ライン

日記

エッセイ風日記です。
(読み込みに時間がかかる場合があります。少々お待ち下さい)

ポーランド日記
(ナイジェル・
ケネディ/ポーランド室内管弦楽団とのリハーサル日記
:2003年11月3日ー11月6日はここをクリック

ドイツ日記
(ナイジェル・ケネディ/ベルリンフィルとのドイツ演奏旅行記
:2003年9月27日ー10月21日)はここをクリック


2017年2月28日


古い音楽を演奏していると、色々と調べものは多い。

楽譜もそうだし演奏法に関してもそうだ。
特にここ数年は、音楽系の学会でのレクチャーコンサートの仕事が多くなってきたし、
自分も論文を書いたりしているので、練習しているよりも調べものしている時間の方が長いくらいだ。

調べものをするにはロンドンの大英図書館(BL)に行くことが多い。
オリジナルの原典、特にイギリス関係の大部分はあるし、
アーリーミュージック誌など音楽ジャーナル、ニューグローブやMGGなど辞典類も充実している。
デスクの専用スペースも大きく、調べものにはうってつけの場所だ。


リサーチの際に大切なのは、なんと言っても信頼できる情報を得ることだ。

最も重要な情報源は当時の教本や楽譜、日記や新聞記事など一次資料。
現代に編纂、翻訳されたものではなく当時の原本あるいは複製されたファクシミリを見るのが大切。


次に大切なのはオリジナルの文献を研究、編纂した二次資料。
学術論文や研究書がそれに当たる。


楽譜の場合、新バッハ全集、モンテヴェルディ全集、ダウランドリュート曲全集など原典版は貴重だが、
全面的に信頼はできない。明らかな間違いもそれなりにある。
使用に当たっては校訂報告書(editorial notes)を丹念にチェックすることが必要だ。
校訂報告書の付随していない楽譜はすなわち、いい加減に校訂されているのと同義なので、
使わないほうが良い。

ネットのIMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー)は非常に便利だが、ファクシミリ以外は使わないのが無難だ。
載せられている原典版は古い版で時代遅れだし、校訂楽譜は素人さん作成によるものが多い。
http://imslp.org/

楽譜に限らず、音楽関係で信頼できない出版物は山のようにある。
楽器の歴史や写真集などの多くはそうだし、歴史や文化史的なものでもそうだ。
現代の随筆や評論、CDやコンサートの解説などは真摯な研究にはまず役に立たないと言って良い。

現代の資料が読むのに値するかどうかは、注釈(脚注あるいは文末注)と文献表があるかどうかで判断できる。
一般向けの書物でも、著者が訓練されており、学問的に良心的な場合は注釈と文献表をつけているはずだ。


文献表はあっても注釈のない書物も多いが、これにはことさら注意した方が良い。
注は著者の論考を裏付けるエビデンスを明らかにするものだが、
ない場合、まず例外なく著者は主観を多く交えて執筆している。
いかに多くの本が文献表に載せられていても、それらはいわば虚仮威しの役割だ。

同様にネットの情報は、wikiなどを初めとしてまず信頼できないと言って良い。
例外は、図書館や大学出版局、学会などがオリジナルの文献や研究論文を
ネットにアップしている場合で、これらは有料の場合も多いが非常に便利。

例えば;
フランス国立図書館のサイト:http://gallica.bnf.fr/accueil/?mode=desktop
無料で文献をダウンロード可能。

アーリーミュージック誌(オクスフォード大学出版局):https://academic.oup.com/em
登録すると論文を閲覧できる。

これらは非常に便利。積極的に利用していきたい。



2017年1月31日


王立音楽院の博物館でスペンサー・コレクション特別展を見る。


ロバート(ボブ)・スペンサーは1997年に物故したイギリスのリュート奏者/音楽学者。王立音楽院(RAM)教授。
演奏家としてはリュートソングの弾き語りで知られていた。

研究者としては多くの論文を書いたが、 
ことにEM誌に発表した「キタローネ、テオルボ、アーチリュート」は混同されがちな大型通奏低音楽器を詳細に考察、分類したものは金字塔と言える。


彼は膨大なリュート/ギター関係の原典、オリジナル楽器を収集し研究と実演に使っていた。


ダウランドの原典「ボードリュートブック」、バロックリュートの資料「バーウェルリュート教本」なども彼が発見して研究、ファクシミリを出版している。


と書くと、大変な資産家のようだが、決してそうではなく彼は非常な倹約をして楽器や資料を集めていたらしい。
そして、惜しげもなく演奏者や学生にその資料や楽器を使わせてくれた。

僕自身、ギルドホール音楽院時代にボブの私設図書館に数度お邪魔して、
資料を検分、またオリジナルの楽器も弾かせてもらった。

今でもあの感動は忘れられない。
オリジナル楽器や一次史料を最も重んじる姿勢になったのもボブのおかげだと思う。

1997年の没後、彼の収集した文献と楽器の多くは王立音楽院に寄贈され、
真摯な研究者や演奏家には公開されている。↓はリンク。
http://www.ram.ac.uk/museum/collections/collections-highlights/instrument-collections/spencer-collection

つくづく、こういう真摯な研究者/演奏家によって古楽は復興してきたのだと思う。

彼らの業績を無駄にしないためにも、僕らは地道な努力を続けたいものだ。
古楽の世界ではまだまだ分かっていないことが多いのだから。



2016年11月23日

ひと月ほど前、ベルギーの音楽学者グリートさんから演奏依頼が来た。

11月のロンドンでのリュート協会で17世紀の手稿譜に関してのレクチャーをする際、バロックギターを演奏してほしいとのこと。
喜んで引き受けることにして、早速手稿譜のデジタルコピーを送ってもらう。

Hs. 3893/3、通称ゲント手稿譜はゲント大学の図書館で最近発見されたもので、17世紀中頃の成立。
12コースリュート、11コースリュート、ハープ、シターン、そして5コースギターの作品が収められている。

ギターの楽譜は17世紀に一般的だったアルファベートで書かれている。
コードと基本リズムのみ書かれている、いわば即興演奏のひな型楽譜だ。


楽譜中のアルファベットは当時のコードネーム。↓のような対照表が当時のギター教本にはある。

現代のコードに直すと、十=Em, A=G, B=C, C=D, D=Am, D=Em, F=G, etc.
ただし当時のギターには様々な音高の楽器があったので、上は1弦ミの場合だ。

縦線はギターのラスゲアード奏法のアップとダウンを示している。
中央の線の下にあるのはダウン、上はアップ。ダウンは強拍、アップは弱拍に主に使われる。

通常アルファベートには拍子記号や小節線は書かれておらず、楽譜のみから(未知の)音楽を再構築するのは不可能な場合が多いが、
収められている曲は当時人気のあったものが多いので、他の版を参考にして演奏することは出来る。
なので、こういう楽譜を読むには当時の音楽一般に関しての知識はあればあるほど良いし、
逆にそれがない場合は全くお手上げだったりもする。
この記譜法は16世紀末から19世紀初頭まで広くヨーロッパ各地で使われており、ギターを弾く人はもちろん、
そうでない人もある程度は読めたのではないかと思われる。

今回は僕自身がよく知っていて好きな曲を数曲選んだ。今回はその中の「大公のバッロ」について書く。
楽譜はこんな感じ。


タイトルにBallo del Gran duca per b とある。ザクッと訳すと「大公のバッロ ハ長調」となる。


最初の部分を現代のコードネームとリズム記号に書き換えるとこんな感じ。
↓はダウンのかき鳴らしで↑はアップ。


この曲の場合、たとえタイトルが書いてなくとも最初の数小節のコード進行(C-G-Am-C-F-G-C)で、
イタリアのルネサンス/初期バロック音楽をある程度知っている人は「大公のバッロ」「フィレンツエの歌」
「優しいラウラ」などの題名で知られている曲であることに思い当たるだろう。

これは16世紀末ー17世紀にヨーロッパで最も愛された曲の一つ。
現代に例えると、ビートルズのイエスタディかレット・イット・ビーみたいなものか。

作曲者はエミリオ・ディ・カヴァリエリ。ローマ、フィレンツェなどで活躍した作曲家だ。
代表作に1589年のメジチ家の婚礼のために書かれた幕間劇「ラ・ペレグリーナ」があり、
神が地上の人間にリズムとハーモニーを教えるシーンがある。
↓は舞台の様子。


ここで歌われ踊られる合唱曲「おお、なんと新しい奇跡」では親しみやすい旋律がリズムと拍子を変えて現れるが、
この曲こそが「大公のバッロ」の原曲なのだ。

↓はタヴァーナーコンソートの演奏にイギリスのプロダクションが振付したもの。なかなか良くできてる。
https://www.youtube.com/watch?v=QvKLBzAWOkg&list=PL0clH6LNQvkV4CaoYkw1ipKCNv-NX3pQC&index=8

楽器としては「スペイン式のギター」つまり5コースの「バロック」ギター、
および「ナポリ式の小型のギター」つまり4コースの「ルネサンス」ギターの指定がある。


この曲は非常な人気を得て、瞬く間にイタリアで、そして他の国にも広まった。
もともとギターで弾かれた曲なので、ギターやリュート属のための編曲が多いが、
他の楽器やアンサンブルのための版もある。
題名としては「大公のバッロ」の他、フィレンツェで上演されたので「フィレンツェの歌」Aria di Firenzaと呼ばれることも多い。


イタリアのダンシングマスター、カローゾは1600年に「優しいラウラ」Laura Soaveの題名でこの曲の振付を発表している。


いわゆる古典舞踏の振り付けの記譜にはいくつかの方法がある。

よく知られているのは、記号でステップと図形を示すもので、フィエ・ボーシャン・記譜法と呼ばれたりする。
この記譜法は1700年頃から使われている。ちなみに↓はスペインのフォリアの振り付け。楽譜の下にあるのはカスタネットのリズム譜である。


カローゾの場合は振り付けはすべて言葉で書かれている。


現代の英訳もある。



楽譜は旋律とバスおよびリュートタブラチュアで書かれている。


原曲通り2拍子系で始まり、3拍子のガリアルド、サルタレッロそしてカナリオとなり、
音楽と踊りはより速さと激しさを増していく。
まさに神々が人間に音楽と踊りの楽しさを次々と教えていくように。



ゲント手稿譜でも3拍子のコレンテ La sua Corentaが続く。カローゾ版ではサルタレッロにあたる音楽だ。


リュート協会のコンサートでは大変楽しんで演奏した。
ヴィデオはここ!https://www.youtube.com/watch?v=IPQT_mLGezQ&feature=youtu.be
(5:30くらいから。音量が低いので外部スピーカーかヘッドフォンが必要)

見ている楽譜は簡素だが、弾きながらフィレンツェのラ・ペレグリーナの舞台やカローゾの振付、
この曲を愛奏していたであろう17世紀の幾多の音楽愛好家たちに思いを馳せる。
ギター1本で時間と空間を超えることができる瞬間だ・・・



2016年9月22日


この夏は日本に滞在。講習会やミニコンサートなど楽しい日々を過ごした。

中でも面白かったのは横浜で開催した「オリジナル楽器で遊ぶ会」。
もう数回目になる催しで、17-20世紀初頭あたりに作られた古い楽器を皆で持ち寄り、
鑑賞、試奏、自慢((^_^)、そしてアンサンブルなど行う会だ。

今回は珍しくもオリジナルのリコーダーが2本(1本は象牙)、象牙のトラヴェルソ2本を含むフルート、
イングリッシュギターが2本、バロックギターと19世紀ギターが数本、古典マンドリンなどが集まった。



また18-19世紀のカスタネットも。


参加者はすでにオリジナル楽器を所有して演奏している人がほとんどで、
楽器の扱いや試奏の方法などいずれも穏当で、気持ちの良い会であった。

オリジナル楽器を試奏する際に念頭に置いておきたいことに、拙速に楽器の良し悪しを判断しない・・・ということがある。

プロアマ問わず古楽を演奏する人は、ともすれば「これは素晴らしい!」とか「あまり良くないですね」みたいに、
すぐに自分の意見を言えるのが良いとされている傾向があるように思う。楽器に関しても、演奏についても。
なんだか、一種の「すぐわかっちゃう感性」を持っているのが優れている証拠!と思われているみたいだ。

でも、考えてみよう。
現代に作られたコピーのリコーダーやバロックギターを幾つも演奏した経験があっても、
それらはほとんどの場合、現代人の趣味や嗜好、演奏法に合わせて作られたいわば現代楽器だ。
評判の高い製作家ほど現代人の嗜好に敏感であるとも言えるし、
特に日本で入手しやすい楽器にはそれが顕著だ。

対して古いオリジナル楽器は、僕らとは異なる日常、習慣、教養、音楽的嗜好を持っていた数百年前のヨーロッパ人が使っていものだ。
僕らがその一つを手にして音を出してみても、その美しさや扱い方がすぐに分かるとは限らない・・・というか分からなくて当然だろう。

オリジナル楽器に初めて触れた人の感想は、ともすれば「あまり鳴らない」とか「音程が悪い」みたいになりがちで、
「古くてダメになっている」と簡単に思ったりするが、そこで「当時は音量と音程に対する感覚が僕らとは違ったんだ!」とか
「自分の奏法では通用しないんだ!」と気づける人はあんまり多くない。

ゆっくり時間をかけてオリジナル楽器に接していると、19世紀までの楽器は「音量よりも音質と弾き心地、均一さよりも語り口の豊かさ」が
重視されていたことが朧気ながらも分かってくる。

楽器の仕様としても、リュートには太いガットの低音弦、フレットを二重に巻くダブルフレット、
リコーダーのシングルホールなどが市民権を得ていたのはそのためだ。
当時すでに低音の巻き弦、シングルフレット、ダブルホールなどは知られてはいたが、ほとんど使われていなかったのだ。

古楽が親しまれるようになって久しいが、僕らはまだまだその時代の楽器から学ぶべき事は多いと思う。


また、不思議なことだが、日本の古楽器製作者のうち、オリジナル楽器に強い関心を示す人はあまり多くない。
僕はセラス、ヴォボアン派、ランベールなどの希少と言えるオリジナル・バロックギターを使って日本でコンサートを行ったが、
計測や検分の申し込みはこれまでほとんどない。
日本で活動されている佐藤豊彦さんの持つ超希少なオリジナルリュート「グライフ」を検分した日本在住の製作者も皆無だと聞くが、
つくづくもったいないことだと思う。


2016年6月26日

CD録音を行った。

場所はレドバリーのタウンホール、18世紀の教会の集会場。

レドバリーの博物館所蔵のリージェンシー・リュートを用い、
ハイドン、モーツァルト、プレイエル、ヴォイヤ-、ジョーダン夫人などの作品を録音した。
歌との共演も2曲ほど。


いずれの作品も楽しんだが、今回興味深かったのはジョーダン夫人の作品。
ジョーダン夫人は18世紀末から19世紀初頭に主にロンドンの王立劇場で活躍した女優、歌手。
後のウイリアム4世のミストレスとして10人の子どもをもうけてもいる。


彼女は1790年頃からリュートの弾き歌いを舞台で始め、それが大ヒット。
数々の楽譜が「ジョーダン夫人がリュート伴奏で演奏したそのまま!」の謳い文句で発売された。


ロンドンでは数冊のリュート教本/曲集が続いて出版され、人気のほどが偲ばれる。
かのジェーン・オーステンの日記にも「ロンドンにジョーダン夫人とオペラハウスを見に行くことは・・・」の記述がある。

今回録音したのはジョーダン夫人作曲、シェンストン作詞の[Go tunefull Bird]。
リュートパートはなかなか弾き甲斐があった。


録音を聴くのが楽しみだ。



2016年6月10日

再来週にCD録音をすることになっている。

お題は「リージェンシー時代のリュート音楽」
リージェンシー(摂政)時代とは狭義には1811年から1820年までの期間だが、
広義には18世紀末から1830年代までを指す。

イギリスでは17世紀の後半からリュートのソロはあまり弾かれなくなり、
1720年ころから通奏低音楽器としても段々使われなくなった。
おそらく1740年頃にロンドで出版されたコレッリの「2つのヴァイオリン、通奏低音、アーチリュートのためのソナタ」
が最後の出版物だろう。

