とギターンについての画期的な論文
Lawrence Wright, The Medieval Gittern and Citole: A case of mistaken identity. The Galpin Society Journal 30 (1977), S. 8-42



2021年10月


    『トーマス・F.・ヘック博士(19432021)追悼』


音楽学者トーマス・ヘック氏が103日に亡くなった。

9月末にズームで行われた国際ギター学会の氏のプレゼンテーション『バッハのシャコンヌのギター演奏:
その歴史的沿革』がキャンセルになったことからも心にかかっていたが、
こんなに早く逝ってしまうとは残念だ。


トーマス・ヘック氏は1943年、米国ワシントン生まれ、イェール大学で博士号を取得。
オハイオ州立大学の音楽学教授として長らく教鞭をとった。
ジュリアーニの研究Mauro Giuliani: virtuoso guitarist and composer
(Columbus, 1995, revised as an e-book in 2012)
) が知られており、
音楽事典の最高峰『グローブ音楽事典』のいくつもの項目も執筆している。
また早くから楽譜や文献のデジタル化に尽力した。


氏は、トリビアや伝説に満ちていたギター研究に革命的と言えるアカデミックなアプローチを持ち込み、
その意味でギター研究史は「ヘック以前」と「ヘック以後」に分けられるほどだ。
ギター専門の学術誌としては世界初の『サウンドボード・スカラー』を創刊したのも彼だ。
ヘック博士の業績はここ

ヘック氏とはケンブリッジのギターリサーチグループ(https://guitarconsortium.org/)の研究会で2年に一度は会っていた。
ヘック博士は歯に衣着せぬ厳しい意見を言う一方、ユーモアに富み、また会では若手に属する僕には常に暖かく接してくれた。
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語など各国語に堪能で興味の対象も広かった。


ヘック氏のような研究者が世を去ることは残念ではあるが、それはまたすべての人に訪れる運命でもある。
一つ言えるのは、彼の素晴らしい仕事は決して滅びることがないということだ。
これからもトーマス・ヘック氏の研究は、我々ギターに携わる人間を導き、また勇気づけてくれることであろう。
May he rest in peace.



2020年9月2日

『バロック舞曲の理論と即興:「フォリア」を例に』という原稿を書いた。
なんだか妙なタイトルだが、日本ソルフェージュ協議会の主催で昨年、藝大で行ったレクチャーの書き下ろしだ。

音楽の専門家にも読んでいただけそうなので、なるべくアカデミックなアプローチを試みた。
 
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「フォリア」はもともとギター伴奏で踊られた舞曲であったこともあり、
リュートやギターなど撥弦楽器にとっては特に重要な形式だ。作品も多い。

以前、ギター雑誌に「スペインのフォリア」の記事を書いた。
以下にその一部を載せる。(ギター誌に掲載されたものとは同一ではない)

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2020年8月16日

ジュリアン・ブリームが亡くなった。享年87歳。

20世紀後半に活躍したギター、リュート奏者で、ギターのためにはブリテン、バークレーなどの新しいレパートリーの開拓に
熱心であったのと同時に、古楽器リュートの復興にも力を尽くした。

リュートは金属フレット、象牙のサドルを持つモダン楽器から始め、晩年はより歴史的な楽器を使っていた。


彼の音楽家としての生涯は以下のヴィデオで概観することができる。
https://www.youtube.com/watch?v=_HdFG9_vG1c&feature=youtu.be

個人的には何度か私信をやり取りしたことがあり、雑誌やリュート協会のために東京とロンドンでインタビューを行ったことがある。
いつも大変親切にしていただき、感謝!であった。

オックスフォード大学出版のジャーナル『アーリー・ミュージック』1975年にインタビューがあったので紹介する。
リュート復興期の様子が生き生きと伝わってくる。









2020年7月23日

楽器を弾く人で、デイヴィッド・ルビオの名を知らない人は少ないだろう。


20世紀後半にアメリカとイギリスで活躍した楽器製作者で、クラシックギター、リュートなど撥弦楽器のみならず、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ(いずれもモダンとバロックの仕様)、チェンバロも製作している。

そして驚くべきことに、それらのいずれも劣らぬ名器、多くのプロ演奏家にも使われている。

僕自身、何本かのルビオ作リュートを所有しているが、つややかな高音と明晰な低音を持ち、
弾いていて楽しく、またステージでも威力を発揮してくれる楽器だ。

日本のオフィスにもルビオのモダンとヒストリカルのリュートがひとつづつある。
ルビオはこのまるで特性の異なる楽器をほぼ同時期に製作し、どちらも成功している。
天才としか思えない。


オックスフォード大学出版のジャーナル『アーリー・ミュージック』1975年にリュート製作者としてのルビオのインタビューがあった。


やはりリュート製作家マイケル・ロウとのジョイント・インタビューだが、ルビオの部分を紹介する。




ちなみにこの号のEM誌の目次:

ジェイムズ・タイラーの記念碑的論文『ルネサンス・ギター』、おなじくドナルド・ジルの『5コースバロックギターの調弦法」をはじめとして、
ロバート・スペンサーの記事、ジュリアン・ブリームのインタビューなど、リュート系は非常に充実している。
1970年代はリュート復興期の黄金時代と言える。(タイムトラベルしてみたい)

デイヴィッド・ルビオに関しては、近くジェイムズ・ウエストブロック博士による大部の伝記がケンブリッジから出版される。
楽しみだ。

当ウェブサイト「売りたし」ページのルビオの楽器
バロックヴィオラ:http://tarolute.crane.gr.jp/eddielute.htm
モダンリュート:http://tarolute.crane.gr.jp/edlute.htm


2020年5月21日

3年ほど前にリュート奏者アンソニー・ベイルズ氏のインタビューをアントレ誌に寄稿した。
それを以下に全文掲載する。
この3年間にリュートの世界は、歴史に敬意を払わない楽器や演奏がますます増え、
「より悪くなっている」ように見えるのは残念だが、今さらながらベイルズ氏の真摯な姿勢には気が引き締まる思いだ。
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アンソニー・ベイルズ氏は歴史的リュート復興の中心人物の一人。
演奏活動の他アムステルダム・スウェーリンク音楽院のリュート科教授を務めている。
エマ・カークビーやナイジェル・ロジャーズとの共演でも知られ、
ソロのディスクはいずれも周到に準備された玄人好みのものばかりである。
オリジナル楽器にも造詣が深く、所有する
3台のオリジナル・リュートをコンサートや録音に使用している。
暑い夏の日、彼の住むスイス、バーゼル近くの風光明媚な村を訪ね、お話を伺った。


経歴

竹内(以下T):まずは経歴を教えてください。

ベイルズ氏(B):英国のブリストル生まれです。
最初はピアノを弾いていましたがその後ギターを弾き始め、
18歳の頃にリュートに出会いました。
1965年頃でしょうか。

T:その頃リュートはあまり知られていない楽器だったと思いますが、きっかけはなんですか。

B:中世やルネサンス時代の騎士や宮廷の物語が小さな頃から好きだったのです。
まあ一種のロマンティシズムでしょうか(笑)。
楽器も持っていなかったのですが、僕がリュートに興味があることを知ったある人が
ロンドンのダイアナ・ポールトンを紹介してくれたのです。


*筆者注:ポールトン(
1903-1995)はイギリスのリュート奏者、研究家。
リュートの復興に大きな役割を果たした。
ダウランドのリュート曲全集の編纂、ダウランドの伝記などの著作がある。
王立音楽院(
RCM)リュート科初代教授

B:ダイアナはとても親切で、ロンドンまで3時間近くかけて通う僕を気遣って、
まず午前中にレッスン、ランチを一緒にして午後もレッスン、謝礼も格安でした。
しかもお金をいつも恥ずかしそうに受け取るのです!
そのうちリュート協会の講習会などでダイアナの助手として教えるようになりました。

T:スイスにも留学していますね。

B1970年頃にはリュート復興がだいぶ盛んになってきて、あちこちで研究会や講習会がありました。
オランダの講習会で出会ったグスタ・ゴールドシュミットからバーゼルでバロックリュートを学ぶことを勧められたのです。
オイゲン・ミュラー・ドンボアに師事しました。

*筆者注:ゴールドシュミット(
1913-2005)はオランダのリュート奏者、
バッハの無伴奏作品のリュート編曲で知られる。アムステルダム・スウェーリンク音楽院リュート科教授。


B:バーゼルではバロックオーボエのミッシェル・ピゲやヴィオラ・ダ・ガンバの
ジョルディ・サヴァールなどと知り合い、一緒に仕事をしました。
最初は中世のアンサンブルだったかな。
そのころはまだ中世リュートを持っておらずルネサンスの楽器を使ってましたけど(笑)
そして、グスタを継いでアムステルダム音楽院で教えるようになりました。


録音

T:僕があなたの演奏を初めて聴いたのは「ダウランド・リュート曲全集」(オワゾリール、1978)でした。
5
人のリュート奏者(アンソニー・ベイルズ、アンソニー・ルーリー、クリストファー・ウイルソン、
ヤコブ・リンドベルイ、ナイジェル・ノース)が参加している画期的な録音ですが、
あなたの演奏は音色と装飾音の扱いで際立っていた様に感じました。あれはガット弦ですよね?

B:ええ、そうです。その頃ガット弦は入手困難な上、あまり強くなく、あのLP一枚で30本くらい切れたでしょうか(笑)。
ダウランドの作品
1曲につき、シャントレル(最高音弦)23本使っています。
録音にも時間がかかるのでレコード会社は嫌がってましたけど(笑)。
低音に使える太いガット弦はまだなかったので巻き弦を使いましたが、巻き弦の響きを殺すために様々な工夫をしました。
中でも弦に土を塗るのが最も効果的でした。大地の偉大さだね(笑)。
今は良いガット弦が作られるようになり、リュートの高音から低音まで全てガットで張ることの出来る良い時代です。
ちなみにダウランドの録音に使ったリュートはイギリスのジョン・ゴレット作でした。

*筆者注:本来リュートには巻き弦は使われずガットのみで張られる。
しかしリュートが復興した
70-80年代、低音には巻き弦が使われることが多く、
その長い余韻は音楽を不明瞭にし、低音と高音のバランスも悪かった。


T:これまでに何枚のソロディスクを録音しましたか。

B:少ないですよ。11枚か12枚でしょうか。

T:いずれの録音も時間をかけて周到に準備されている様に見えます。

B:ええ、僕らには本当のリュートの音とその音楽の良さを提供する責任がありますからね。
単に流行に乗じたりするのではなく、時間をかけて明確な内容を持つ録音を作りたいと思っています。
リュートとその音楽は素晴らしいものですから、それをネタにしてもてあそぶようなこともしたくありません。

T:先日のフュッセンのリュート・フェスティヴァルであなたの素晴らしいバッハの演奏
BVW1003:原曲は無伴奏ヴァイオリン作品)を聴きましたが、バッハの録音はいかがですか?

B:予定はありませんが、やるとしたらBWV1003、プラス他の組曲からの抜粋でしょうか。
正直言ってバッハの作品はリュート的とは思えませんし・・・

1980
年台にバッハのリュートでの録音が流行った際にレコード会社からオファーもありましたが、断りました。
リュートの本当の良さを提供できない気がしたので。バッハには他に熱心な弾き手たちも居ますしね。

筆者注:バッハには従来BWV995-1000および1006a7つのリュート作品があるとされてきたが、
最新の研究ではその多くはリュート作品ではないとされる。


楽器

T:録音には1618世紀に作られた古いリュートも使っていますね。

B:オリジナル楽器は数本所有しており、録音はできるだけそれらで行なってきました。
コンサートでも会場の環境が許せば使いますが、楽器に何かあっても困りますし・・・
こういった古い楽器は自分が所有しているのではなく、文化財として一時預かっているだけだと思っています。

――ここでベイルズ氏が、マテエス・ポフト作のリュートを弾いてくれる。
1519
年にアウグスブルクで6コース(ルネサンス)リュートとして製作、
1692年にエドリンガーにより11コース(バロック)リュートに改修された楽器で、
現存するリュートとしては最古の一つである。
勿論総ガット。口では言い表せないほど美しい音で思わず目頭が熱くなる。


T:オリジナルのギターはいかがですか?

B18世紀にフランスでプレヴォストが作ったバロックギター、
ラコートとパノルモの
19世紀ギターも持っています。
弾いてみますか?


T:是非!