18世紀の末にロンドンでリュートのリバイバルが行われる。
楽器は通常10本の単弦を持ちLUTEあるいはMODERN LUTEと呼ばれた。
楽器は当時新たに製作された他、16,17世紀の古いリュートが改造されて使われている。
楽譜や教本も出版され、僕が確認しただけでも200曲ほどの作品がある。
当時流行した旋律やダンスの編曲が多いが、
ソナタやロンドやリュート伴奏つきの歌曲など興味深いレパートリーも多くある。



残されている楽器は世界でも数台しかない。
僕が弾いている楽器はロンドンのブッキンガー作、1800年頃のオリジナルリュート。
おそらく現時点では唯一の演奏可能なリージェンシー・リュートだ。
その当時そうであったように、ガットと巻き弦を張って弾いてみると実に弾き心地良く美しい音だ。
弾いていても陶然となる。

収録する曲は、モーツァルト、ハイドン、プレイエル、ヴィオッティ、ヴォイヤーなどの作品。
楽しみだ




2016年4月15日

ケンブリッジのシドニーサセックス大学で開かれたアーリーギター学会に行ってきた。
4月9日-12日の4日間。


5年前に設立されたリサーチグループでヘッドはクリストファー・ペイジ。
メンバーはブライアン・ジェファリ、トーマス・ヘック、ポール・スパークスなど名だたる学者が揃っている。


今回のプレゼンの内容はざっと次の通り。
ソルの署名入りのラコートギター
19世紀初頭のイギリス文学におけるギターとソファ
リラギターについて
レージェンシー時代のハープギターとリュートと作品について(竹内)
アグアドの経済状態について
ソルの作品におけるマーチのテンポ
18世紀後半のオランダのギター音楽
カストロの生涯と作品
19-21世紀に於けるギター研究の軌跡


二日目には大学のチャペルでコンサートも行われた。
演目は
ソル:悲歌的幻想曲
ソル:セギディーリャ
ハイドンのエアー(竹内)
ジュリアーニ:フォリアによる変奏曲
ロッシ:マンドリンのための作品

など


次のミーティングは2年後。楽しみだ。




2016年3月31日

古楽講習会で教える機会は多い。

ヨーロッパでは年に2回ほど、
日本では関東、関西、名古屋、浜松である程度定期的に、九州もしばらく前まではよく行っていた。

講習会は楽しい。
いろいろな人と会えるし、演奏が聴ける。自分の勉強にもなる。

講習会で気をつけているのは以下のような感じ。思いつくままに。

個人の発表の場にならないこと。
講習会は皆で楽しく勉強する場でありたい。

経験者が初心者をミスリーディングしないこと。
しばしば古楽経験者が入門者にいろいろ教えてくれるが、内容が適切でない場合も多い。

現代の演奏家の噂話をしない。また現代の教本や資料はなるべく使わない。
僕らが対象としているのは昔の西洋の音楽。その話をしたい。

難しい作品を弾かない。
技術的音楽的に難しい曲は、音を出すだけでも精一杯になってしまい、音楽する余裕がない。特にバッハは鬼門。
受講生が簡単すぎると感じるくらいの曲で大抵はちょうど良い。

アンサンブルでは通奏低音奏者がリアライズされた(タブラチュア含む)楽譜を使っていないこと。
リアライズされたパートを用いる限り緊密なアンサンブルは不可能だと思う。数字付き低音を読めるようにするのが先決。

ピッチ、旋法、音律などの話題に深入りしない。
受講生の知識披露大会になりがち。しかもホントに分かって喋っている人はむしろ少ない・・・

原則として楽器経験者の聴講/見学は受け付けない。
僕の講習会では必ず即興のセッションを行う。ある意味で皆が自分の音楽を飾らずに正直に表現する時間だ。
その際に傍観している人がいるのはアンフェアーだと思う。ちなみにセッションだけの参加は無料

講師の模範演奏はなるべく行わない。
どのように演奏するかを決めるのはあくまでも受講者自身。
こちらが出来るのは当時の奏法、作品の構造と沿革を客観的に明らかにして、演奏の土台を整備すること。

リュートやアーリーギターにはガット弦、せめてナイルガットを張ってきて欲しい。
ナイロンや巻き弦を張ったリュートではテクニックは勿論、音楽の作り方も変わってしまう。
「本来はこうやって弾くものです(ガット弦では)」みたいなレッスンはなるべくしたくない。

対症療法的なレッスンをしない。
難しすぎる曲を弾いている場合は、迷わず平易な曲に切り替える。その方が絶対にためになるから。
受講生が発表会やコンサートを控えている場合はなかなか難しい・・・

編曲作品は避ける。
その楽器本来の奏法や語法を学びたいのだったら、その作品のために書かれた曲を弾くのがベスト。

装飾には深入りしない
装飾は大事な要素だが、その曲の和声や様式が分かって初めて効果的に用いることができる。
最初から装飾に言及してしまうのは良いレッスンではないと思う・・・



2016年2月8日

先週のリュート協会からすでに1週間。

僕にとっては楽しく充実した会だった。
リュート協会の世話役からも「リサーチと演奏の分野両方で新しい人材が出ていることを嬉しく思います」
とのコメントが出演者に向けて寄せられた。

僕が少しだけ気になったのは、演奏した若手リュート奏者二人ともが、
かなり高張力の合成樹脂弦/巻き弦を張り、言ってみればバリバリとスポーティに弾いていたことだ。

音量はそれなりにあり、テンポの速い演奏。
ただ、僕には音色の色彩感は感じられず、技巧ばかりが目立った。、
一般受けはするかもしれないが、(バロック)音楽の持つ修辞や語りの要素はあまり聞こえてこないように感じた。

リュートがある程度大きな会場で演奏されるのが当然の現代、このようなアプローチはまあ仕方ないとも言える。

17世紀のバーウェルリュート教本によると「リュートはほんの数人の聴き手のみが可能」だし、調弦にも時間が必要だ。
歴史的であろうとすればするほど、公開の演奏会は難しくなる。

でもやっぱり残念に感じる。
「どのようにして現代の聴衆にアピールするか」も大事だが、「本来どのようなものであったのか」
をまず探求するのが大切だと思うのだ。

これは一つにはガット弦の使用が浸透していないこともあると思う。
ガット弦を張ったリュートの特徴はその修辞的な鳴り方にある。
不均等でファジーな響きはまさに人の声のようだ。

ガットを使わないと音色に面白みがなく、奏者は速いテンポで弾きたくなってしまいがちだ。
そして音の粒を揃え均等な演奏を目してしまう。

残念ながら現代のリュート奏者のほとんどは合成樹脂弦/巻き弦を依然として使っているし、
ガットの経験が皆無の奏者も少なくはない。特に若手奏者でガットを使っている人のことはあまり聞かない。

これはバロックヴァイオリンやチェロなどでも同様らしく、
ヨーロッパのバロックオーケストラの奏者でも、合成樹脂の疑似ガット弦や
ガットにナイロンのコーティングを施したいわば「ハーフガット弦」の使用が増えていると聞く。

音楽院の古楽科ではガット弦の講座を設けるべきだと思う。
併せてダブルフレットなどリュートの歴史的セッティング、歴史的奏法の講座もあるべきだろう。

それらに関する知識と体験を持っていると、たとえ(やむを得ず)ナイロン弦を使う場合でも、
音楽の作り方は明らかに異なってくる筈だ。

リュートやバロックギタ-、バロックヴァイオリンなど含めて「古楽」はいまや立派に一つのジャンルとして確立したと言える。
コンサートも多いし、古楽科のある音大も増えてきた。
しかしその「古楽」が「現代の商業古楽」だけでは困るのだ・・・



2016年1月30日

ロンドンのリュート協会例会。

今回僕は複数のプレゼンと演奏に関わった。プログラムは以下の通り。

10.30 Coffee

11.00 The Ledbury Lute: a very rare museum example of a Regency period ‘Modern Lute’
plus an original Apollo lyre and a Light harp-lute; a talk by Chris Egerton, with demonstrations by Taro Takeuchi


12.00 Mini-recital music of Dowland, Kapsberger and others, by Yavor Genov

12.45 Lunch

2.15 An original instrument project,
a talk with mini-recital on original 18th century guitars (Baroque and English) from a museum in Japan, by Taro Takeuchi


3.15 Who was Behind the Making of the First Spanish Guitars in London?
a talk by James Westbrook of The Guitar Museum; with a chance to see an early extant example belonging to Taro Takeuchi.


4.00 Tea, wine and home-made cake 

4.30 The Lute Society Recital, Jadran Duncumb performs baroque lute music by Gallot, Mouton and Weiss

まず11時からは「レドバリー・リュート」のプレゼン。

イギリスでは1800年頃にリュートの一種のリバイバルがあった。
フラットバックにテオルボ式のネックを持つ楽器で、「リュート」あるいはしばしば「モダンリュート」と呼ばれた。
シャブラン、ボルトンその他の奏者/作曲家が教本と曲集を出版し、著名な歌手によっても舞台で使われた。
現存している楽器は非常に少なく、世界でも数台しか認められないが、
ごく最近英国のレドバリーの街の小さな博物館で状態の良いリュートが見つかった。


古楽器修復家クリス・エガートンと僕は早速博物館に駆けつけ、楽器を修復し、演奏会およびレコーディングをすることになった。
今回はその楽器のロンドンにおけるお披露目だ。

プレゼンではクリスが楽器の構造や修復に関して話しをした。
僕はこの時代のリュートとギターに関するレクチャーを行い、数曲をデモ演奏した。


フラットバックの単弦ガット弦のリュート、音色はハープのそれに近い。
非常に美しい音で弾いていて気持ちが良い。流行ったのもよく分かる。


12時からはハンガリーの若手奏者のリュート演奏。カプスベルガーその他のプログラム。
非常に真面目かつ意欲的な内容と演奏だった。

昼食後には僕のプレゼン「オリジナル楽器プロジェクト:浜松楽器博物館との仕事」。


浜松市楽器博物館とその活動を紹介し、僕が演奏したCD「可愛いナンシー」が出来上がるまでを話した。
その後はコンサート。 バロックギターとイングリッシュギターでコルベッタ、シュトラウベ、ド・ヴィゼなどを弾いた。


午後3:15分からはウエストブロック博士の講演「イギリスで最初に作られたスパニッシュギターについて」

18世紀の後半、イギリスでは「イングリッシュギター」と呼ばれる指弾きのシターンが流行していた。
8の字型のボディを持つ「スパニッシュギター」も弾かれてはおり、18世紀の末には5単弦、19世紀の初頭には6単弦となった。
ギター製作はロンドンの楽器製作者/楽器商ロングマンが多くのスパニッシュギターを職人達に発注していたらしい。
僕はお話しの後に、ロングマンの6弦ギター(1810年頃、ロンドン)でデモ演奏。シャブランの曲集からオペラアリアの編作を弾く。


ワインの後、ジェイコブ・リンドベルイの弟子だという若手リュート奏者が主にフレンチバロックを披露。
こちらも非常に達者な演奏だった。

今回も楽しい会だった。終演後に皆とパブに行きビールを一杯。ほっとする・・・

1800年頃のハープギター:今回その鳴り方がもっとも注目を集めていた



2014年12月25日

パリでジャン・ローラン・マスト作のバロックギターを買う。パリ、1780年頃の製作。


マストのギターはすでに1本所有しており、ステージでも使っている。

たとえばこのライブ https://www.youtube.com/watch?v=iTFdAcnNfXw

マストのギターの多くは言わば質実剛健、装飾はシンプル、材料は良質、厚めの板圧。
音色は美しく音量感もある。ヴァイオリンで言うならガルネリだろうか。

今回入手した楽器は、オリジナル5コースギターとしては珍しく綺麗に修復済みの楽器。

ただ、修復の方針がいくつか必ずしもオーセンティックではないようにも思われるので、
思い切って自分でいくつか調整を施すことにした。

弦長615ミリ、全長86センチ。かなり小型のギターだ。

弦は日本製と思われるフロロカーボンが張られている。独特の重く均一な響き、
弦高はまあまあ、フレットは太めが巻かれている。第1フレットが約1ミリ。
小型のボディ、短い弦長にもかかわらず音量もあり響きは驚くほど強く豊かだ。

まず、弦,フレット、ペグを外す。

ボディ内の埃を出すため、お米を入れて振って出す。


ボディ内部をファイバースコープで観察。
綺麗だが表面板裏側、ブリッジ辺りにプレートが張られている。


プレートは強度を確保し、各弦の響き、和音の響きを均一にする働きがある。
オリジナルではないのは確実なので、小さなカンナで削り落とす。


力木が緩んでいる箇所を接着。

現状でのブリッジの孔の位置は表面板から6ミリほど。
やや高すぎるので4ミリの位置に孔を開け直す。手動の小さなドリルを使う。


ペグの形は良いが、エッジが立っていて指が痛くなる。
ヤスリでエッジを落とす。ペグチョークを使ってフィッティングも調整しておく。


低音用のペグは太いガットが通るようにドリルで孔を広げる。1.5ミリ径。


指板はおそらく修復の際に交換されている。
ストレートな指板だが、18世紀後半のフランスのギターの指板の多くは軽いカーヴ゛を持っている。


指板自体も厚めなので、スクレーパーで丸みをつけておく。

削った後はペーパーとスチールウール、オイルで仕上げする。

ガット弦を張るようにナットの溝を彫り直す。


ガット弦を張って、フレットを巻き直す。
とりあえずシングルで巻き、しばらく様子を見てからダブルにする予定。


ニス落ちした箇所を軽くリタッチし、喪われた象牙のボタンを再生して装着。
これで一応の完成!


表面板保護板を用意する。
ラスゲアードから表面板を護るためのもので、
コピーの楽器につけることはないが、古いオールド楽器は表面板も傷みやすいので、僕は装着することが多い。


ストラップを付け演奏できる状態。


弾いてみると、苦労?の甲斐あって弾きやすく、良く響く楽器になっていると思う。
弦の選択や弦高などのセッティング、この楽器が生きる弾き方などは、
これからいろいろ試行錯誤しながら、楽しく演奏しているうちに見えてくるだろう。
新年の講習会やライブで使ってみようと思う。

次はケースだ。
折角の小型ギターなのだから、持ち運びの容易な小さくて軽いケースが欲しい・・・
(続く)



2015年10月17日


「蛍の光」は日本では卒業式の際に、イギリスでは年末年始や別れの際に歌われることが多い。
3拍子版は「別れのワルツ」として、ビビアン・リーとクラーク・ゲーブル主演の映画「哀愁(ウォーターロー・ブリッジ)」に使われて流行した。


この曲の原曲について調べてみた。

原題はAuld lang syne、スコットランドの綴りだ。英語ではOld long since。
日本語には訳しにくいが「随分時間経ったね」「久しき昔」みたいな意味だ。

曲の感じからして19世紀中頃くらいの成立かと思っていたが、案外古く18世紀の中庸から出版されている。
民謡だから起源はもっと古いだろう。

旋律にはいくつかの形があるが、いずれも「蛍の光」の原曲であることはわかる。


よく知られている歌詞は「旧友と久々に会い酒を酌み交わす」内容だが、
これはスコットランドの詩人ロバート・バーンズが1780年頃?に新たに作り直したもので、もともとの民謡の歌詞ではない。


民謡としての歌詞には多くのヴァリエーションがある。
僕が好きなのは以下のヴァージョンだ。1750年ころにすでに歌われていた歌詞だ。
「兵士の帰宅」の副題がある。僕の訳を載せる。

あなたのことばかり考えていた
ケガをして帰ってきたひと
戦いで得た名誉の負傷
お帰りなさい、私の可愛い人

その腕で私をしっかり抱いて、私を癒やして
こんなに長い間会えなかったのだから・・・

私たちの回りには沢山のキューピッドが踊っている
あなたと歩く森の中では全てのものが微笑んでいる
あなたがお帰りになってから、太陽と月は輝きを増した
小川は優しくささやきながら流れていく
ずっと昔からそうしているように・・・ 
(Taro Takeuchi)




2014年10月11日


英国中央部のマナー・ハウス「オウルペン・マナー」でコンサート。

マナーハウスとは荘園にあるいわば貴族の邸宅。現在ではナショナル・トラストなど国が管理しているところも多い。
オウルペン・マナーは16世紀に建てられ、現在は個人の所有。
ケンブリッジで哲学を専攻したというインテリのオーナーとその家族が住んでいる。
ホテル、結婚式場などのイヴェント会場としても用いられている。


付属の教会を会場として二日間にわたる音楽フェスティバルが行われ、僕は二日目に出演。
18世紀のバロックギターを使い、ド・ヴィゼ、バッハその他を演奏する。非常に楽しいコンサート/滞在だった。


ところで、このオウルペン・マナー、歴史のある建物だけあって、ゴーストストーリーでも有名。
いくつものTV番組が製作されており、youtubeでも視聴できる。
https://www.youtube.com/watch?v=HQ0AeiQjERE



また、これまでにここでコンサートをした友人からもゴーストめいたものを見た/感じたという話は幾つか聞いている。
確かに古い建物に調度品もアンティーク、雰囲気は充分だ・・・


で、僕にも不可思議なことが起こった。
断っておくが僕はオカルト派ではない。全くそのようなものは信じない人間だ。

ともあれ:
オウルペンに行く前日、フェイスブックで関係者とチャットしていた。
こんな感じだ。英語のチャットだが日本語に直しておく:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相手(A):いよいよ明日ですね・

       僕(T):楽しみにしています。

A:どうぞお気をつけて

       T:ああ、ところでそちらにゴーストが出るっていうyoutubeがありますね。
       真夜中にカメラ片手に探検しようかな(笑い)
       (僕がyoutubeのリンクを送る)

  ここで先方でも僕でもない書き込み発生!