――筆者が3本のオリジナルギターを弾く。
いずれもオリジナル楽器ならではの子音の強い語るような響き。
弦は指に吸い付くようで、心の動きがそのまま音になって現れてくれるような鳴り方だ。


B:やはり古い楽器はコピーとは音色や鳴り方が異なりますね。

T:本当にそう思います。

B:オリジナルかどうかはおいても、お金を惜しまずに良い楽器を持つことは本当に必要だと思います。
良い楽器は良い音楽にダイレクトにつながりますからね。
僕はこれまで
50本以上の楽器を入手したと思うけど、安かろう悪かろうの楽器を買ったことは一度もありません。

T:これからの計画について教えてください。
B:二つほど論文を書きたいと思っています。
ひとつは「フレンチ・リュートについて」:よくフランスのバロックリュートは
ドイツのそれに比べて小ぶりであるとか、構造がどうだとか言われますが、あれらは全くエビデンスのない伝説の類いです。
残された文献と楽器から科学的、論理的にそれを探ってみたいと思います。

17世紀フランスのリュート音楽には昔からたいそう興味を持っていますが、僕が始めた70年台には理解者はほとんどおらず、
「あんなものは面白くない」との評価がリュート関係者においてすら一般的でした。
だいぶマシになってきましたね(笑)。

T:あなたのフランスのバロックリュート音楽の録音は非常に美しく、また説得力があります。

B:もう一つは「オリジナル・リュートの音色の秘密について」
僕らが知っているように古い楽器と現代のコピーは全然違う鳴り方をします。
古い楽器の鳴り方はピュアな上、音色は非常にカラフルです。
それが故に
1619世紀のリュート/ギター奏者は古い楽器を珍重し、探し出して改修して弾いていたのです。
現代の奏者、製作家、聴衆もこれら古い楽器の音色の良さを理解し、それに倣って欲しいと切実に思います。

T:確かに古い楽器とコピー楽器は全然違う鳴り方ですよね。

B:そうなのです。だから、僕はオリジナル・リュートをみんなに弾いてみせて
「ほら!ホントはこの音だよ」と言いたいのです。でもそれは大体反撥されますけど。

T:現代の製作家や演奏家は「自分たちの楽器のどこが悪い!」という反応になりがちですね。
古い当時の楽器の鳴り方は、全ての作り手と弾き手が先入観を廃して謙虚に学ぶべきだと思うのですが。
昨今ではコピーしか知らない「専門家」も居ますよね。

B:僕のオリジナル楽器を使ったCDの批評に「演奏は素晴らしいが楽器が良くない」と書かれたことがありました。
その批評家はオリジナルのリュートの音などそれまでに聞いたことがなかった筈なのに・・・驚きました。

T:よくあることです。現代のコピー楽器の音が本来の音だと勘違いしてしまったのですね。

B:多くの人に古い本当のリュートの音を知って欲しいものです。
僕の所有する数本のオリジナルリュートの図面と修復レポートはイギリスのリュート協会から入手できます。
http://www.lutesociety.org/pages/catalogue

T:最後に若い音楽家、楽器製作家、愛好家にアドヴァイスを。

B:何よりも多くの経験をすることです。多くの本を読み、多くの人と話をし、多くの音を聴くことです。
たとえ自分と立場や意見が違っても、かならずそこには有益なことがあります。
それはあなたを成長させます。僕はこの年になってもそれを感じますね(笑)


T:有り難うございました。

2020年5月14日

リュートに歴史的なセッティングを施す際、迷うのは低音弦の選択だ。

6コースリュートの場合は無理なく通常の(プレイン)ガット弦だけで張れる。
というか、プレインガットだけで問題がないように作られた楽器が6コースリュートなのだ。
16世紀の100年間、形を変えずに愛奏されたのも頷ける。


16世紀の終わりからリュートには低音コースが増えていく。
これには新たな低音弦の発明が関わっていると考えられるが、
実際にどのような低音弦が使われたかはいまだ確実にはわかっていない。

20世紀にリュートが復興した際、低音コースには巻き弦が張られた。

巻き弦は音量があり余韻も長く当初は好まれたが、古楽の研究と実践が進むにつれて、
歴史的には使われておらず、音色と響きが適切でないことも分かってきた。

1976年にガット弦に関する記念碑的な論文が出版される。
セガーマン博士「ガット弦」(アーリー・ミュージック、オックスフォード)だ。


この論文を契機として、様々なガット弦が作られるようになり、
現在では、ノーマル(プレイン)のガットの他、何らかの処理を施した弦も作られている。

「歴史的な低音弦」は以下のような感じだ。

プレイン・ガット
特に処理を施していないガット弦。6コースリュートはすべてこれで張れる。
個人的経験では太さ1.4ミリを越えると音程感と響きに乏しくなる。


ロープド・ガット(ツイステド・ガット)
複数のガット弦を捩った弦。同じ太さのプレインガットよりもフレキシブル。キャットラインと呼ばれることもある。



ローデッド・ガット
ガットに薬品などを染み込ませて比重を増した弦。赤色や茶色が多い。プレインやロープドよりも径が細い。


(オープン)ワウンド
ガットや絹に金属線を巻いた弦。
17世紀から記述はあるが、実用されたのは18世紀のわずかな期間だけだったとされる。


現在ではガットの代わりに合成樹脂の弦も用いられる。
ナイロンよりも比重の高いフロロカーボンの低音弦はサバレスなどにより製品化され、
アクイラ社のナイルガットおよびローデッドされた弦は人気が高い。

参考までにナイロンの比重を1とすると、ガットは1.3、フロロカーボンは1.7くらい
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6266393/)

僕自身は7コース以下には太いプレインガットかツイステドガットを使うことが多いが、
コロナ騒ぎでガットが入手しにくいこともあり、日本製のフロロカーボンを使って低音弦を試作してみた。
ローデッドガットやオープンワウンドにはそれなりの治具や薬品が必要なので、
作るのは2本を撚り合わせるツイステドガットだ。

径は一般に入手できるカーボン中で最も太い1.05ミリ。
弱めに巻いて第7コース(F),強めに巻いて第8コース(D)を作ってみる。

まずカーボンにサンドペーパーを掛けて表面を荒らす。巻きの定着と音色の落ち着きを期待してのことだ。


弦の端をリュートのブリッジに結び、巻いていく。


指でも丁寧に行えば綺麗に仕上がるが、巻きを強くするのは簡単ではない。
思いついてハンドドリルを使ってやり直す。


やっぱり速くて綺麗に巻ける。


楽器に張ってみる。綺麗に仕上がったと思う。音程感も響きも十分。
弦には凹凸がはっきりあるが、7コース以下を押さえることは稀なのでこれで構わない。
(頻繁に押さえるコースに使うのであれば、ポリッシュして外径をなだらかにする方が音程は良くなるだろう)

ナットの溝を強く弾くとビリ付き音を出すくらいに調整する。
巻き弦の場合、ビリ付き音は不快だが、ガットやカーボンの場合は潤いとインパクトのある音色になる。

ロープド弦、物流が回復したらガットで作ってみたい。

歴史的および現代の弦の構図。



2020年4月25日

僕は頑固なヒストリカル主義者と思われているかもしれないけど、そうではない。
シンプルに正直に音楽する姿勢が好きなだけだ。

例えばリュートに関して言うと、ダウランドの時代には
6〜9コースの楽器に、ガット弦が張られ、フレットは二重に巻かれ(ダブルフレット)、
親指を掌の外に出す奏法が主に使われ、楽譜は例外なくタブラチュア、
大きな会場で不特定多数のために弾かれることはなかった
ので、
それをそのまま現代でも行うのがシンプルで正直だと思う。
本来の意味の「歴史的アプローチ」とはそういうことだ。


しかし現代のリュート奏者の採用している楽器や奏法は多くの場合「歴史的」とは言えない。
当時のオリジナルやデッドコピーではなく、現代のコンサートシーンに適合するように作られた楽器が主流だし、
ガット使用者になると稀、ダブルフレットになると稀有と言って良い。
要するに折衷古楽器、単弦のアーチリュートなんかになると当時には存在しなかったフェイク古楽器だ。
奏法に関しても20世紀に発明された疑似古楽奏法みたいなのが多い。

こういったものを「オーセンティックな古楽」として聴かされる聴衆は、ある意味で騙されていると言えなくもない。
蟹料理のはずがカニカマ混ざりの料理を食べさせられているみたいなものだ。

この対極にあるのが「モダンリュート」だ。
モダンリュートはともすれば「現代のコンサート向きに改良されたリュート」と思われているが、
そうではなく「ギタリストが音楽しやすいように開発されたリュート」と捉えるのが正しい。

20世紀始めにリュートが「復興」し、世紀の半ばにはプロのリュート奏者が活躍しはじめた。
ワルター・ゲルヴィッヒ、ダイアナ・ポールトン、ジュリアン・ブリーム、コンラッド・ラゴスニックらの名を挙げることができる。
彼らの多くはギタリスト出身であり、使用楽器やアプローチも様々であった。

中でもブリームは金属フレットとサドルのあるブリッジを備えたモダンリュートで数々の名演を残した。

僕はブリームをインタビューしたことがあるが、彼の古いリュートとその音楽への造詣は非常に深い。
タブラチュアも読みこなすし、当時の技法についても良く勉強している。
そんな彼が歴史的な楽器ではなく「モダンリュート」に拘ったのはクラシックギターとの両立をさせたかったからだ。

クラシックギターと歴史的リュートを弾いてみるとわかるが、これらの楽器にはまるで異なるアプローチが必要だ。
両立させるには練習時間も勉強時間も二倍必要で、
似ているがゆえに奏法などを混同させないためにも大きな努力が必要。
これは事実上人間には不可能な領域だと言え、良心的な音楽家は古楽器か現代楽器かどちらかを選ぶことになる。

実際、現在に至るまでモダン楽器と古楽器をバランス良く両立させている演奏家を僕は一人も知らない。

ブリームの念頭には最初から「ギターの技巧で違和感なく弾けるリュート」があった。
彼の一台目のリュートはチェンバロ製作者ゴフが製作した楽器であった。


金属フレット、ギター式のブリッジを備えた7コースだ。

動画
ジョージ・マルコムとのヴィヴァルディ
http://www.youtube.com/watch?v=EcIfKp7rubQ
ストラヴィンスキーにダウランドを聴かせる
http://www.youtube.com/watch?v=t4f8fej9Sqo&feature=related
ホルボーンのパヴァーヌとガリアルド

http://www.youtube.com/watch?v=0qJOcJER0vE


次にはルビオと共同で開発した8コースを長く使った。


ルビオの楽器は究極のモダンリュートと言える。
ギターから持ち替えても違和感なく弾けるし、リュート本来の良さもある。

ルビオは早くから歴史的リュートを研究、製作しており、そちらも大層出来が良い。
彼は歴史的な楽器の良さも十分に理解した上でモダンリュートを製作しているのだ。
普通の製作者なら不可能なことだ。やはり天才と言える。
ブリームはこのリュートを長年愛用し、幾多のコンサート、名録音を行っている。

動画
ヴィヴァルディのリュート・コンチェルト
http://www.youtube.com/watch?v=qyY5pB2a0cU
ダウランドのリュート曲集
http://www.youtube.com/watch?v=SBcsRlp_3ts&feature=related

僕のコレクションにもルビオのモダンリュートがありレクチャーコンサートなどで使用したことがある。

今回、日本で売却に附しているルビオのモダンリュートと歴史的仕様のコピーリュートを弾き比べして演奏動画を撮ってみた。

動画へのリンク


それぞれの楽器の仕様
歴史的リュート:1600年頃のイタリアの楽器のコピー(イギリス、1995年)、弦長59センチ、
ガット/ナイルガット、ダブルフレット。A=415のG調弦
モダンリュート:ルビオ工房(イギリス、1970年)、弦長65センチ、ナイロン/巻き弦、金属フレット、A=440のE調弦
(この楽器についての詳細)

録画はモダンリュート、歴史的リュートの順番で行った。感想は以下の通り。

モダンリュートは低音が良く鳴り、弾いてて安定感がある。響きはピアノに似ている。強く弾弦すると音量も増える。
張りが強め、弦高も高めなので長時間弾いていると疲れるかも。
マイク乗りは良く録音した結果も綺麗。高音はルビオならではの甘い音色で弾いててもうっとりする。
音色は均質、低音の巻き弦の響きが長いので、フレージングは長めになる。