    ??:私も行くのよ!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


僕は最初この書き込みを先方が書いたものだと思ったのだが、形としてはこちら側からの書き込みになっている。
やはり不思議なので、思い切って電話をかけて聞いてみた。
そうすると、もちろんそんな書き込みはしていないという・・・・Spookyである・・・

で、翌日、共演者たちとそんな話をしながら電車に揺られてオウルペン・マナーに着いた。

オーナー夫妻と楽しく話していた際、奥さんがドキッとすることを仰った。
なんでもこのマナーハウスに出没するゴーストの一人、
9歳の少女はしばしばPCにメッセージを残すそうである(実際に見せてもらった)。

昨今、ゴーストもハイテクなのですね・・・(実話です)

下は僕が泊まった寝室。
ヘンリー6世のお后だった「アンジェのマーガレット妃」のゴーストが出るという噂の部屋だが、
特に何事もなくゆっくり休んだのでありました。


(ただ、真夜中に部屋の外の階段を駆け上がる音はした。少女のゴーストがそこに出るという話ではあったが・・)



2015年9月24日

英国では合唱はとても盛んだ。

大学付属のチャペルや一般の教会にも聖歌隊があり、学校や企業、地域の合唱団も多い。
それらのレベルは高く合唱王国と言われるのも納得がいく。

僕らも合唱団との共演の仕事・・・モンテヴェルディ、バッハ、パーセル、ヘンデルなどは多い
先日、アマチュアの女声合唱団のコンサートに出た。14人ほどの小編成だ。

プログラムはイングリッシュマドリガル数曲、メンバーのソロと重唱でダウランドのリュートソングやイギリス民謡など。
僕はリュートとバロックギターで伴奏、ソロも二曲ばかり。
楽しいコンサートだった。


コンサートに先だって数時間コーチングする。

メンバーにはそれなりに年配の方も多い。
彼女らは特に厳しい声楽の訓練を受けているわけではないが(いや、それだからか)
実に素直な発声で自然に歌う。何よりも言葉を大切に歌っているので伴奏も容易で楽しい。

(当然ながら)彼女らの母国語の英語はとても自然で美しい。


気がつくのは決して大きな声を出そうとしたり、レガートに歌おうとしていないことだ。
あくまでも自然に歌詞を語っている。力が入っていないので音程も綺麗で、こちらの弾いている対位法的声部や和声にもピタリとハマる。

また声を自分の身体の中で響かせようともしていない。
つまりヴィブラートも抑制されていて、このことも音程の良さ、言葉の明瞭さに繋がっている。

こういった歌い方は、ある種のモダン声楽からすると歓迎されないことかもしれない。
「声量、レガートさ、響き」が重視されている世界から見ると。


しかし僕の経験では、「大きな声で、レガートに、ヴィブラートを使って」歌おうとすると力が入ってしまいやすい。
音色は乱れ、歌詞は聞こえなくなり、縮緬の様なヴィブラートがかかり、音程が悪くなり、聴きづらいものになることも多い。

プロでもそうなる人も居る。いや、声量を重視するプロこそそうなりやすいのかもしれない。



歌手には「高い声がエライ」信仰みたいなものもあるようで、リュートソングなども高く移調して歌う人が居たりもする。
高い音を披露したいのか、物足りなく思ってしまうのかもしれない。

しかし、高い声は歌詞を聴きづらくする。
リュートソングが低めの音域で書かれているのは、あくまでも歌詞を語ることが重要だからだ。
ダウランドのリュートソングなどはモダンピッチよりも2度か3度は低く歌われていたという説もある。
このくらいの音域になるとまったく「語るように」歌うことが出来る。


このように考えると「声量、レガート、響き」を重視する巷の「声楽レッスン」は、むしろスポーツの練習に近いところがあると思う。

それを一概に否定するわけでは無論ないが、特に古い歌曲を歌う場合は、それらが歌われていた環境や背景などに思いを馳せれば良いと思う。
リュートソングやマドリガルはあくまで自分自身のため、そして少人数の聴き手や共演者と音楽を共有するために書かれているのだ。

コーチングでは「大きな声でレガートに歌わない」ことをアドヴァイスするだけで、
音楽的精度、アンサンブルの緻密さ、表現力が上がることはこれまでに何度も経験している。



2015年9月16日

この夏は一月ばかり日本に滞在した。楽しい数週間だった。

今回は、個人/グループでのレッスンの他、東京での古典舞踏研究会ではレクチャーとダンスバンド、
びわ湖ホールでの関西古楽講習会、それから沖縄でのライブなどを行った。
どれも楽しい催しだった。主催者の方たち、関係者の方たちには感謝の限りである。



・・・で、それはそれとして、日本に滞在するたびになーんとなく気になってしまうのだが・・・

日本は様々な分野でイヴェント的発表が盛ん、かつ重要視されているように感じる。

音楽教室に通う子供は半ば強制的に発表会に出されることも多く、
中学、高校の合唱団やブラスバンドにとってはコンクールはしばしば最大の目標だ。
大学のオーケストラでは著名な指揮者を招いての大曲演奏が当たり前だったりする・

で、これが音楽のホントの理解や楽しみに繋がっているかと言うと・・・
僕はあんまりそうは思わないのだ。

音楽の喜びとは、楽曲の沿革や構造を理解し、それを自分の身体を使って表現すること、
音を使って共演者や聞いている人とコミュニケーションをとることだと思う。

しかし、人前で発表することに重きを置いてしまうと、肝心の音楽の勉強や楽曲の理解がおろそかになる場合が多い。
早い話が「少々無理でも頑張って、人前で演奏してもおかしいと思われない」
あるいは「他人がやっていないことをわざとやる」ようなアプローチになってしまいがちだ。

これはアマチュアだけの現象ではない。プロ演奏家やプロ団体にも同じ傾向はあるように思う。

日本のコンサートには話題性を追求しているものが目立つ。それはこの「イヴェント主義」から来ていると思う。
その際には、基本的なところがネグレクトされがちだ。
そして、齟齬と瑕疵の多い結果になってしまうことも多くありそうだ。僕自身いくつもの経験がある。

まあ、この現象はもう仕方ない。誰かを責めるべきものでもない。
西洋音楽はもともと日本にあったものではないし、リアリティと充分な知識を持って音楽することはなかなか難しい。
それが職業となってしまうと、世の中にアピールすることも大切だ。

まあしかし、よく勉強し自分で考えて真摯に音楽する人は出てくるだろうし、そう望む。
特に若い世代から。





2015年4月9日


CD「可愛いナンシー:18世紀のギター音楽」のプロモーション盤が届く。
浜松市楽器博物館の所蔵楽器を使用した録音だ。今月から博物館で先行発売。


楽器の選択と修復から始まり、選曲、録音は勿論、ジャケットのデザインや内容にも大いに時間をかけたので、それなりに感無量だ。

曲目はこんな感じ。共演は歌の野々下由香里さん、チェンバロ大塚直哉氏、イングリッシュギター井上景さん。


解説は日本語と英文、どちらも自分で書いた。


オリジナルの楽譜や図版も多く載せることが出来た。提供の図書館、博物館、個人収集家には感謝!である。



楽器のデテイルも勿論充実している。


いずれは僕のHP、コンサートや講習会でも頒布の予定ですが、興味ある方は浜松市楽器博物館にお問い合わせ下さい。
http://www.gakkihaku.jp/



2015年3月24日


イギリスでは5月に総選挙がある。
今回の(も?)争点はNHS(国民健康保険サービス)。
野党である労働党はNHSの充実を公約に挙げている。

英国は日本と同じく国民皆保険。
大きく異なるのは英国では全て基本的に無料であることだ。
処方箋に多少の経費を払う場合もあるが、診療費、治療費、薬品代など個人の負担はない。
入院治療や手術を行っても同様だ。

・・・と聞くとまるで地上の楽園の様に聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。

例えば、心臓あたりの不調を感じたとする。
日本だとすぐに内科か循環器科を受診して問診、特に問題なさそうでも念のためにレントゲンや心電図を・・・となるところだが、
英国ではまったくそうはいかない。

まず、最寄りの診療所で予約。その日のうちに予約が取れることは少なく、大抵は翌日以降に問診を受ける。時間は約5分。
その際、診療所のGP(かかりつけ医)が検査の必要があると判断したら、病院の予約を取る手続きをしてくれる。
病院から検査の通知が来るのが1-2週間後。そして実際に検査を受けられるのは数週間後だろうか・・・

どうしても待てない場合は緊急あるいは救急に行くことになるが、よっぽど重篤でないとなかなか難しい。
入院して手術する場合でも待ち期間は長い。平均して約1年半という話も聞く。
またエビデンスの蓄積のない最新医療を受けることも普通は出来ない。

なので、大きな会社で働いている人や経済的に富裕な層は個人の保険に加入していて、プライヴェート病院で待たずに診療、治療を受けることが多い。
ちなみにプライヴェート病院にかかる費用は驚くほど高い。

つまりイギリスの医療は、層によって二分化していると言える。

こういった社会保障のためにイギリスの税金は高い。ちなみに消費税で20パーセントだ。

このように考えると日本の保険システムは優れているところも多い。
不調を感じても診療、検査はその日かいずれにしても短期間のうちに行われる。
医療費はフリーランスでも3割負担で済むし、高額医療費還元制度もある。
やはりよく出来ていると思う。維持していってもらいたいものだ。



2014年3月3日

ロンドンに戻る。

英国南西部ブラックダウンに滞在して仕事した。大変美しい村だ。


楽しい4日間だった。
ヨーロッパ中から集まってきたアマチュア歌手15人をコーチして、モンテヴェルディ、シギスモンド、シャルパンティエなどを勉強。
最終日はトリオソナタグループと共に皆で演奏会。僕はフォリアの即興演奏をソロで弾いた


こういうプロジェクトの仕事はしばしば請けるが、そのたびに感じるのは皆の譜読みの早さと語学能力の高さだ。
(大きな声では言えないが、明らかに日本のプロ歌手のレベルを超えていると思う)

気持ちが良いのは、皆バロック音楽が好きで勉強するために集まっているので、
最後のコンサートに向けて皆でがんばる!という感じが全然しないことだ。

コンサートは単なる結果、一応の目標であって、最も大事なのは音楽を良く知ること、楽しむことであることを皆よく知っている。

ここのフェスティヴァルでは今年ソロのコンサートも行うことになっている。
楽しみだ



2014年2月26日

明日からブラックダウン古楽祭の仕事。


場所はロンドンから急行電車で3時間、なかなかのカントリーサイドだ。

ヨーロッパ中から集まってきた歌手のコーチをして、日曜日にコンサート。
演目はモンテヴェルディ、ディンディアとシャルパンティエ。
それから器楽だけのトリオソナタと僕のソロ。ソロはおそらくスペインのフォリアによる即興演奏になるだろう。

地方の古楽祭の仕事はいつも楽しい。

なんていうか、お祭り臭がないというかイヴェントくささがないというか、
皆、バロック音楽が心から好きで、それを理解して楽しむために来ていることがよく分かるからだ。

ブラックダウン古楽プロジェクトへのリンク
http://blackdownsearlymusic.co.uk/?page_id=1209



2014年2月10日

ホーニマン博物館を訪ねる。これまでにも何十回も訪れた博物館だが、
今回は所蔵するアポロリラをじっくり観察したかったのだ。

ホーニマンのは6弦でスタンドもついていない。状態はかなり良さそうだ。
僕の所有する7弦、スタンド付きと画像を並べてみる。
  

大分すっきりした印象だ。これはこれで魅力がある。ローズは太陽と月かな?

他にもハープリュートの仲間たち。

右のキンキラキンのはこれ自体を演奏するわけではなくて一種の共鳴装置らしい・・・

この博物館の木管楽器は圧巻。これでも所蔵するうちのほんの一部だ。


ドルメッチゆかりの楽器たち。


ここには楽器室を閉鎖してしまったヴィクトリア&アルバート博物館の所蔵品が置かれている。
いつ見ても美しい楽器たちだ・・・右はブランシェのスピネット。


今日も楽しい一日だった。



2014年2月8日

日曜の朝、カフェオレを飲んでいたら電話が鳴った。

この時代、携帯ではなくランドライン(家電)が鳴るのは珍しい・・・出ると知らない紳士の声。
「あなたがハープリュートを弾いてるyoutubeを見ました。うちによく似た楽器があるんですが・・・」
とのこと。

拙スタジオにお茶に招待することにして、楽器を拝見すると立派なハープリュート。

いや正確にはアポロ・リラと呼ばれたハープ・リラ・ギターだ。教則本/曲集も持っている。



ハープとギターのハイブリッド楽器で、調弦はイングリッシュギターとほぼ同じ。

銘はレヴィアン、ロンドンで活躍していたパリジャンの製作家。

レヴィアンはハープリュートの発明者であるエドアルド・ライトとはライバルの関係にあった。
ライトの楽器が弦を増やす方向に行ったのに対し、レヴィアンは7弦の楽器を多く作っている。
↓の左がライト作ハープリュート、右がレヴィアン作アポロリラ


ちょうど欲しかった楽器だったので、譲るつもりはあるかと聞くと返事はイエス。
なんでもボートを買ったばかりで、資金に充てたいのだそうだ。

ボートと聞いてドキドキしながら価格を聞くとリーズナブルだが、それとは別に19世紀のギターを一つ欲しいとのこと。
楽器庫からイギリスで作られた19世紀ギターと現金を渡し、取引終了。

流石、古いものを大切にするイギリス、たまにはこんなこともある・・・




2014年2月6日

リュート製作家クラウス・ヤコブセン(ジェイコブセン)の工房を訪ねる。

デンマーク出身だがもう30年以上ロンドンで仕事をしている。
ポール・オデット、ナイジェル・ノース、リズ・ケニーなど彼の楽器の使用者は枚挙に暇がない。
特にテオルボ、アーチリュート、それからギター族のシェアは高い。

僕も彼のテオルボ、アーチリュート、ギター、ヴィウエラなどを使っている。


今回は彼が製作したイタリアン・バロックギターのチェックが主な目的。
特に不具合が出ているわけではないが、数年に一度は製作家に見てもらうと安心だ。いわば健康診断。


ギターの状態は大変良いそうで一安心。

折角なのでいろいろ話をする。簡単に紹介する。

竹内(以下T):有り難う。ところでバロックギターの裏の形って音量や音色に影響するのかな。丸いのと平たいのと?
クラウス(以下K):うーん、特に関係ないように思うよ。どちらも沢山作ったけど、はっきりと言えることはないかな・・・ 
 ラウンドバックの背中は魅力的だけどね。
T:そうだね、それ以外のファクターも多いしね。あんまりジェライズを簡単にしてはいけないね。
 ・・・この材料はエボニー?
K:そう、エボニー。やっぱりラウンドバックには濃い色の木か、ユウが合ってるね。
T:あと象牙!
K:ハハハ。


T:テオルボ製作中?
K:そう、弦長87/160センチの通常タイプ。できたら弾きにきてよ。


T:ギターは作ってる?
K:つい最近、ストラディヴァリのフルコピーを作った。アシュモレアンの弦長74センチのやつ。

T:D調弦?
K:そう、でE調弦もできるようにカポタストも作った。やっぱり大きい楽器の音は違うね。
T:違うね。11フレットジョイントにして弦長71くらいにしようと思わなかった?
K:うん、オリジナルをよく見たけど、ネックはオリジナルだと思う。もともと74センチだと感じたからね。



T:僕はヴィウエラやリュートはダブルフレットにしてるけど、どう思う?
K:僕はまだちゃんと試したことないけど、試した人はみんなすごく良い!って言うね。
T:うん、そうでしょう!
K:押さえやすいし弾きやすい。いったんダブルにしたらシングルには戻れないって聞いた。
 フレットが馴染んだり、楽器が鳴ってくるには時間がかかるけど、いったん安定したらとても良いみたいだね。
 次には6コースリュートを作るので、ダブルにしてみようかな?
T:良い考え! 僕は6コースをホルバインの絵にあるみたいに全部プレインガットで張ってダブルにしてるけど、
 特に低音はバズ(サワリ)があって良い感じだよ。張力も低くてちょうど良い。
K:カピローラだね(笑)
T:そう、カピローラ(笑)

T:リュート製作ってこの30年くらいで変わってきてる?
K:うん、たぶん。僕が作り始めた70年代はもの凄く表面板が薄くて軽いリュートが多かった。
 「リュートは軽い」っていうのが誇張されて広まってたんだね。
T:今でもそんな感じの楽器は見るね。イギリスにはないけど。
K:うん、僕はその後、リュート演奏と製作を勉強するためにロンドンに来たんだけど、
 その頃に一時、やや重めのリュートが流行った時期もあったりしたね。今はバランスが良くなってきたんじゃないかな?
T:なるほど、面白い。次はダブルフレットのヴィウエラを持ってくるね!


クラウスと話すたびに感じるが、彼は心からリュートと音楽が好きで、いろいろと調べながらも淡々と誠実に楽器を作っているだけなのだ。
それが結果的に飛ぶように売れ(待ち時間は8年という)、今はロンドンに在住しながらもイタリアに別荘兼工房を持っている。
でもやっていることは同じで、淡々と自分の好きな楽器を作り続けている。楽器は他のメーカーに比べても安価だし、修理も大変リーズナブル。
こういう人と話していると、やっぱり気持ちが良い。
演奏も製作も、「売る」ことを考え始めた途端に大抵はレベルは下がるし、内容もつまらなくなってしまう・・・



2014年2月4日

ロンドンから電車で4時間、ある田舎町の小さな博物館を訪ねる。
エリザベス朝時代の建物が建ち並ぶ瀟洒な町だ。


お目当ての博物館も可愛い。夏期だけの開館だが、今回は特別にアポをとってある。


今回訪れたのは、ここに保管されている「リュート」の調査のためだ。楽器修復者クリス・エガートンも同行。

リュートと言ってもルネサンス/バロック時代の楽器ではない。18世紀末/19世紀初頭に製作されたものだ。


イギリスでは、リュートは18世紀の前半にはすでにあまり使われない楽器になっていた。
世紀の中頃には少数の例外を除き、ほぼ姿を消していたと考えられる。

しかし、平行して1720年代からイギリスでは「古楽復興」の機運が高まっていた。

よく知られているのが、作曲家ペプシュなどによる「アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック」だ。
この運動は18世紀を通じて行われており、彼らにとっての「古楽」、モーリー、ギボンズ、パーセル、コレッリなどを
「古楽器」を使って演奏した記録が残っている。

当然、リュートも使用されたのだが、楽器は残されているオリジナルのリュートを修復/改造したり、
あるいは新たに製作されたりしたわけだ。

1800年頃には「リュート」は、彼らにとっての「現代リュート」として愛好されるようになる。
教本や曲集も出版されている。

彼らの「モダンリュート」は10コースを持ち、調弦はイングリッシュギターを踏襲している。
彼らにとって最も馴染みのある調弦だから、当然だと言える。
下のチャートは1802年のウォーターマークを持つリュート教本から。ロンドン出版。


リュートはそれなりに愛好されたようだが、割とすぐにハープリュートに取って変わられたらしい。
ハープリュートの音色とイメージが時代の好みに合っていたのだろう。また構造的にもハープリュートの方が堅牢と言える。
   

3時間ほどかけて多くの写真を撮り、各部のメジャーメントを採った後に、そっと調弦して弾いてみると実にふくよかな音色だ。
僕には、現代のナイロン/巻き弦が張られたコピーリュートよりも遙かに説得力のある古楽器だと感じられた。


この楽器についてはクリス・エガートンと共同で論文を書くことになった。
おそらく英国リュート協会の紀要に発表することになるだろう。
また、この博物館ではそのうちにライブを行うことになりそうだ。

今日も楽しい一日だった。



2015年1月30日


今年リリースするCDの収録曲「可愛いナンシー」の対訳を作っている。

18世紀にイギリスで流行したバラッドで、使用している版は1800年頃にロンドンで出版されたイングリッシュギター曲集。
大英図書館も蔵していない希少な資料だ。


主題と2つの器楽変奏、および5節からなるテクストが書かれている。
今回、改めて読んでみると非常に心に沁みる歌詞である。少し長いが試訳を掲載する。

1
可愛いナンシー、どうしてこのように残酷に、
あなたの視界から惨めな恋人を追い払うのか
人生の価値はあなただけだと考えている者を
あなたが顔を顰めた途端、彼の人生は絶望で終わるのだ


2
もしあなたが私を苦しませるつもりだったのなら、おお!なぜあなたの目は、
あの時あのように柔らかく、甘い驚きを宿していたのか
その燃える光に私は立ちすくむばかりだった
その目から流れ出る涙に感じ入り、私は恋に落ちたのだ

3
しかし、悲しいかな! 夜に迷う巡礼者が遠くに見る灯火の様に、
私のつかんだ喜びは幻だった

彼は喜び、急ぎ、それを追いかけ、やがて死ぬ
ナンシーが離れた途端、破滅がやってくる

4
おお!どうぞ忘れないで、あなたが私の腕の中で得た悦びを
天使の様なあなたが私の名を呼び、あなたの全てを見せてくれた時

永遠の愛を約束し、誓いのキスを交わした
愛に満ちた抱擁こそは幸福の絶頂だった


5
何より美しく、しかし頑固な者よ、私の苦悩を考えよ
希望は、癒やされない病のように、やがてより大きな絶望を呼ぶ
あなたが私を再び振り向くように、私は神の力を望む

私は女性の様に一途でいるので、あなたも男性の様に心変わりをしてはいけない


5つの節にはそれぞれキャラクターがあり、通して全体のドラマと修辞を作っている。どこが抜けてもこのバラッドは成立しない。
カッチーニのアリアやダウランドのリュートソングにも多くの節を持つ有節歌曲は多い。
これらも全ての歌詞を歌って初めて本来の姿が顕わになるのだ。




2015年1月25日


関西と関東の講習会終わる。

受講生は16人、
集まった楽器はルネサンスリュート、モダンリュート、ルネサンスギター、テオルボ、バロックギター、イングリッシュギター、19世紀ギター、モダンギターなど。
楽しい3日間だった。


僕がレッスンでいつも推奨するのは次の様なことだ。

*一次資料を典拠とすること:たとえポールトンのダウランド全集や新バッハ全集といえども編者による間違いがある。
ファクシミリを使用するのがベスト。また同時代の教本などにも目を通しておくこと。

*適正な楽器と弦を使うこと:ガット弦あるいはナイルガットはデフォルト、少なくともルネサンスリュートではダブルフレットを標準としたい。
弦高とテンションの低い弾きやすい楽器を使うこと。

*自然なストレスのない姿勢で弾くこと。足台の使用と足を組むのはなるべく避ける。

*親指内側奏法と親指外側奏法、どっちを取るかは個人の選択だが、すべてのバロック楽器と7コース以上のリュートでは外側を勧める。
いずれにしても、どちらの奏法で弾いているかは明確に意識して、曖昧にならないこと。

*特にバロック時代の作品では、まず和声的に曲を分析できていること。
ソロ曲でも旋律と通奏低音の形に書き直してみるのは有効。

*タブラチュアで弾いていても、その音名が聞こえていること。

*声楽曲(の伴奏)および声楽曲の編曲を弾く際、テンポ、形式、音程、対位法なども大事だが、
最重要なのは歌詞とその内容を把握していること。

*歌詞は「大意」ではなく、一つ一つの言葉をリアルタイムで理解できるのが理想。
つまりはその言語そのものを地道に勉強するのが結局は早道で、良い演奏のできるおそらくは唯一の方法である。

*以上のようなことがクリヤーできていたら、演奏自体は一人一人全く違っていて良い。
「ただ一つの正しい」演奏などは存在しないし、たとえあっても誰も知らないのだ・・・




2015年1月15日

引き続き、指頭奏法について。

時代はちょっと飛んで、フランシスコ・タレガの指頭奏法について考えてみる。
タレガが晩年、爪を切って大変な苦労をして指頭弾きに切り替えたことはギタリスト/ギター愛好家にはよく知られた話だ。

しかし、専門家の間ではこれはあまり信憑性がないというか、一種のrumour(噂、取り沙汰されること)として扱われている。
それは、タレガ自身が指頭での演奏について書き残して居らず、写真なども存在せず、いわば一時資料がないからだ。
ソルやアグアドが指頭奏法について自ら書き残しているのとは扱いが異なるわけだ。

タレガの指頭奏法についての情報は、プジョールの書いた「ターレガの生涯」によるところが大きい。
プジョールは、指頭は「広く、なめらかでしっかりしていて」「爪と違って、直接に感情を(弦に)伝えること」が出来ると書いている。
プジョールは自身の研究対象であったビウエリスタ、フェンリャーナの例を引いており、
その記述はタレガの奏法を自分寄りに論じようとしているようにも見える。
もとよりこの伝記にはアカデミックな正確さを期待すべきものではない。
(プジョールが「ターレガの生涯」の前書きで、偽書「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」に触れていることは象徴的だ)

より興味深く思われるものは、タレガの最後の弟子であったホセフィナ・ロブレドの述懐。
「私はタレガの最晩年にレッスンを受け、最終的な彼のテクニック(指頭奏法)を授かり、長い人生にてそれを広めました」

確かに彼女の演奏姿勢は、晩年のタレガの姿勢にそっくりだ。
彼女がタレガにレッスンを受けていたのは12歳までだが、非常に熱心に学んだ様子は伝わってくる。


幸いホセフィナは録音を残しており、いくつかはネットでも聞くことが出来る。
https://www.youtube.com/watch?v=ynB5OidE_xo
https://www.youtube.com/watch?v=f4CzrXRcDjk

大変まろやかな音色で、これ見よがしの速弾きもなく、確かに指頭奏法に聞こえる。ルバートも大変上品で説得力もある。
晩年のタレガの演奏もこのようなものであったのだろうか。



2015年1月12日

ギター誌より特集記事「指頭奏法」に関しての打診あり。何か書けるか思案中。

現代のギターは爪で弾かれるのが通常だが、タレガなど指頭奏法の巨匠も存在した。
19世紀前半の爪派のアグアドと指頭派のソルの間の対話?は興味深い・・・

さて、話は変わってしまうが、古楽器における爪と指頭奏法についてちょっと書いてみる。

現在ではリュート、テオルボ、バロックギターなどの古楽器の奏者の多くは指頭弾きだ。

1970年−80年代、ジュリアン・ブリームやコンラット・ラゴスニックなどギターと(モダン)リュート両刀使いの奏者は爪を使ってリュートを弾いていた。

それに対し、(いわゆる)歴史的奏法を用いるリュート奏者たちが「オーセンティックではない」として反発した経緯もあり、
一時期は「爪を使う」=「非歴史的」の構図があった。

しかし、爪の使用は多くの歴史的資料に見られる。

16世紀初頭、フランチェスコ・ダ・ミラーノが指にプレクトラムを装着してリュートを弾いていた記録がある。
フランチェスコの一世代前までリュートは羽軸のプレクトラムで弾かれており、指弾きは新しい技法だったわけだからこのことはむしろ納得がいく。
フランチェスコの曲集の表紙のリュート奏者の右手にはつけ爪とも見えるものが描かれている。


17世紀前半から爪の使用の確証は多く見られる。

ピッチニーニは1623年のリュート/キタローネ教本において、爪を使って弾くことをはっきりと書いている。
バロックギター奏者コルベッタが爪を傷つけて演奏をキャンセルしたことが書き残されている。
同じくギター奏者ペレグリーニの肖像、ギター/リュート奏者グラナータの肖像には右手に長い爪が描かれている。




トーマス・メイスは1676年「音楽の記念碑」中で「爪を使って最上の演奏をする奏者」に言及している。

18世紀に入り、ヴァイスはマテゾンへの手紙の中で「イタリアではアーチリュートとテオルボは爪で弾かれ、アンサンブルに効果的である」と書いている。

ダラ・カーサのアーチリュート曲集(1759)の肖像にも長い爪が見られる。


以上のようなことから、朧気ながら見えてくるのは:
バロック時代、特にイタリアではギター、リュート、テオルボは通常、爪で弾かれ、
ドイツ、フランスで盛んだった(いわゆる)バロックリュートは指頭で弾かれていた。

ギター、(アーチ)リュート、テオルボはアンサンブル楽器として重要であり、バロックリュートはソロが中心であったことも関係しているだろう。

ド・ヴィゼが積極的にリュートを弾いた記録がないのも、彼は爪を使うギター/テオルボ奏者だったからという説があり、これはこれで説得力がある。

爪を使ったと言っても、現代のギターのための爪の伸ばし方/奏法とは全く異なる様子だったと思う。
現代ギター奏法は重い楽器に張られたテンションの高い単弦を鳴らすために発達したものだ。
構造も弦もまるで異なる古楽器に適用するのはやはり無理がある。

現代の指頭奏法のリュート奏者が、常に気を使って指先を柔らかく保って弾奏するのも、歴史的にはリアリティがないように感じる。
「指先をお湯や水につけて弾くと良い音が出る」と言う意見も聞くが、ガットでそれを行うと弦がダメになってしまう。
柔らかすぎる指先ではガットはまとわりついてむしろ鳴らしにくい。

僕自身は指頭奏法だが、総ガット、低い弦高、ダブルフレットの楽器を弾き始めてから、指先に気を遣うことが少なくなった。
爪を神経質に短く切りそろえたり、指先にクリームを塗ったりすることもなくなった。
爪が多少伸びていても、特に気にならずに弾けるようになった。

上記のような歴史的セッティングの楽器では、弦に指を深くかける必要がなく、また音色には微かなバズ(buzz)が含まれるので、
指先の状態に楽器の鳴り方があまり左右されないのだ。自分的には納得!である・・・

歴史的には指頭奏法と爪奏法は、対立する「二大奏法」ではなく程度の問題だったように思う。

そして、20世紀後半の人たちが思い描いた「純粋で美しいリュートの音」のイメージの多くは、いわば幻想であったのだとも思う。



2015年1月10日

先日、ドイツのウーリッヒから大部の手稿譜コピーを受け取った。


Lord Danby Lute Book、アメリカの大学図書館にオリジナルはあるはずだ。

約140ページ、90曲以上が書かれている大部の手稿譜、
書かれたのは1700年前後、筆写者のダンビー卿はイギリス貴族のリュート愛好家。

この手稿譜に関してはロンドン大学ゴールドスミス・カレッジののティム・クロフォードが研究を発表している。

今日、時間をかけて一通り目を通した。
噂にはなるが現物にはお目にかからない、いわば幻の手稿譜だったので興味津々だ。

楽器は11コースリュート、作曲家にはロジー、ド・ヴィゼが目立つが作者不明の作品も多い。
編曲も多い。ヘンデル、コレッリ、リュリ、カンプラなどの作品が見られる。特にヘンデルの作品のリュート版は珍しい。

ヘンデルの序曲。おそらくは今では喪われたオペラの序曲が原曲らしい。

典型的なフレンチ・オーヴァーチュアで、後半は3拍子のフーガ。

書法や構成はバッハのリュート組曲BWV995のプレリュードを思わせる。
いや、バッハの作品がこの形式を模倣していると言うべきか。

このブーレにもヘンデルのHが書かれている。原曲は不明。


コレッリのジーグ。原曲は(勿論)ヴァイオリンソナタ。


ファリネリのサラバンド。ファリネリはあのヴァイオリン・ヴィルトーゾのファリネリか?