歴史的リュートは全体にすっきりとしていて音像もクリヤー。モダンリュートの後に弾くと頼りなく感じるほど。
強く弾くと心地良くビリつき、弾いていると体の力が抜けていくのが分かる。
張りは弱く、弦高も低いので弾いていて楽。音色は複雑だが、その良さは録音にはそれほど現れない。
演奏が意外性に満ちて楽しく疲れないので、いつまでも弾いていたい。語るように響くので短いフレージングをしたくなる。

例えると:モダンリュートはオペラ歌手の様にベルカントで歌い、歴史的リュートはポップス歌手の様に語る感じだろうか。
もしくは:歴史的リュートは弾き手にやさしく、モダンリュートは聴き手にやさしい。

念のために書いておくと、僕自身は古楽器奏者なので、モダンリュートの本当の良さを引き出すには力不足なのは確か。
それでもモダンリュートの良さと歴史的楽器のキャラクターを自分なりに感じることができたと思う。



2020年4月20日

コロナ感染防止のためにコンサートやレッスンができない状態が続いている。
早い収束を願う限りだが、だからと言って音楽が死ぬわけではない。

古楽の大きな部分、特にリュートやギター、トラヴェルソなどの楽器とその音楽は、
もともと人前での演奏というより、個人で楽しむ側面が大きい。
こういう際に、古楽のそういった面を追及するのも悪くない。

いや、それどころかより積極的に、
「イヴェント開催」に走りがちな現代の音楽家稼業を真摯に反省する機会かもしれない。

しばらく前から興味を持っていた楽器に「フラジオレット」がある。
小型のリコーダーの一種で、持ち運びと演奏の容易さから、16-19世紀に流行した。
音量はあまりなく音域もそれほど広くない。まさに「個人で楽しむ」楽器の代表だ。

幸い良い状態のオリジナルを入手することが出来たので、詳細に検分してレプリカ製作のプロジェクトを立ち上げた。

古楽誌「アントレ」に論文を一つ載せたが、ここに全文を掲載することにする(全5ページ)。
この素敵な楽器に興味を持っていただければ幸いです(^^♪











2020年4月15日

↓の日記で書いた「歴史的セッティングを施した18世紀のギター」で演奏動画を撮った。
https://www.youtube.com/watch?v=E6_DYF_71j4

曲はド・ヴィゼのロンドとメヌエット。
ド・ヴィゼについては以前現代ギター誌に寄稿したことがある。一部を引用。



今回演奏したロンドは五線譜の版を使用した。ギターで弾きやすい調性と音型の曲だ。


メヌエットはギタータブラチュア版だけ残されている。


この曲は現代ギター誌にモダンギター用編曲を載せたことがある。

本来はABそれぞれの繰り返しだが、ここでは繰り返しにバッテリー(かき鳴らし)を使った変奏を書き込んである。
解説は以下の通り。

彼の作品は長く弾き続けられており、18世紀のいくつもの手稿譜や出版譜に見られる。

19世紀に入るとコストがド・ヴィゼの作品の編曲をまとめて発表している。


コストは多弦ギター、バロックギターやシターンを改造した楽器を用いド・ヴィゼの作品を弾いた。
ある意味では古楽リヴァイヴァルの先駆者と言える。


20世紀に入り、セゴヴィアやシャイトらによりド・ヴィゼの作品の編曲が出版、演奏されて一般のギタリストにも知られるようになった。

参考にセゴヴィアの動画をひとつ。https://www.youtube.com/watch?v=Y2F6oDzZv0I
「組曲」と銘打ってはいるが、典型的なバロック組曲の構成は取っていない。
4:23からは上記のメヌエットを弾いている。中間部で弾いている曲は本来は関係のない曲。
最後のジーグ?は明らかにド・ヴィゼの作品ではない。おそらくポンセあたりが作曲した疑似バロック曲だ。

しかし、これはある意味ではオーセンティックなアプローチと言える。
例えば18世紀のギター愛好家がド・ヴィゼを弾いた場合、
彼/彼女はド・ヴィゼ以外の作曲家の作品も織り交ぜて弾くのは当然の様にあり得た。

ここでも以前現代ギター誌に寄稿した記事から引用しておく。


いずれにしてもド・ヴィゼの作品は楽しい。これからも弾いていきたい。


2019年3月16日

昨年、オックスフォードのジャーナル「アーリーミュージック」に学術論文を発表してから、アカデミックな仕事が増えてきた。



具体的には: 論文の査読、学術誌への記事、書評の執筆、学会でのプレゼンやレクチャーコンサートなどだ。
いずれも興味深く、何よりも自分の勉強になるのでできるだけ引き受けることにしている。

アーリーミュージック誌の一論文あたりの字数制限は6,000ワード、
日本語にすると15,000字から20,000字くらいだろうか。
ずいぶん短いなと思ったし、事実、草稿では大分オーバーしてしまった。
学者の友人やオクスフォード大学出版局の編集者のアドヴァイスを受け字数内に納めたが、
その課程で、自分の文章の冗長な箇所に気がつかされ、良い勉強になった憶えがある。

そして今、他人の書いた論文の査読を行っていると、無駄な文章が目につくことも多い。
学術論文では、重要事項でも重複して書くべきではないし、注を説明のために安易に使うのも良くない、
もちろん個人的な体験談などは論外。これらをクリアーするだけでも内容は短く、読みやすくなるはずだ。

(↑のような視点で、現行の修士論文、博士論文などを見ると、無駄な文章の多さに驚くことが多い。
同じことをリピート、筆者の考えが行きつ戻りつ逡巡・・・まあ学生は勉強中なのだし、
一定の字数を義務として埋めなければならないので、そうなりがちなのだろう)

そのように考えるとアーリーミュージック誌の「掲載論文は6,000ワード、注は原則として文献のため」は、
学術誌としては当を得た規定であると言える。さすがオックスフォードだ。


同じことは学会などの発表時間にも言える。

音楽関係の国際学会の発表時間は通常20分、質疑応答に10分、計30分が通常だ。

僕がよく行う、実演を含めてのレクチャーコンサートの場合でも35分、質疑応答入れて45分が相場。
短いようだが、よく準備されたプレゼンを聞くと、20分で充分であることがわかる。
内容が充実していて情報が豊富であるために、それ以上は聞き手の処理がおっつかなくなってしまうのである。

(余談だが、日本で簡潔かつ充実した音楽関係のレクチャーを聞いたことはあまりない。
日本の学者で国際学会での発表を行う人は多くはないし、日本語は論理的な発表には向いていないのかもしれない)