アルミードのパッサカリア。原曲はあのよく知られたリュリの長大な作品・・・かと思いきや、たった2ページしかない。


弾いてみて合点がいく。これは器楽合奏に続くコーラスの部分のリュート編曲版なのだ。カッコイイ!


ダンビー卿は「趣味の良い」リュート奏者として知られていたと言うが、選曲、編曲にも高いセンスが感じられる。
どの曲も弾きやすい上に音楽的に楽しめる。

この手稿譜にはいずれ本格的に取り組んでみたいものだ。


2015年1月5日


今年リリースされるCDの第1編集を聞き終わった。
浜松市楽器博物館の所蔵楽器を使った録音だ。

録音時の博物館の行き届いた配慮とコジマ録音の絶妙な手腕のおかげで、気になる箇所は殆どない・・・

通常はまとめられた録音をこちらが聞いてコメントし、会社側が再び編集、
その作業を3回ほど繰り返して最終版を作るのだが、今回はこの1回で済みそうだ。


特に今回の録音は即興演奏含め、事前に決めすぎずにかなり自由に弾いているので、
どのテイクを聞いても「まあ、これはこれで良いよねー」と思ってしまう。

CD音源の編集をする際に陥りがちなのは、自分の頭の中(だけ)にある理想の演奏を作り上げようとする・・・みたいなことだ。
テイク選びに凝るのは勿論、ちょっとした雑音やほとんど問題にならないミスまでをも耳ダンボにして探し、その箇所だけ差し替える作業をしたりする。

そのようにすると、完璧な?録音が出来上がるかというと実はそうではなく、結果はリアリティのない不自然でのっぺりした感じになってしまう。

今回は、最初から理想型を決めないで弾いているので「決定版」を探したり作り上げる、という感じではなくなっているのだろう。

できあがりが楽しみだ。



2015年1月4日

リュート/アーリーギター奏者をやっていると、アンサンブルに参加する機会は多い。
最近は減らしたが、しばらく前までは通奏低音をよく弾いていた。多くは(バロック)オーケストラとの共演、それから歌手の伴奏だ。

伴奏は簡単なようで難しい。しばしば「誰それさんはソリスト向きだ。伴奏はあまり上手くない・・・」みたいなことを聞いたりするが、あり得ないなーと思う。

逆に言うと、伴奏が出来ない人はソロも弾けないように感じる。

ソロはいわばアンサンブルの独奏パートと伴奏パートを両方引き受けているに等しい。
伴奏パートを上手くこなせないのに、両方出来るわけないように思うのだ。

歌の伴奏をする場合、音構造がよくわかっているのは当然として、
大切なのは歌詞をその背景も含めてよく理解していること、そして共演者とのコミュニケーションがとれることだ。

歌詞の理解というのは、「大体こんな意味・・・」程度ではほんとの意味ではダメで、
リアルタイムでその歌詞が聞け、意味はもちろん細かなニュアンスが理解できるということだ。
歌手が本番でいきなり違うニュアンスで歌っても、それに的確に伴奏付けできるということだ。
そういうことでは、たとえば英語ネイティブの伴奏者は英語の歌を上手に伴奏する。

そして真に上手な伴奏者はソリストのパートをこの上なく尊重する態度で演奏する。

最近、その意味で理想的な伴奏と感じられる演奏を聴いた。

ベンジャミン・ブリテンの伴奏するサリー・ガーデン。歌はもちろんブリテンのパートナーだったピーター・ピアーズ。
ブリテン自身の編曲で、楽譜はこんな感じ。


伴奏には八分音符が並んでいて、バスにしばしば旋律が現れるシンプルな書法だ。

通常?なら、伴奏者はこの8分音符の羅列を基本的にインテンポで弾き、
歌手はそれにのって微妙にルバートを効かせながら歌う場合が多いだろう。
しばしば音大などでも推奨されるやり方だ。

ここでブリテンとピアーズの演奏を聴いてみよう。いわば自作自演だ。
YOUTUBEにライブ録音がある。
https://www.youtube.com/watch?v=b9mkgqPZxkQ
サリーガーデンは27分50秒あたりから。

で・・・お聞きのようにまったくインテンポではない。歌も伴奏も。
この自由な歌とそれにぴったり寄り添うような伴奏はどうだ!
ソリストと伴奏者がお互いを生かしている。そして音楽そのものに奉仕している。

ダウランドのリュートソングやバロックの通奏低音付きの歌でも、このような態度で演奏したいものである。

余談だが、このサリーガーデンやアニーローリーなどのリュート伴奏を頼まれることがあるが、
これらはルネサンスやバロックの音楽ではない。せいぜい19世紀までしか遡れない曲なのだ。
ピアノかギターで弾く方がよっぽど良いように思う・・・



2015年1月2日


特に年始は関係なく仕事している。

今日の午前にはCDの第1編集版を通して聴き、チェックをする。
午後は19世紀ギターの調整と楽器の選択。

1月8日にロンドンのグレシャム・カレッジのレクチャーで演奏することになっている。詳細は↓
http://www.gresham.ac.uk/lectures-and-events/the-guitar-and-the-romantic-vision-of-the-medieval-world

ハープリュートを頼まれているのだが、講師のクリストファー・ペイジ教授から急遽連絡あり。
もう一人のギタリストのウーリッヒ・ヴィーダーマイヤーとギターのデュオも弾いて欲しいそうだ。

演目はケンブリッジの図書館で発見された手稿譜からの曲で、フランス語で書かれているがイギリス人の手になるものだそうだ。
時代は1830年頃。

ウーリッヒはル・ジェーヌのギターをを弾くそうfだ。1830年頃のミルクール製。ピッチは全音下げ(つまりA-390)あたりが希望。


と言うわけで、こちらも1830年頃のイギリスのギターを出してみる。
いろいろあるが、まずは状態の良いもの、そしてレクチャーでは調弦の時間もほとんどとれないので、機械式糸巻きの楽器を優先だ。
左から、チャペル、セレス、バルベ、そしてパノルモ。


パノルモは1837年製、扇状力木のギターらしく、低音が良くドライヴし、高音はそのしっかりした土台にのってよく歌ってくれる。


セレスは1840年頃だろうか。重量もそれなりにあり、重厚かつ絢爛な音色だ。


バルベは1830年頃だろう。指板が表面板上につけられていないタイプで、全体に軽く響かせやすいが、
鳴り方は立体的で低音には重量感がある。


こうしてみると、同じ時代、同じ地域のギターでも鳴り方は本当にいろいろだ。
時代や様式の特徴を抽出なんてことは簡単には出来ないことがよくわかる・・・そしてこれはギターに限ったことではない。




2014年12月31日

大晦日だが、とくに通常と変わりなく過ごしている。

この年末年始は、来年リリースされるCD音源のチェック(2枚分!)、ライナーノーツの執筆、
新年早々に出演するグレシャム・カレッジのレクチャーでの演奏の準備など、少し忙しい。

グレシャム・カレッジでは前回と同様にハープリュートを演奏することになっている。


この種の楽器は僕にとっても新しい分野なので、この機会にリサーチして手のうちに入れておきたい。
楽器も資料もそれなりに集まっている。

ここでハープリュートとその仲間についてまとめてみよう。

現代人の目からは奇妙に見える楽器だと思うが、僕のように18世紀のギター音楽に携わってきた人間には、
それらの楽器がどのように考案され、使われたかは大層わかりやすい。

(余談だが、古楽器を演奏、製作する場合、モダンからの視点で見るか、古い時代からの視点で見るかで結果には大きな違いが出るように思う。
たとえば19世紀ギターの場合、モダンギター関係者は小さくて張りが弱い、と感じるのに対して、バロックギター関係者は重くて張りが強い、と感じるみたいなものか。
もちろん古い時代からの視点で見る方が、当時の感覚に近いわけだ)

これら楽器の名称は、弦の数や仕様によってハープギター、ハープリュートギター、ハープリュート、ダイタル(ディタル)ハープなどと呼ばれる。

代表的な調弦は以下のようなものだ。(音高は相対的なもので、絶対音高ではない)


これらの楽器は、18世紀の後半にイギリスで流行したイングリッシュギターの子孫と言える。
イングリッシュギターは金属弦の6複弦を持っていた。調弦はA。

18世紀の終わり頃、イングリッシュギターにガットを単弦で張ることが試みられたらしい。
↓は単弦、ガット用に改修されたイングリッシュギター。調弦Bである。


そして、単弦のガット弦に特化した楽器が開発される。ハープギターである。
発明者はエドアルド・ライト。この種のハイブリッド楽器開発の立役者だ。


6コースから8コースを持つが、調弦はイングリッシュギターほぼそのまま踏襲している。調弦Cだ。
しばしば高いCを高音に付け加えられることがあったことは残された教本からもわかる。調弦Dである。


(ハープギター以外にも言えることだが)楽譜上の音高(ノミナル・ピッチ)は実際の調弦とは異なる。
僕の所有するハープギターには実音と思われる音高が書かれていて、興味深い。


ほぼ同じ頃に、イングリッシュギター型の胴体を持つ単弦楽器も製作されている。
多くは10コースを持ちリュートと呼ばれた。
下はやはり僕のコレクションにあるオリジナル教本(1802年)だが、イングリッシュギター、ハープギター、スパニッシュギターそしてリュートが取り上げられている。


この教本ではリュートはモダンリュートと呼ばれていて、調弦は以下の通り。


残されている楽器は多くはないが、↓などは典型的な例だろう。
すべて単弦の10弦仕様で、7本は指板上、3本は第2ヘッドにある。調弦Eである。


ハープギターにもテオルボ型が作られた。名称はハープリュートギター。
11コースを持ち調弦は第3コースから音階的に下がる。そして最低音にはハ長調のドミナントの低いG。調弦Fだ。


ハープリュートは高音にCを足し12弦、ヘッドをハープの仕様にしたもの。調弦G。.
この種のハイブリッド楽器の中で最も愛好された楽器だと思われる。


下は14弦のハープリュート。12弦のハープリュートに高音弦が2本足されている。
短い指板は高音の3本用。つまり指板上の調弦はオクターブ違いのドミソ/ドミソというわけだ。調弦H。
音域は拡大したが、二つの指板に渡って旋律を弾くのがトリッキーになったことも確かだ。
おそらくそのせいだろう、エドワルド・ライトはこの2段指板の楽器には関わっていない。


ハープリュートの形や音、演奏姿勢はハープに近いが、演奏テクニックは左手で押さえ右手で弾弦するというギター的なものだ。
しかし、エドアルド・ライトは左手も弾弦に使う楽器を考案する。これがダイタル(ディタル)・ハープだ。


このように並べてみると、この種の楽器が急速に発展、変化していったようにも見えるが、
必ずしもそうではなく、各種の楽器が同時期に存在しており、奏者の嗜好によって選ばれていたらしい。

当時の教本にもそういった記述は見られるし、僕自身いくつかのタイプを手元に置いて弾いていると、
どの楽器にも固有の魅力と美しさがあることがよくわかる、

ハープリュートの仲間はボディが丸く整形されており、文字通りリュートとハープのハイブリッドだ。
比較的太いガットを張った開放弦を多く使うため、音の立ち上がりはくっきりとしていて、なるほどハープに近い。


弾いていてやみつきになるほど愉しい楽器だ。
この楽器が短期間(30年ほど?)ではあるが、大流行したのも頷ける話だ。

来年は浜松の楽器博物館にあるハープリュートもヴィデオ録音など手がけることになっている。
楽しみだ。



2014年12月18日

先週出演したグレシャム・カレッジのレクチャーの様子がネットにアップされている。
http://www.gresham.ac.uk/lectures-and-events/the-guitar-the-steamship-and-the-picnic-england-on-the-move

クリストファー・ページ教授による約50分のレクチャーだ。僕のハープリュートの演奏は約14分頃から。
古いギター音楽に関心のある人には、大変ためになるお話だと思うので、どうぞ全編聞いてもらいたい。
ウーリッヒ・ヴィーダーマイヤーによるパノルモの演奏もある。




2014年12月16日

少し久しぶりに日本語の原稿を書いている。

浜松市楽器博物館から刊行される楽器カタログの解説。
僕はギターとシターン(イングリッシュギター)が担当だ。

浜松市楽器博物館のギターとイングリッシュギターのコレクションは素晴らしい。

ウィーンのシュタードラーのギター(キタッラ・バテンテに改造されている)は17世紀を代表する美しいラウンドバックの楽器だし、
無銘のフレンチのギターはヴォボアン〜ドルプランクに連なる名器だ。
この楽器ではCDレコーディングを行ったが、その音の美しさは筆舌に尽くしがたいほどだった・・・
バロックギターに真摯に興味を持つ人は、日本にあるこの2台を見るだけでも目から鱗が落ちるだろう。

イングリッシュギターのコレクションも大変良い。イングリッシュギターの開発者ヒンツのギターを初めとして、
プレストン、ロングマン、大型のペリー、そして鍵盤つきのギターも2台ある。

こういう楽器を世に紹介する仕事に関わることができるのは嬉しい。
「日本語の原稿」と書いたが英語版も作るそうで、そちらの仕事も引き受けた。


刊行が楽しみだ。

浜松楽器博物館ではCDのリリースに伴って、来年の5月にコンサートとワークショップを行うことになっている。
こちらも楽しみだ。



2014年12月12日

ケンブリッジ大学で行われたリュート・イヴェントに行く。


ケンブリッジが所蔵するリュート手稿譜が、リュート協会の協力によりデジタル化されたのを記念する会だ。
これらの手稿譜は16−17世紀のリュート文献として最重要なものだ。かのマシュー・ホームズ手稿譜なども含まれている。


今回のデジタル化は、専門家の研究や演奏にも十分に耐えるように高い解像度で行われている。

会場には手稿譜の現物も展示されていた。


リュート協会秘書、大学図書館の司書、音楽学者などのレクチャーの後、
ジェイコブ・リンドバーグにより手稿譜から数曲が演奏された。

その後、皆で歓談。


楽しく、また記念すべきひとときだった。


2014年12月11日

ロンドンのグレシャム・カレッジのレクチャーに出演する。


会場のステンドグラスが美しい。


クリストファー・ページ教授による一連の講座「19世紀英国におけるギター」の一つだ。

詳細は以下の通り。
http://www.gresham.ac.uk/lectures-and-events/the-guitar-the-steamship-and-the-picnic-england-on-the-move

ウーリッヒ・ビーダーマイヤーと僕が演奏を担当。


ウーリはパノルモのオリジナル19世紀ギター、僕はエドワルド・ライトの考案したハープリュートでハイドンの作品を弾いた。
ハープリュートは18世紀末から19世紀にかけて、英国の上流階級を席巻したハイブリッド楽器だ。一時はスパニッシュギターを大きく凌ぐ人気を誇っていた。


クリス教授はハープリュートが大変気にいったらしく、次回(1月8日)にも演奏を依頼された。
もちろん喜んで引き受ける。何を弾こうかな?


2014年12月10日

ケンブリッジで開かれたギター/リュートのコンフェランスに参加。
デイヴィッド・ルビオ(ホセ・ルビオ)と親交のあったケンブリッジ大学教授が主宰している会だ。

会場にはルビオの手になるヴァイオリン、ギター、リュートが並んでいる。


僕はルビオ工房作の8コースリュートと自分のハープリュートを演奏した。


ルビオはブリームが使用していたようなモダンリュートと、歴史的な構造のリュートどちらも手掛けているが、
工房作の楽器にはどちらともつかぬ中間的なものがある。今回のリュートはそういった楽器だったが、音色はなかなか美しく、評判も良かったようだ。


2014年12月9日

今年、亡くなられたリュート製作家スティーヴン・ゴットリーブ氏のメモリアル・コンサートに行く。
マイケル・ロウと並んで歴史的リュート復元・製作のパイオニアだった人だ。


ゴットリーブ氏の作品を手に世界中から十数人のリュート奏者が集まった。日本のつのだたかし氏の顔も見える。

所用で遅れていったが、後半のいくつかの演奏を聞くことが出来た。
いずれも素晴らしかったが、中でもジェイク・ヘリンマンの演奏には感銘を受けた。
楽器は(もちろん)ゴットリーブ氏製作の6コース。
弦長71センチの大きなリュートだが、16世紀にはむしろ普通であったサイズだ。

素晴らしいコンサートであった。


終演後にリュート製作家マイケル・ロウと会って話す。リュートの材質、ことに1600年ころに愛好されたユウ(イチイ)のことが話題になった。
ユウの中でも心材と辺材がダイナミックなコントラストを持つシェイデド・ユウについて、やはり音響特性は独特であろうと彼は言う。



興味深いのは、シェイデドユウを使う場合、現代の多くのメーカーは心材と辺材を均等に綺麗に並べようとするが、
16,17世紀の作品はそうではなく不均等、また心材を広く使う傾向が明らかにあるそうだ。


ユウの心材は辺材に比べてもともと広いということもあるかもしれない。


が、それよりも、比重が高い心材を多めにとることで得られる音響特性が考慮されていたのではと思う。
現代人は、ともすれば「均等、均一」みたいなことを自動的に目指してしまうが、
それは昔の美学とは大きく異なる場合が多いのだ。

手元にユウの胴体を持つルネサンスリュートが2台ある。
ひとつはユウの心材だけ、もう一つはシェイデド・ユウ、マイケルの言うように心材が多く使われている。


このスペックがよく似た2台も、その弾き心地や音は大きく違う。
楽器の材質に関しても、まだまだ研究されるべきことは多そうだ・・・




2014年12月7日


嬉しいニュースを聞く。

今年の前半に「ド・ヴィゼーのニ短調組曲:奏法解説とモダンギター用編曲」を現代ギター誌に連載した。
それなりに詳細にバロック時代の演奏習慣、楽器の語法なども書いた。

その記事と編曲にヒントを得て、ギタリスト小川和孝さんが見事なド・ヴィゼーをリサイタルで演奏なさったらしい。



歴史的なことに敬意を払いながら、ご自分の楽器でご自分の音楽をなさっている。
脱帽である。



2014年12月5日

いろいろと移動の多い時期だが、ロンドンや出先で博物館や個人の楽器コレクションを訪ねるのは大変楽しみで、また勉強になる。
このところ続けていろんなコレクションを見ている。

ドルメッチ・コレクションのあるホーニマン博物館は自宅からも近く、ことあるごとに立ち寄っている。
下はドルメッチが修復したヴェネーレのリュートの胴体。見事なシェイデド・ユウだ。


ここホーニマンでは来年にアーリー・ギターのコンサートを行う予定だ。

同じくロンドンのシェイクスピアのグローブ座の楽器展示。


ヘイコック監修の7コース、モデルはやはりヴェネーレだ。シェイクスピア時代の最も典型的リュートと言える。


オクスフォードのアシュモレアン博物館のギターコレクション。


美しいマテオ・セラスのラウンドバック・ギター。胴体は黒檀にインレイが施されている。


このギターはバテンテに改造されているし、弦長もおそらくは変更されているが、やはり良く保存されている楽器には違いない。
アショモレアン博物館は所蔵楽器の詳細な報告書を出版している。400ページ近い大部のものだ。


博物館や個人コレクションでは実際に演奏できる場合もある。
下は(故)クリストファー・ホグウッド所有のカークマン作チェンバロ。僕が以前CD「アフェットーソ」でも使用した楽器だ。


改めて弾いてみると、やはりつくづく良い楽器だ・・・

各地で様々な楽器に触れていると、まだまだ自分の知らないこと、これまでに気がつかなかったことなど多いことがわかる。
これからもできるだけ沢山の経験をしたいものだ。



2014年11月25日

リュートのセットアップをする。

明日から始まるセッションのためだ。相手はフルートのナンシ・ハッデンとガンバ/リローネのエリンヘッドリー。
レパートリーは17世紀前半からバッハあたりにまで渡る広いもので、僕はリュートとバロックギターを使う。いくつか本番の後、来年にはレコーディング。

リュートは理想的にはルネサンス10コースとバロック11コースがあれば良いのだが、楽器を3本携えてツアーに赴くのは現実的ではない。
なので、先日のヤコブ・リンドバーグに倣って(というわけでもないが)、ツアー向きのオ−ル・パーポーズ・リュートとでも言える楽器を目してみた。

楽器は弦長64センチの11コース。もともとは10コースとして作られた楽器を改造したものだ。
バロック調弦になっていたのをルネサンス (a-392)調弦を施した。第1、第2コースともにシングル。フレットはダブルだ。
弦は高音ー中域がナイルガット、第7コースにはローデッド・ナイルガット、低音はカーボンのKF弦だ。
第10コースはCで、第11コースはとりあえず低いGに調弦することとする。
通奏低音では低いAやGは有益だし、またバッハのBWV995の組曲を弾くには低いGが必要だ。
短い弦長で低いGを張るには巻き弦を使うことにして、シルク芯の巻き弦を張ってみる。

スタイルとしては、17世紀の中頃にあったかもしれない・・・リュートだろうか。


弾いてみるとなかなか良い感じだ。しばらくこの仕様のリュートを試してみよう。



2014年11月21日


コンサートに出演。ガンバ、リコーダー、チェロ、打楽器、僕はアーチリュートとバロックギター。


今回新しい試みとして、ガンバ、チェロ、リュートの即興セッションを行ったが、
なかなか楽しい。

 


2014年11月20日


英国東南部エセックスで開かれたヤコブ・リンドベルイ(ジェイコブ・リンドバーグ)のリュート・コンサートに行く。

プログラムはこんな感じ↓


ダウランドからバッハまでの幅広いプログラム。

ほんの数メートルの距離で聴くリュートのライブはやはり圧巻だった!


使用楽器はマイケル・ロウの12コース、2012年の新作と言って良い楽器だ。
ジェイコブとは終演後にいろいろと話をしたが、このリュートを現在良く使っているそうだ。

裏がシェイデド・ユウのマルチリブ。非常に美しいリュートだ。


この12コースは17世紀にイギリスとオランダで用いられた「フレンチ」リュートをモデルにしているが、
今回のコンサートではルネサンス調弦、バッハのBWV995の組曲のために第12コースは低いGに調弦されていた。
弦は高音はナイルガット、中音域はカーボン、低音は銅巻。第1、第2コースともにシングル。

ある意味でオール・パーポーズ・リュートとも言えるし、人によっては批判する向きもあるかもしれないが、
僕自身はこういう選択も大いにありだな、と思う。

そういったことが経験値の高くないリュート奏者によって行われた場合、説得力は持ちえないが、
ジェイコブはいまや世界で最もアクティヴでキャリアの長い名奏者だ。
ダウランドとバッハの全集を完成させ、レコーディングではガット弦を積極的に使っている。
また彼が所有するオリジナル・リュートでも美しい演奏を聴かせてくれる。
彼の演奏家としての選択には、他人が文句をつける余地などないように感じるのだ。

いずれにしても大変素晴らしいコンサートだった。



2014年11月15日

リュート協会のミーティング。

今回の呼び物はなんと言ってもリュート・ダイフォーン(リュート・ダフネ)と呼ばれるダブル・リュートのお披露目。
トーマス・メイスの「音楽の記念碑」(ロンドン、1676年出版)に詳細な記述と図像が載せられている楽器で、(フレンチ)リュートと(イングリッシュ)テオルボとの融合だ。
メイスはこの楽器を複数製作して、実際に使用していたそうだ。 


現存する楽器は発見されていないが、ごく最近イタリアの研究家と製作家が共同で復元した。
今回はその再現に関するレクチャーとお披露目だ。

実際の楽器はなかなか迫力がある。


メイス自身が書いていることだが、構えも特に問題なく、演奏姿勢も通常のリュートと変わらない。


そしてリュート協会の秘書により、製作に関してのレクチャー原稿が読み上げられた。


ただ、その復元方法や音に説得力があったかというと・・・
残念ながらそうは感じられなかった。

メイスはこの楽器について
「大きな表面板から得られる音の大きさ、同じピッチに調弦されたテオルボとリュートの弦の共鳴の豊かさ、
表面板はブリッジの真ん中で分割されている・・・」その他、構造と音に関する詳細な記述を残している。


しかし、今回のコピー?は表面板は分割されておらず、またリュートとテオルボのピッチも異なっていた。
裏板は2.3-2.7ミリという通常のリュートの倍近い厚さで作られていた。
弦はすべてナイルガットでかなり高いテンションで張られていて、音量はあまりなく、響きも少ない
検分した感じでは表面板はかなり薄そうだ・・・(リュートの表面板を必要以上に薄くすることは、初心者が往々にしておかす間違いだ)

張りの強さと表面板を検分するリュート製作家クラウス・ヤコブセン

製作者は楽器をも手がける家具職人ということで、これまでにも変わった楽器をいくつか製作しているという。
古楽器の製作修行の経験があるわけではなく、意欲と木工技術でチャレンジしている感じだろうか・・・

・・・意地悪な見方をあえてすると、特に古い楽器や音楽に興味を持っているわけでないコワいもの知らずの職人さんが、
木工の技術で珍しい楽器を再現してみた・・・みたいなことかもしれない。

それは一般の人々を驚かせることはできても、そこには多くの間違い、齟齬があり、わかる人にはすぐにわかってしまう。
英国リュート協会会員の教養豊かな紳士淑女たちが、暖かな拍手を送りながらも、一種白々とした空気になったのも無理はない。
彼らにとってリュートとその音楽、それを取り巻く文化はとても大切なものだし、
トーマス・メイスはイギリス・リュート音楽の貴重な資料だ。それを中途半端に話題性第一で扱われるのは歓迎できないだろう。

古楽や古楽器に本格的に関わるのは、そう簡単ではないのかもしれない。



2014年11月13日


ロンドンの古楽展示会に行く。

会場はグリニッジの旧海軍大学跡。経度0度。


毎年楽しみにしている催しではあるし、今年も管楽器や楽譜などには見るべきものもあった。


しかし、弦楽器や鍵盤楽器、アンティーク古楽器に興味深いものは年々少なくなっていく。
研究熱心な製作家やオーダーを抱えている人気のある工房は、こういう展示会に出品する必要もなく、
かかる時間や費用が惜しいということだろう。

今回は僕は楽器ケースを買っただけだっただが、興味深く思ったものを紹介しておく。

ニコラス・バルドックのガット弦。
現在もっとも性能が高いといわれるガットで、総ガットが張られた7コース・リュートがデモ用に展示されていた。


ロジャー・ローズのルネサンス・ガンバ。
現在、ルネサンス・ガンバというと往々にして17世紀のタイプがそう呼ばれたりしているが、
この楽器は1500年の図像その他に範を得たオーセンティックなもの。
魂柱はなく総ガットで張られている。ロジャーはこのモデルでコンソート・セットを製作中だ。


・・・この展示会は、イギリスのアーリー・ミュージック・ショップがトリニティ音楽院の協賛を得て行われているもので、
内容が商業的、宣伝的であることはやむをえないだろう。

しかし、1980-90年代に感じられた純粋な古楽復興へのエネルギーはもはや見当たらず、
古楽関係者の多くがコマーシャリズムに走っているように感じられるのは残念だ・・・



2014年11月9日

CD発売記念のパーティに行く。
今年の前半に参加したレコーディングだ。フルート奏者ナンシー・ハッデンの指揮するコーラス・グループ「プサルテ」の二つ目の録音。


僕はリュートとバロックギターを使い、数曲のリュートソングなどの伴奏を行っているほか、
それぞれの楽器でソロ、ナンシーのルネサンスフルートとのデュオ、ガンバのエリン・ヘッドリーとのデュオも弾いている。


ソロでは、バロックギターでロマネスカの即興演奏、7コースリュートで自分でアレンジした「愛の灯」(ボード・リュートブック)を弾いた。
できあがりもなかなか良く、満足である。

ナンシーとエリンとは来年、ロウピッチの楽器で17世紀のフランス音楽を録音する予定がある。楽しみだ。





2014年11月8日

10月にサマータイムが終わり、イギリスは急に暗く寒くなる。
まあこの時期は、ハロウィーン、ガイ・フォークス、ハーフタームの休暇と子供たちの喜ぶ(ただしオカルトな)時期でもある。

駅前にオープンしたケーキ屋のウインドウ。


可愛い!
・・・が・・・、
この時期にちなんで、
こんなのや↓


こんなのも・・・↓


コワすぎる・・・

ハロウィーンと言えば、ロンドンで出演したハロウィーンのライブ・ヴィデオ。


カラビアンと古楽器のセッション!(ハロウィーン特別企画だから許してね・・・)
https://www.youtube.com/watch?v=_xl0DPR6qFM



2014年11月7日

新しいリュートを入手する。

ヴェネーレのモデルの7コース。
このタイプはもう数本手元にあるのだが、今回の楽器はボディがシェイデッド・ユウ。
色がダイナミックに異なる心材と辺材を持つイチイで出来ている。

この材料は17世紀のイタリアで非常に好まれたが、現在ではほぼ入手不能と言われる貴重なものだ。
この材質のリュートをずっと欲しかったのでとても嬉しい。

オリジナルのリュートやバロックギターには様々な材料が用いられている。
勿論無節操に使われていたわけではなくて、時代や地域により好まれた材料は大きく異なる。


17世紀に愛好されたシェイデッド・ユウは18世紀の楽器にはほぼ皆無(17世紀の楽器がバロックリュートなどに改造された例はあるが)だし、
弦楽器に広く用いられているメープルやシカモアなど楓材は、17世紀のバロックギターにはほぼ全く使われていない。
(例外はストラディヴァリのフラットバックのギターだが、これらはヴァイオリン製作者によるギターでまあ例外と言える)

ユウはその弾力豊かな性質の為か、その音色と弾き心地は独特だ。音色には力強さとレガートさが同居している。
その中でもシェイデッド・ユウに関して、リュート製作家マイケル・ロウは
「心材と辺材では比重や弾力が異なるため、楽器はより複雑な反応をする」というが、
今回のリュートからも確かにそれは感じられる。

17世紀のラウンド・バックのバロックギターの大多数は黒檀やローズウッド、象牙などの比重の高い材料で作られている。
ペアーやメープルで作られた楽器はほぼ皆無だが、ユウだけは例外でいくつかの楽器が現存している。
エジンバラ大学にあるセラスのギターはシェイデッドユウだ。


この楽器は数年前に博物館で検分、弾いてみたことがあるが、
やはりシェイデッド・ユウ特有の含蓄のある響きであった。


昨今はシェイデッド・ユウに限らず象牙、ハカランダ、キングウッド、スネークウッドなどの材料を使うのが難しくなってきているが、
当時の美学は材質の使い方にも明らかに現れている。
コピー製作者や演奏者が代替品を求めるのはやむ得ないが、費用や手間に拘らずに本来の材料を真摯に追求するのも重要だと思う。



2014年11月6日

このところコンサートなどで忙しい。

ロンドンでハロウィーンのコンサートで弾き、
ブライトンの古楽祭に出演し、マンチェスターの大ホールのライブで弾いた。


で、昨日はガイ・フォークス・・・
400年ほど前にエリザベス女王を暗殺しようとした人物が火あぶりにされたのを記念する?日で、
方々の公園で火がたかれ、花火が上げられる。
花火は僕のフラットからもよく見える。


冬の花火はそれでそれで風情があるが、まあなかなかブラックな風習だ・・・




2014年10月28日

ラジオに出演。
2年ほど前にも出たルネサンスFMだ。

今回はダブルフレット/ガット弦のリュートとイングリッシュギターを演奏した。


放送はネットでも聴ける(ここをクリック!