昨年、イギリスの楽器学協会「ガルピン・ソサエティ」から書評の依頼があった。

半年後に出版される紀要への執筆で、
対象はクリス・ページの研究書 'The Guitar in Stuart England: A Social and Musical History'(ケンブリッジ大学出版)だ。


ページ博士はケンブリッジ大学の中世文学と音楽の教授。こちらはなにかと教えを受けている身だ。
迷ったが、身に余る光栄と引き受けた。

書評は書籍の紹介で、評者の考えを述べるものではない。
分量も500ワードから1,000ワード程度が多い。

しかし、ガルピン協会の書評は2,000ワード、
オックスフォードの学術論文が6,000ワードであったことを考えるとそれなりの量だ。
念のためにガルピン協会の編集者に問い合わせてみたが、
「以前は1,000ワードだったけど、書評もsubstantial なものにしたくて2,000ワードに設定したんだ」とのこと。

つまりは、ありきたりの紹介や推薦文ではなく、その書籍の内容に深く迫る実体のある書評が求められているわけだ。

当該書籍は一通りは読んでいたが、細かくメモをとりながら読み直すことにする。
300ページ足らずだが、読めば読むほど内容のある本で全てのページに知らないことが出てくる。
(口幅ったいが、17、18世紀のイギリスギター音楽を専門とするこの僕ですらそうなのだ!)

言及されてる一次資料を確認するために大英図書館に日参し、不明なところは音楽史家に質問。
・・・クリス先生に直接聞けないのがイタい。
(書評する人間は、書評が出版されるまで著者にその旨を告げるのはタブーとされている)

たかが書評と言っても、読者は楽器と音楽に造詣の深いガルピン協会員たちだ。
もちろん著者であるクリス・ページ教授も目を通すだろうし、
彼は古いギター音楽とその歴史に関してはこの世で比類なく詳しい人間なのだ。
いい加減な感想など一切書けない。

ともあれ、書評の載ったジャーナルが今日届いた。
自分の文章が活字になるのはどんなときでも嬉しいものだが
今回はそれ以上に、この本を隅々まで読む機会が与えられたことに感謝する思いだ。


ガルピン協会は、この8月にオックスフォードで国際会議を開く。
僕もレクチャーコンサートを行う予定。楽しみだ。

ガルピン協会へのリンク
http://www.galpinsociety.org/


2018年8月

今回の日本滞在でも幾つかの講習会を行っている。
いずれも素敵な受講生に恵まれ、有益かつ楽しい会であった。

こういう催しで最も大事なのは、参加者が音楽の喜びを共有することだと思っている。
古楽器の経験の有無、上手下手に関わらずだ。

音楽とは面白いもので、難しい曲の流暢な演奏が心に響いてこないこともあるし、
初心者がゆっくり弾くフレーズに感銘を受けることもある。

それは、大きな声で喋り続ける人との会話が楽しいとは限らず、
口数の少ない、もしくは口下手な人とでも楽しい時間を共有できるのと似ている。

その意味で、音楽演奏とはその人のありかたそのものだ。

リュートやアーリーギター、トラヴェルソといった古楽器にはモダン楽器のような練習は必要ない。
弾きやすい楽器で弾きやすい曲を演奏するだけで充分に楽しめ、アンサンブルやセッションもできる。
18世紀までの楽器教本には「エチュード」はほぼ全く出てこないが、それは指の練習など必要なかったからだ。

しかし、現代の古楽の形は当時とは大きく違ってしまっている。

一つには楽器のあり方。
現代のリュートやバロックギターの多くには高い張力で弦が張られている。ガット弦を見ることは稀だ。
本来、各コースによって異なっていた張力は均等にされている。
弦高は高く、太いフレットがシングルで巻かれている。
楽器本体は板厚が薄く軽く作られており、神経質で乱暴な発音をする。
音量最優先で作られており、肝心の弾き心地や音色は古楽器というよりモダン楽器に近いものになっていて、
左手は押さえづらく、右手は弾きにくい。

トラヴェルソやリコーダーの場合は、現代的な意味で音程良く、発音がクリアーで鳴りの良い楽器が好まれ、
本来それら木管楽器が持っていたファジーでフレキシブルな特性は失われている。
ダブルホールの「バロック」リコーダーが主流なのはその現れだ。

これらは「現代古楽器」とでも呼ぶべきものだ。
現代の会場で正確に音が出ることを主眼に作られていて、
弾き手自身にはそれほど大きな喜びを与えない楽器たちなのだ。

日本で見る「古楽器」の大半がそういった現代古楽器だし、
オリジナル楽器やそのセッティングに関して、高度かつ公正な知識と経験を持つ指導者は多くはない。
(門下生に「ガット弦の使用を禁止」するリュート教師がいると聞いて心底驚いた。
このリュート教師は生徒から音楽の喜びを奪っていると言っても過言ではないだろう)


もう一つは、古楽には様々なトリビアがつきまとっていることだ。
「バロックピッチ=415」とか「モンテヴェルディにはクオーター・ミーントーン」、「ルネサンスリュートは8コースが標準」、
「サンスに使うギター調弦には低音なし」、「ビウエラはギターよりも高貴」、「リコーダーやガンバは18世紀に滅びた」、
「舞曲は実際に踊れるテンポで弾くべき」などなど、一見もっともらしいが正確ではない迷信、伝説の類いだ。
これらは初心者の参考にはなっても、そう単純なものではないことばかりなのだ。

講習会などで最も困ったな・・・と感じる瞬間は、以上のような事柄を聞きかじった人がとくとくと自慢げに述べ始める時だ。
他の受講生に不正確な知識を与えるだけでなく、「古楽」への敷居を意味なく高くしてしまう。雰囲気も白ける。
出所を聞いても「ダレソレ先生がそういった」とか「Youtubeでそう弾いているのを見た」とかあやふやなものばかりだったりする。

本人は正しいことを喋っているつもりだからなおさら厄介だが、まあそれも無理はない。
日本では一次資料や学術論文など信頼できる文献を読み、
オリジナル楽器を探求している古楽奏者や音楽学者も多くはないのだから。