2014年10月24日

ナイジェル・ノースのリュート・リサイタルを聴く。


16世紀のレパートリーのプログラムで、これまで17世紀以降の音楽を主に弾いてきたナイジェルとしては新境地と言える。

期待に違わず説得力のある演奏だった。奏法は完全なサム・インサイド。

楽器はマルコム・プライヤー作の6コース。
弦はガットとナイルガットで巻き弦は1本も使われていない。

楽器のモデルはティーフェンブルッカーだろうか。ピッチは440近辺に聞こえる。
指板が表面板に食い込んでいるリュートで、僕も同様の6コースを1本持っている。

このデザインは16世紀初頭のリュートにしばしば見られる。


終演後にナイジェルと話も出来て満足である。
ナイジェルは15年ほど前からアメリカ在住となっているが、僕は彼のイギリス時代の最後の弟子の一人だ。

帰宅して彼の新譜、フランチェスコ・ダ・ミラノの録音を繰り返し聴く。

つくづくリュート音楽とは豊かで美しいものだと改めて想う・・・

これからもフランチェスコとヴァイスのレコーディングが続けてリリースされるそうだ。
楽しみである。

ナイジェル・ノースのフランチェスコのライブ演奏へのリンク
http://www.youtube.com/watch?v=r-c7c6rmvA8




2014年10月23日

ルイスの古楽器工房を訪ねる。

目下、この工房では僕の所有する二台の17世紀のオリジナル楽器、
ミランのバロックギター(1633)とティールケのリュート(1682)の修復が進んでいる。


どちらも歴史的に非常に貴重なだけでなく、後世の心ない改造から免れている希有な楽器だ。
演奏活動に使用出来るように修復する方針だ。とても楽しみだ。

たまたま工房ではヴォボアンのバロックギター・コピーが完成されたばかりだった。

早速試奏する。弾きやすく、リッチで暖かな音だ。

顧客の要望により装飾の少ない仕様だが、ローズは手が込んでいる。


フランスのヴォボアンのギターが、イタリアンのギター製作から大きな影響を受けていることは案外知られていない・・・・
材料の使い方や内部構造など、瓜二つと言えるポイントが多いのだ。

横板に黒檀、裏板にユウやシープレスを使うことはヴォボアン派の専売特許のように言われたりするが、
それはイタリアのギター製作を模倣したものだし、それ以前、16世紀のスペインのヴィウエラ関係の資料に同様の記述があったりもする。


オリジナル楽器を詳細に検分することで、ヴォボアンのコピー製作にも大いに参考になったと喜んでもらえて、嬉しい。



2014年10月20日

ロンドンのウォーレス・コレクションを訪ねる。

ケンウッドハウスと同じく18世紀の館、現在では博物館となっている。
調度品、武具でも有名だが、なんといっても17−18世紀の絵画のコレクションがすごい。
何度も訪れているが、今回いくつか新たな発見があった。

この絵はボイリーの「愛の嘆き」。1800年頃の作品だ。


左手にはギターが描かれている。


一見通常の19世紀ギターだが、ヘッドをよく見ると5単弦だ。

ペグはヘッドの先の真ん中に1本、下側の両脇に2本ずつ、計5つ。

5単弦ギターは18世紀の後半からフランス、イギリス、イタリアそしてドイツでも用いられている。
しばしば教則本にも言及されてもいるが、残されている図像や楽器はそう多くはない。

もう一枚、同時代の作品「死んだ鼠」


右端にギターが描かれている。


ペグは6つあるようだが、弦の数は判然としない。あるいはこちらも5単弦かもしれない。


最後に、フェルメールと同時代の「ギターを弾く少女」。


やはりヴォボアン系のギターだ。

ブリッジ近くの弾弦、左手をテーブルに載せた構えなど、
当時の教本に勧めに即した模範的な姿勢と言える。


2014年10月17日

ケンウッド・ハウスを訪ねる
ロンドン北部の丘陵地帯ハムステッド・ヒースにある18世紀ジョージアンの貴族のお屋敷で、
現在は美術館/博物館になっている。白亜の宮殿の名がふさわしい。


美しい音楽室がある。


僕にとって興味深いのはフェルメールの絵画「ギターを弾く少女」だ。

この絵はジェイムズ・タイラー著、オクスフォードから出版された「ジ・アーリーギター:歴史とハンドブック」の表紙になっていた。

日本の学生時代にむさぼるように読んだ本だ。

この絵の楽器は明らかにヴォボアン系のフレンチ・バロックギターだ。


表面板と指板には象牙と黒檀の模様、ロゼッタは金泥塗り。下はオリジナルのヴォボアン。


興味深いのは左手の構え方で、手の平でネックを支え親指はネックの上に乗っている。


現代の奏者にはあまり見られない手の形だ。
クラシックギター奏者がそうであるように、現代の古楽器奏者も親指はネックの裏の下側に位置させるのが一般的だ。

しかし、この構え方は腕と手首を内側に捻っているため、身体にかかる負担は大きい。
しばしば故障の原因にもなるという。

手の平でネックを支え、親指をネックに乗せる構え方を実際にやってみると、
押弦が楽で手首や腕の位置も実に自然であることがわかる。

クラシックギター的構え方がいわば「臨戦態勢」であるのに対し、
こちらの構えは平常心で演奏することができる。

このフェルメールの絵に限らず、多くの絵画にこの構え方は見られる


難点があるとすれば指の拡張が難しいことだが、拡張が必要な際には親指の位置を変えれば良いのだ。
僕らは往々にして「ただ一つの正しい方法」を考えがちだが、19世紀までの人たちはフレキシブルで、
場合に応じてもっとも快適な方法を採っていたと考えられる。

この構え方に関して、親指で低音弦を押さえることがしばしば言及されるが、
それはいわば副産物で、左手をリラックスさせることが主眼であったように思う。

このことに限らず、現代の古楽器演奏における多くのことが、まだまだモダン楽器演奏の影響下にある。
例えば、足台を使うこと、いつも決まった音高に楽器を調律すること、音量を求めること、暗譜演奏を良しとすること、
いつも同じように演奏出来るように練習すること・・・などもそうだろう。



2014年10月10日

ロンドンのグレシャム・カレッジのレクチャーを聴きに行く。

グレシャム・カレッジは16世紀に開講されたパブリック・ユニバーシティ。
音楽科教授は長らくクリストファー・ホグウッドが務めていたが、つい最近クリストファー・ペイジに替わった。

クリス・ペイジとは数年前からケンブリッジのアーリーギター学会を通じて親交がある。
今回はクリスの記念すべき最初のレクチャーだ。
それも「ロマンティック・ギター」と題された19世紀前半のイギリスのギター・シーンがお題だ。
聴きにいかぬわけにはいかない。


ゲストにオランダの学者/ギタリスト、イェルマとソプラノ、ヴァレリーを迎え、生演奏も披露された。
一般向けで非常にわかりやすく、しかも深みのあるトークだった。演奏もつくづく美しい。


終演後に皆でお食事。楽しいひとときであった。

イェルマの楽器は無銘のフレンチ、おそらくミルクールで1820年頃に作られたものだろう。
薄いフィンガーボード、ペグ調弦の典型的なフレンチだ。

装飾の少ない地味な作りだが、イェルマは「私の持っているギターの中で最も実用的なよく働く子(workhorse)よ!」
と言っていた。

弦長は65センチ近いが、弦幅が狭めで弦高が低いので左手の押弦も快適だ。
長い弦長は低音の音の出方を有利にするので響きも格別だ。

しばしば短い弦長の楽器は弾きやすいと言われるが、これは全くの誤解だ。
長目の弦長による豊かな響きはかえって両手をリラックスさせてくれるし、
総弦長の1,2センチの違いなど、一つのフレットについてはほんの僅かな差異でしかない。

いつかリュートについても書いたが、弾きやすさに拘って短い弦長の楽器を探す人をしばしば見かけるが、大抵の場合見当違いだ。
弦幅や弦高をチェック、良く調整する方が遥かに効果的なのだ。



2014年10月4日

ロンドンでファミリー向けのコンサート。
バンドはコンサーティニーズ、チェロ、笛、ガンバ、打楽器と踊りのクロスオーバー・バンドだ。


僕のバッハのリュートソロはモダンダンスと共演。可愛らしくも子供が飛び入りしてくる。



2014年10月2日

イギリス中東部イプスイッチで音楽祭に出演。

共演バンドはラ・セレナッシマ、ヴィヴァルディを専門とする団体だ。
七つほどのヴィヴァルディのコンチェルトを演奏する。

こういうレパートリーの場合、テオルボもしくはアーチリュート、そしてギターを使う場合が多いが、
今回はギターだけで演奏してみる。

ギターはプンテアードとラスゲアードを使い分けるとヴァラエティ豊かな演奏が可能で、調弦も楽だ。
楽しく演奏する。



2014年9月15日

スイスのヴィンターツールで演奏会。
歴史を感じさせる美しい街だ。
 

会場はタウンホール。非常に響きが良く楽しんで演奏する。


街の小さな美術館のウインドウで興味深い絵を発見。


17世紀の絵画だが、描かれたリュートには明らかにダブルフレットが巻かれている。



2014年8月30日

大津のびわ湖ホールで関西講習会。
今回はリュートばかり、ゲストにリコーダー。


リュートは全てダブルフレット、ガット弦。

関西講習会にはオーセンティックなアプローチを採る人が集まる。


2014年8月29日

相模湖でCDレコーディング。
パーセルの歌曲が主で、ギターとリュートのソロも録音する。
 

リュートはガット弦、ダブルフレットの8コース。出来上がりが楽しみだ。



2014年8月26日

明日から始まるCDレコーディングのリハーサル。

編成はソプラノ、ガンバ、それに僕のリュートとバロックギター。
ガンバはオリジナルのティールケ6弦。名器である。
僕はマーシャルのオリジナル5コースギターと8コースリュート。


先日のハクジュのイヴェントでもあったが、「どうしてコピーではなくオリジナルを使うのか?」
としばしば聞かれる。

こちらの答えは単純明快で「オリジナルの方が出来が良い。勉強にもなる」というものだ。

17,18世紀に良い製作家によって作られたオリジナル楽器は、例えば同時代の画家、カラヴァッジョ、レンブラント、
フェルメールやワトーなどの手による絵画作品にも比べられるものだと思う。
そう簡単にコピー出来るわけがない・・・
彼らは現代では考えられないほどの長い修行期間を経て専門家となった人たちだ。

また彼らの材料や技法が解明できたとしても、そこにある芸術性や実用性はまた別物である。
現代の製作家は、やはりそれなりの覚悟と熱意を持って修行と研究を行って欲しいと思う。


2014年8月25日

ハクジュのコンサートで使用したカスタネットに関して、何人かの方たちから質問を受けた。
あれはパリの骨董楽器商から入手したもので、18世紀にフランスで作られたオリジナル・カスタネットである。
現代のものよりも小ぶりで材質は象牙。子音豊かにクリアーに鳴る。
やはり古楽器には古楽器が合うのだ。

左から:19世紀の木製カスタネット、18世紀の象牙カスタネット、現代の合成樹脂カスタネット


2014年8月24日

ハクジュのギターフェステが終了!
初日にリサイタルを行い、続く2日間は古楽器(リュートとバロックギター)の解説とデモンストレーション、
聴衆による体験コーナーなどを行った。
楽しい3日間だった。





2014年8月22日

ハクジュギターフェスティヴァルに出演。
僕は第1部でバロックギターを演奏した。
プログラムは以下の通り
第1部「王宮のギター バロック」
コルベッタ:シャコンヌ
ド・ヴィゼ:組曲ニ短調
クープラン:ロンド「修道女モニカ」
「スペインのフォリア」による即興演奏
伝承曲:コントルダンス「レ・マンシュ・ヴェルト」(グリーンスリーヴス)
J.S.バッハ:「ロンド風ガヴォット」(BWV1006)

ド・ヴィゼ、フォリアそしてコントルダンスはダンスと共演。
弾いていてもとても楽しい演奏会だった。


第2部は荘村清志氏と福田進一氏の演奏。
特にタンスマンと三善晃の作品が印象に残る。
今更ながらモダンギターの良さを再認識した。



2014年8月20日

日本に来ている。

今日は東京のHakujuホールでのリハーサル。
ホール主催のギターフェスティヴァルの一環、8月22日のリサイタルの為だ。
今回はフレンチ・バロックばかり、コルベッタ、ド・ヴィゼ、クープランなどを演奏する。


ゲストにはダンサーたち。ド・ヴィゼの組曲やコントルダンスなどを踊ってもらう。


Hakujuホールの音響は素晴らしく、弾いていて楽しい。

本番が楽しみだ。


2014年8月3日


フェントンハウスに行く。

ロンドン北部ハムステッドの高台にある17世紀のお屋敷で、現在は博物館になっている。
ベランダからの景色が美しい。


歴史的鍵盤楽器のコレクションが有名だ。
リュートも数台あり、素晴らしいウンベルドーベンの作品がある。
もともとルネサンスだが18世紀にジャーマンバロックに改修されている。


↓はアヤシイ楽器。19世紀に作られたフェイクだ。

この種のリュートは世界各地の博物館(日本含む)に多く見られる。


2014年7月27日

ウォレス・コレクションに行く。
ロンドンの繁華街ボンド・ストリートから徒歩10分ほど、驚くほど静かなスクエアにある美術館だ。


ここにはこれまでも何度も足を運んでいるが、今回も新しい発見があった。
16世紀中庸のイタリアの絵だ。フライ/マーラー系の美しい6コースリュートが描かれている。


弦もはっきりと見える。第1コースシングル、その他はダブルだ。

第6コースは現代通常行われているのとは逆に、低音側に高いオクターブ、高音側に低いオクターブが張られている。
是非試してみよう。

音楽とは関係ないが、今回特に気に入った絵。
ジョシュア・レイノルズのジェーン・バウレス嬢の肖像。

とても愛らしい女の子がスパニエルの子犬を抱きしめている。
全身で愛情を表現しているようだ。
で・・・子犬はあまりにも強く抱きしめられているので、むしろ迷惑そうにも見える(良くあることだ・・・笑)



2014年7月25日

↓のように調整した楽器を弾いていると興味深いことがいくつも分かってくる。

その一つは音高の聞こえ方がまるで異なることだ。
最初は(慣れない間は)、調弦するのが難しく感じられる。
多くの倍音が聞こえ、ここぞ!というポイントがなかなか絞り込めない。
やっと合った!と思っても、またすぐに微妙にずれて感じられたりもする。

しかし、曲を弾き始めるとそんな不安はすぐに解消する。
和音は美しく響き、旋律は個性豊かに流れる。
全体が包容力のある響きとなり、逆に少々調弦がずれても問題にならない・・・

不思議な現象だが、おそらくは:
低い張力のために楽器はより自由に振動し、また低い弦高のため弦はフレットに微かに触れて微かなサワリのある音色となり、
複雑な倍音構成になり全体に音程の許容幅が広がっているのだろうと思う。
また巻き弦を一切使っていないので、いわゆるブーミングな音が出ていないことも大きいだろう。