しかし、僕は自分の講習会をそのような場にしたくない。
当時の音楽や楽器を愛し、当時の人たちが楽しんでいた内容に敬意を持って探求する人たちだけで、
これからも続けて行こうと思っている。経験や演奏レベルは全く問わない。
先に書いたように、いたずらに流暢な演奏よりも、初心者の弾く一音が心に染み入る場合も多いのだから。


2018年1月29日

「オリジナル楽器で遊ぶ会」を開催した。


文字通り17〜19世紀に作られた古いオリジナル楽器を実際に見て、
触って、弾いて、聴いて遊ぶ会である。今回で3回目か4回目。

今回の出展楽器は以下の通り
バロックギター(無銘)、19世紀ギター(ヴィヨーム、ラミー)、
ハープリュート(ライト、レヴィアンなど)、イングリッシュギター(トンプソン)。
トラヴェルソ(カスダー作総象牙、無銘総象牙、ステンズビー派総象牙、ジャンテ1キー、ポッター8キー他)
リコーダー(ガン総象牙、18世紀初頭)、バード・フラジオレット(総象牙)。

レプリカも幾つか、オトテール派のトラヴェルソ(392)、中世アイリッシュハープ(クラルザッハ)、歴史的セッティングのヴィオラ・ダ・マノなど。

参加者が自由に楽器を触る時間と30分ほどの特設コーナーが交互に来るスケジュールを組んだ。
最初のコーナーは「初心者トラヴェルソの会」。
フルートの経験のない/浅い人がトラヴェルソを吹いてみる試み。
先生の的確なアドヴァイスにより、初心者が音を出して行く様子は見てても面白い。
僕自身大変勉強になった。


自由時間の後にはミニ・レクチャー「ハープリュートについて」。
金属弦6コースを持つイングリッシュギターが、ガット7弦のハープギター、12弦のハープリュートを経て、
14弦をもつインペリアル・ハープリュートになっていく様をデモつきで解説、最後にテナーの方とモーツァルトの旋律を一緒に(^_^)。
 

19世紀のオリジナル・ブラギーニャ(ウクレレの先祖)とその忠実なレプリカのご披露。
このHPの親ウェブサイトであるクレーン工房鶴田誠師匠の秀逸なプレゼン。
やはりちゃんとしたレプリカは非常に説得力がある。欲しい・・・


自由時間の後、今度はオリジナルの18世紀バード・フラジオレットとその忠実なレプリカのお披露目。
バード・フラジオレットは小鳥に歌を教えるために用いられた小型の笛で、曲集「小鳥愛好家の楽しみ」はよく知られている。


目下、現存する総象牙のオリジナルを詳細に検分して、グレナディラ、ピンクアイボリー、ローズウッドその他でレプリカを製作中。
もちろんいずれは象牙でも製作する予定。


その他、番外編として18世紀のオリジナルリュートのために作って貰ったカスタム軽量ケースのお披露目。
ロンドンに帰って楽器を入れるのが楽しみだ。


また、ダブルフレットを巻き、弦高とテンションを低く調整したヴィオラ・ダ・マノを使って、
16〜18世紀の撥弦楽器の歴史的なセッティングのお話などもする。
詳しくはここをクリック


その後はミニ・パーティに突入。

今日も楽しい一日だった。  



2017年12月2日

昨年から学術論文を書いている。

これまでに雑誌用の記事やレポートなどは多く書いたことがあるし、
学会や国際会議でのプレゼンも幾つかは行ってきたが、プロフェッショナルなレベルでのアカデミックな論文執筆は初めて。

昨年の4月、ケンブリッジ大学の国際会議で「英国リージェンシー時代の撥弦楽器と音楽」の研究発表をしたが、
それがクリストファー・ペイジ教授の目にとまり、論文にすることを勧められた。
大変名誉なことだし、自分の勉強になるので早速取りかかった。

まずは内容を決め、要旨/アブストラクトを書く。
当初はリージェンシー時代の様々な撥弦楽器、イングリッシュギター、ハープリュート、ハープギターなど全般を論じる事を考えたが、
内容が膨大になりすぎるので、1800年頃の「リュート」に集中することにする。

 


2016年夏にアブストラクトをペイジ教授に見せると気に入ってくれたらしく、オクスフォード大学出版(OUP)に紹介してくれた。
2ヶ月後、OUPからジャーナル「アーリー・ミュージック」誌に掲載の可能性があるので、2017年2月を目処に草稿を送るように案内が来る。

それからは毎日のように大英図書館に通い、また方々の博物館を訪ねてリサーチを行った。
すでにかなり多くの情報は手元にあったが、正式に出版されるとなると、考えられる限りを網羅し、
また何重にもチェックが必要だ。

年内には草稿を書き上げ、数人の博士号を持つ友人たちに読んで貰う。
英語のスペルミスから、論理上の間違いまで様々な指摘を受け、書き直す。
勿論、読む人によって意見はそれぞれ異なるので、最終的な判断は自分が頼りだ。

年明けにはペイジ教授に最終チェックをしてもらい、2月にOUPに提出する。
提出稿には執筆者名やそれをうかがわせる情報はどこにも書いてはいけない。
その後、数ヶ月かけて、OUPでは外部の専門家による査読が行われるが、ひいきや忖度がないようにとの配慮だ。

査読後、OUPからは以下の様なランク付けで結果が送られてくることになっている。
*合格:そのまま掲載
*合格:少しの書き直し必要
*合格:大幅な書き直し必要
*不合格

噂では「合格:そのまま掲載」は非常に稀で、合格の場合でもほとんどの場合書き直しはさせられるようだ。

同時期にやはりOUPに論文を提出した友人の場合、2ヶ月ほどで「合格:少しの書き直し」の結果が送られてきたが、
その書き直し箇所は300カ所ほどあったそうで、査読の厳しさがよく分かる。

僕にはOUPからの連絡は提出後4ヶ月経っても来ず半ば諦めていたところ、7月の半ばに
「合格:少しの書き直し必要」の通知が送られてきた。
嬉しかったが、査読者と編集部からのコメントを読んでちょっと焦る。

査読者は二人居り、一人は幾つかの小さな指摘にとどまっている。
もう一人は好意的に読んでいてくれているのだが、二章ある本論の一章を省略し、残る一章をより詳細に書き直すことを勧めている。
自分としては省略はしたくないし、再提出の期限は2週間後。本論の半分を書き直していては間に合わせるのも大変だ。

クリス・ペイジ教授に相談したところ、省略は惜しいし大幅に変更の必要はないという意見なので、
それを参考に書き直しのプランを立てて編集部に送る。
同時に再提出の期限を数週間延ばしてくれるようにお願いする。

幸い編集部からは承諾が得られたので、夏は書き直しに邁進するが、日本に滞在中で手元にない資料もあり、
8月の中旬にロンドンに戻ってから再び大英図書館通い。

再び数人の友人たちに下読みをお願いして、9月に草稿をOUPに再提出。
編集部からの指摘に応えたり、何回かの校正を経て、数週間後に「全てOK」の返事が来たときはほっとした。

しかし、これで終わりではない。この後は論文中に使う図版や楽譜などの著作権をクリアーしないといけない。
これは非常に厳しくて、全ての著作者(博物館、図書館、個人、撮影者など)から許可証を得てOUPに提出しないといけない。
時間とお金もかかる。
例えば、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所有するエッチングの図版を論文に使う場合、
博物館にお伺いメイルを出して返信が得られるのが早くて3週間後、実際に許可証を発行してもらえるのは数ヶ月後だ。
許可をもらえない場合は論文そのものの書き直しも必要になる。
費用としては小さな図版一枚使うだけでも数万円はかかる・・・なかなか大変だ。
このことについてはまた別に書きたい。


今回、論文を書くに当たって自分自身気を付けたのは以下の様な点だ。

*必ず一次資料に当たること。
今回、論じた楽器と資料は全てオリジナルを自分自身で検分した。
たとえインターネットでオリジナルが閲覧できる場合でも、かならず手に取って観察することが大切。

*やむを得ず二次資料を使用する場合は、学術論文や研究書など信頼できるものにすること。
その場合でもかならず自分で裏をとる。特に発表後15年以上経っているものには注意する。
正直な感想だが、学術論文や研究書にも間違いはかなり多い、

*現代の目線で資料を「解釈」しないこと。
あくまでも当時それらの楽器がどのように使われ、音楽がどのように享受されたかを資料からくみ取る。
最近流行の「社会学的」アプローチは採らない。

*単なるトピックや思いつきの羅列ではなくて、その論文が他の真摯な研究者、後世に役立つものになること。

*自分が本当にはよく知らないことは書かない。
例えば、音楽教育を受けていない学者や評論家が音楽に関して意見を書くことや、
原典を原語で読めない人が翻訳を頼りにしたり、その内容を論じることはナンセンスだなと常々感じている。
・・・・・・・・・・・

拙論文: Re-discovering the Regency Lute はオクスフォード大学出版アーリー・ミュジック誌2018年2月号に掲載されます。


2017年7月17日

現代ギター誌「7月号」の拙稿「ジェイン・オースティン時代のギター音楽」の注釈です。
誌面の都合でカットされていますが、ここに補遺として載せておきますので、参考にしてください。





2017年5月29日

今年はイギリスの女流作家ジェイン・オースティン没後200年に当たる。


代表作は「ノースアンガーアビー」「説き伏せられて」「分別と多感」など。

熱心な音楽愛好家であったオースティンの作品には音楽や舞踏会の記述も多い。
オースティン家の音楽帖も伝えられいる。

ジェイン・オースティンは毎朝早く起きてピアノを数時間弾き、楽譜を筆写した。
お気に入りの作曲家はプレイエル。
美しい声で歌った。スコットランドの民謡が好きだった。
人前で弾くことはなかったが、ダンスの伴奏は好んでいた。好きな舞曲はコテヨン。
舞踏会では踊ることよりもむしろ人間を観察していた。

僕は今年はオースティン関係のコンサートを幾つか行う。(ロンドン、6月23日/ 東京、11月2日)
また現代ギター誌7月号に記事「オースティン時代のギター音楽」を書いた。
ここに短くまとめてみる。

オースティンの時代のイギリスでは各種のギター、リュートとその音楽が花開いていた。
楽器は、5弦および6弦のスパニッシュギター、金属弦のイングリッシュギター、リバイバルされたリュート、
ハープとギターのハイブリッドであるハープギター、ハープリュート、アポロリラなどなど。
教本や楽譜も多く出版されている。


楽器の弦数、調弦、音色などは異なるが、多くの場合レパートリーは共有していた。
楽譜の多くは簡素に書かれているが、奏者がそれぞれの技量により和声や低音などを付け加えて演奏するのが当たり前だったからだ。


これらの楽器のためのオリジナル作品としては、シュトラウベ、ジェミニアーニ、メルキ、ヴォイヤーによるものがある。
他、当時人気のあった作曲家、ハイドン、ヘンデル、プレイエルなどの編曲も多い。
楽曲の種類としては、ソナタ、舞曲、民謡の編曲、変奏曲などだ。

変奏曲は「作品」というよりも、奏者が様々なアドリブの技法を学ぶための教材的な性格をもつものが多い。

アンサンブル作品も少なくない。多くはヴァイオリンやピアノ伴奏のギター/リュート曲。
技巧的にはそれほど難しくなく、初見もしくは多少の練習で楽しめる作品が多い。
当時、音楽の合奏はメンバーが演奏を完成させるために努力するのではなく、
作品とお互いのコミュニケーションを楽しむために行われていた。


沢山のリュート/ギター歌曲も書かれている。
当時、一世を風靡した女優、歌手ジョーダン夫人はリュートの弾き語りを舞台で披露して喝采を浴びたが、
彼女の作品も多く出版されている。


ジョーダン夫人がそうであったように、これらの歌曲は通常弾き語りされた。
当時は歌を嗜まない音楽愛好家はむしろ珍しかっただろう。

歌詞はイタリア語とフランス語のものも少数あるがほとんどは英語。
モーツアルトのアリアなども英語の歌詞が付けられて出版された。
当時、自分が堪能でない言語で歌うことはなかったと思われる。


つまりこの時代の音楽愛好家にとって重要だったのは:

楽曲は様々な解釈が可能。
アンサンブルでは奏者間のコミュニケーションが大切。
一つだけではなく複数の楽器や歌を嗜む。
歌詞や内容が分からない曲は演奏しない。
人に聞かせたり技巧の修練が目的ではなく、自分自身が理解し楽しむ。

ジェイン・オースティン時代のギター音楽
6月23日:ロンドン・Daiwa Anglo Japanese House
10月?日:京都(TBA)
11月2日:東京・近江楽堂

 
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