こうなると現代の電子チューナーなどは役に立たない・・・チューナーは複雑な倍音を聞くことはなく、
単に電子的に強い基音を拾っているだけなのだ。

撥弦楽器だけでなく、オリジナルのトラヴェルソの場合でも
チューナーの針と実際の聞こえ方との齟齬は日常的に経験することだ。

リュートやギターの歴史的資料に、いわゆる古典調律の勧めがほぼ皆無なのも納得がいく。



2014年7月24日

世の中は騒然としているが、それでも僕はギターに弦を張り、リュートを弾く。
音楽だけは、誰にも強制も懇願もされないで、この僕が自ら行っていることだ。
何があろうともやめることはない。

来年、低いピッチでのレコーディングが予定されているので、このところ楽器の調整などにかかっている。
できればこの夏に弦やアクション、奏法の目処をつけてしまいたい。

低いピッチというのはいわゆるヴェルサイユピッチ、A=392あたりのこと。
まあ実際にヴェルサイユで392ちょうど!が用いられていたわけでは無論なく、
380ー405あたりの幅はあったろう。
そもそも電子チューナーなどなく、音叉も普及していなかった時代のことだ。
ガット弦は湿度によってすぐに上下するし、管楽器も温度によってピッチは変わる。
古楽器においては絶対的なピッチを云々すること自体がいわばナンセンスなのだ・・・

使用するのは11/10コースリュートとバロックギターだが、それぞれ数台ずつの候補がある。
いろいろ試しながら絞り込んでいくうちに、下の画像の2台が残った。


11コースはクリス・エガートン作、弦長66センチ。80年代に作られたリュート。
誠実に作られてはいたが、ご多分に漏れず、高めの弦高(7フレット付近で3ミリ強)、
ナットまわりの弦幅も広すぎた(0フレットの指板幅80ミリ)。
なので製作者に依頼して、指板を交換、ネックも削り、弦高は2ミリ以下に、指板幅は76ミリにまで狭めた。
これでほぼオリジナル通りだ。ダブルフレットを巻き総ガット弦を張ってある。
結果、非常に弾きやすく、反応の良いリュートとなってくれた。
太いキャットラインの低音弦から発せられるサワリが心地よい。
ダブルフレットの大きな特徴として、弦高を非常に低くしてもビリ付きなどの雑音が気にならなくなることが挙げられる。
以前、僕はダブルフレットはビリ付いた音色を出す為だと思っていたが、
今では低い弦高による演奏性の向上(つまり弾きやすくなる)も大変重要だと考えている。

バロックギターはヴォボアン派のオリジナル。18世紀中庸のパリのギター。
ほぼ100パーセントオリジナルのコンデションで多くのことを教えてくれる。
特徴として、右手周りの弦高(弦と表面板の距離)が非常に小さいことが挙げられる。
ちなみにロゼッタ右側の弦高は4ミリもないくらいだ。ブリッジそばでも5ミリほど。
これは経年変化ではなく、表面板と内部の力木、側板がもともとそのように整形されているのは修復時に確認済みだ。
こちらも総ガット、フレットはシングルだ。
この楽器はもともとA=415あたりを想定した弦を張ってあったが、弦をそのままで半音ほど下げてみると、
非常に良く響く上に弾きやすい。

どちらの楽器もその敏感さと低い弦高のため、強く弾くと音は壊れてしまう。
ほんの小さな指の動きでも楽器は充分に鳴ってくれる。
音楽するのに身構える必要は全く無く、鼻歌を歌うように自由に音を紡いでいくことが出来る。

タッチはなるべく浅く、ブリッジ近くの弾弦が効を奏する。子音豊かなクリヤーな音色だ。


同じような右手の位置と奏法は17−18世紀の絵画に見られる。最もスタンダードなものだ。


ギターの場合はネックとボディのジョイントで弾いている図像も多いが、これはラスゲアードの位置。 


ワトーはこの二つの奏法と弾弦位置を描き分けている。




2014年7月23日

マレーシア航空機撃墜、イスラエルのガザ攻撃など悲惨なニュースが毎日届く。
イギリスに住んでいるとこういうニュースは全く人ごとではない。
イスラエル建国と維持にはイギリスが大きな役割を持つし、ウクライナ情勢もいわば西側とロシア側の利権がらみの対立だ。

湾岸戦争、イラク戦争の際にも思ったが、イギリス人の中は精神構造的にシンプルで、
こういった複雑な情勢にも勧善懲悪の論理をもって疑わない人も多い。

先日、ロンドンの教会でレコーディング・セッションを行った。
共演者はユダヤ人のガンバ奏者。イスラエルから10年ほど前にロンドンに移り住んできた。
彼女は、イスラエルのガザ攻撃にそれはそれは心を痛めていて、話していても気の毒になるほど。
「私は自分の出身を誇ることが出来ない、そしてそれは大変つらいことだ」と言う。

彼女がイスラエル出身であることを知った教会のワーデンが、慰めるつもりかしたり顔に言う。
「でもね!旧約聖書にはイスラエルはユダヤ(人)に神が与えた約束の地だとはっきり書いてあるんだよ!」

・・・こいつはガザでは何百人という子供たちが爆撃で亡くなったり怪我をしていることを何とも思わないのだろうか?
戦争は軍人や政府ではなく、こういったシンプルな善人がおこしているのかもしれない。



2014年7月17日

ロンドンのダイワ・ジャパンハウスでコンサート
パーセル時代のイギリス音楽を主に演奏する。使用楽器はアーチリュートとバロックギター

ここでは毎年コンサートを行っているが、いつ弾いても聴衆の質やノリも良く大変結構だ。




2014年7月11日

ロンドンの古楽祭に出演。
ヴィヴァルディの声楽曲が中心だが、ソロでは「ラ・フォリア」の即興演奏とバッハの作品をいくつか弾いた。
テオルボとアーチリュートどちらを使用するか少し迷ったが、やはり18世紀のコンティヌオにはアーチリュートが向いている。



2014年7月9日

英国南部ケントでバロック・フラメンコ・フュージョングループ「ミ・ルーナ」との本番。
リハーサル前に広々としたフィールドでピクニック気分。

このグループはそれぞれ国籍も個性も得意な言語もまるで違うが、大層一体感のある団体だ。
それぞれが飛び抜けた独自の才能を持っていて、その内容たるや120パーセント自分自身の言葉だ。
共演していてもありきたりのバロック団体よりも数倍面白い



2014年7月8日

ほんの数日の予定で日本に行ってきた。
練馬のバレエ公演でフォリアの即興演奏を弾いてとんぼ返り。
さっそく今日からロンドンでの仕事だ。


2014年6月28日

ロンドン北部の古い教会でコンサート。
ナンシー・ハッデンのフルートとともにバッハとド・ヴィゼーなどを演奏する。

会場の響きも良く、楽しい本番だった。
ナンシーとは来年、ド・ヴィゼーなどをレ一緒にコーディングすることになっている。
こちらも楽しみだ。



2014年6月27日

ゴールドベルクのアリアを好きである。

ピアノやチェンバロでも良く弾いたが、今回フルートとリュートでやってみるとまた新しい発見がある。
このアリアに数字付けすると以下のようになる。

低音はおおむね下降するパッサカリア・バス進行だ。
全体の和声進行はバッハにしては大層シンプルで、彼の常套句とも言える減和音なども出てこない。
このアリアがバッハ自身の作ではないとも言われる所以だ。

シンプルながらも非常に良く設計されている曲だ。
前半はト長調からニ短調に転調しているだけだが、例えば2段目3小節目の52の和音や、
続くホ短調の和音への移行など、洗練の極みだと言える瞬間がある。

後半、バスの高いテスチャトゥーラにより緊張感は増し、4段目最終小節でホ短調に移調、
5段目の最初の数小節で抑制された、しかし語法としては充分に複雑で表現的な和声進行が用いられ、
5段目3小節目でホ短調を強固に主張した後、いきなりのハ長調への転調! 
これはまさに天上的な瞬間で、悲嘆にある人に穏やかで暖かな救いの手がさしのべられたようだ。

5段目5小節目からの3小節では7度の含蓄ある和音が聞き取れる。慰めのハーモニーだ。
6段目3小節目からは安定したウォーキング・ベースが奏でられ、肯定的な気分へと導く。
そして穏やかな幸福感に満ちたカデンツ。
短い曲ながらも、弾きながら様々な気分へと誘われ、弾き終えた時の満足感は例えようもない。

明日の本番が楽しみだ。



2014年6月23日

ナンシー・ハッデンとのセッション。

ナンシーはトラヴェルソ奏者。
僕がギルドホール音楽院で学んでいた際は、ルネサンス音楽講座の教授だった。
週末の演奏会の為のリハーサルで、僕はソロ数曲の他、
バッハのゴールドベルクのアリアとド・ヴィゼーの組曲をナンシーとのデュオで演奏する。

使用楽器はナンシーがヴィーマルスのロッテンブルク・コピー、
僕は11コースリュートと5コースギター。


ナンシーはトラヴェルソだけでなく、バロックギターを弾き、また大変素晴らしい歌手でもある。
彼女の旋律のとらえ方にはいつも感銘を受けるし、また和声の感覚にも優れている。
本番が楽しみだ。


2014年6月20日

日本ツアーからロンドンに戻っている。

日本では浜松の後、東京の六本木でライブ、京都で講習会、横浜でのレッスンなどを行った。

京都講習会の楽器と内容はこんな感じ
*バロックハープ:モンテヴェルディ
*バロックギター:サンス
*リュート通奏低音:リッチォのカンツォン
*バロックギター:サンス
*リュート:スピナッチーノ
*バロックハープ:ムダーラとナルヴァエス
*バロックギター:ド・ヴィゼー
全体のセッションではプレリュードとパッサカリアによる即興を取り上げた。


六本木のライブでは、曲目は決めずに当日聴衆からのリクエストによって演奏することにした。
こんな感じ↓


今回は東京、横浜、浜松、京都、宗像、福岡を回ったが、どのイヴェントも大変楽しく、
また音楽を心から愛する人々と巡り会うことができた。大変ハッピー!だ。



2014年6月7/8日

浜松でワークショップと講習会、コンサートを行う。

初日にはリュート関係のレッスン。お題は次の通り。
ヴァイス/バッハ:組曲 BWV1025 (リュートとヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏)
スピナッチーノ:リチェルカーレ
ビットナー:組曲 ト短調

ワークショップでは17世紀ドイツの手稿譜から3声のチャコーナ。
それからエクストラとしてホルボーンの「スイカズラ」とジョスカンの「千の悲しみ」

夕方には竹内のソロコンサート。前半にバロックギター、後半は主にリュート。
プログラムはこんな感じ。

*スパニョレッタとカナリオ
*ロマネスカによる即興演奏
*バッハ:パルティータBWV1006よりガヴォットとメヌエット
*前半のアンコール:グリーンスリーブスによるセッション(声楽とリコーダーとギター)
 休憩
*スパニョレッタによる即興演奏
*愛の灯(ボード・リュート・ブックより)
*ホルボーン/竹内:スイカズラ(心の平和)
*ジョスカン/千の悲しみ
*スペインのフォリアによる即興演奏
*アンコール:バッハのアンダンテ(BWV1004)

楽器はバロックギターが18世紀オリジナルのフレンチ、後半は受講生のリュートを借りた。
ダブルフレット、総ガット、弦長66センチの素晴らしい6コースだ。

翌8日は4組のレッスン。内訳は:
ムダーラ:ルドヴィーコのハープを模したファンタジア、ナルヴァエス:ロマンス「ムーアの王は」(アルパ・ドッピア)
モンテヴェルディ:「甘い苦しみ」、パーセル:「ひとときの音楽」(声楽とテオルボ)
ソル:エチュード(19世紀ギター)
モンテヴェルディ、メルーラ他 (コルネット、ガンバとハープ)

そしてワークショップではパッサカリアによる即興セッション。


いつもながら浜松方面は熱心な愛好家が多く、大変楽しい2日間だった。
次の機会が楽しみだ



2014年6月2日

九州ツアーを終える。宗像で個人レッスン、講習会とコンサート、
福岡で講習会とコンサートを行った。

宗像の会場は以前にも訪れたことのあるユリックス。
音楽スタジオで講習会、レストラン/ライブハウスでコンサート。
コンサートでは前半にバロックギター、後半にリュートを主に演奏した。
リピーターの聴衆も居り、リラックスして楽しく演奏する。

福岡の主催は九州きってのギターセンターと言える「フォレストヒル」。

熱心なギターファンに囲まれての講習会とコンサートだった。
スタッフや参加者の方たちは皆たいそう感じが良く、ハッピーだ。


楽しい九州ツアーだった。また是非行く機会があればと思う。



2014年5月24日

日本に来ている!
6月中旬まで各地でコンサートや講習会を行う。

今日は今回最初のイヴェント、東京の根津教会でのソロコンサート。
東京神学大学後援会の主催だ。

昨年もこの催しには出演していて、イギリスのリュートとバロックギター音楽を演奏した。
今年はバロックギターとイングリッシュギターによる17,18世紀のギター音楽。

会場の根津教会は約100年前に建てられた古い教会で、響きはなかなか良い。
いつも通り楽しんで演奏する。

プログラムは以下の通り。

伝承:スパニョレッタとカナリオ
ド・ヴィゼ:組曲
ロマネスカによる即興演奏
クープラン:修道女モニク
休憩
ヘンデル:メヌエット
不詳:2つのスコットランドの旋律
スペインのフォリアによる即興演奏

今日も楽しい一日だった。


2014年5月15日

オイゲン・ミュラー・ドンボア氏の訃報が入ってきた。2014年5月9日没。

ワルター・ゲルヴィッヒに学びミヒャエル・シェッファー氏と並んで、現代リュート演奏の基礎を築いたリュート奏者だ。
彼のバッハとヴァイスの演奏でリュートに開眼した音楽家、愛好家は多いだろう。僕もその一人だ。
彼は演奏だけでなく、研究や教育の分野でも大きな構成を残している。


つい先週、スティーブン・ゴットリーブ氏の訃報に接した際も感じたが、こういう巨人と呼べるパイオニアたちが没していくのはやはり残念だ。
僕らは彼らの功績を忘れず、彼らの業績に基づき、古い音楽の世界をより探求していかなければならない。

ドンボア氏の葬儀は6月4日にスイスのArlesheim、Reformed教会にて。参列は自由だそうだ。



2014年5月10日


リュート協会のミーティング。

今回は「ハーバート卿のリュート・ブック(Lord herbert of cherbury Lute Book)」がテーマ。


17世紀の前半に書かれたリュート手稿譜で、ダウランド、バチェラー、フェラボスコなどはもとより、
ジャック・ゴーティエやヘリーの作品なども収められている。
現在、リュート協会ではこの手稿譜のカラー版ファクシミリの出版を準備中。
沿革や楽曲についての詳細な解説も同時に出版される予定だ。

今日はいくつかのレクチャーの後、数人のリュート奏者がこのリュートブックから作品を演奏した。
最初に演奏したマーティン・イーストウェルは総ガットの10コース使用。

今日も楽しい一日だった。


2014年5月6日

ポルトガルから戻る。

首都リスボンの大きなホールでコンサートをした。

いつ行っても、ポルトガルは人は優しく、食べ物は美味しくてまことに結構だ。



2014年5月2日

ドイツのハノーファーに行っていた。

目的は二つ。

一つはハノーファーにあるオリジナルのキタローネの試奏。
この楽器は以前にも弾いたことがあるが、今回ちょっと知りたいことがあり、再び弾いてみることにしたのだ。
ヴェネーレ作、1600年頃のキタローネだが、表面板は18世紀初頭に交換されている。
その際にバロックリュートに改造されたと思われるが、現在はキタローネの形に戻されている。


所有者は友人のリュート奏者ウーリッヒ・ヴィーダ−マイヤーで、
彼はこのキタローネを多くのコンサートやレコーディングで使用している。

ちなみに彼のアンサンブル↑のガンバ奏者の楽器はホフマン作のオリジナルだ。

このキタローネ、今更ながら子音の強い語る音色であった。いろいろ納得がいく。


もう一つは古いガット弦の年代測定に関する実験に立ち会うため。
しばしばオールドの楽器には古ぼけたガット弦がついているものがある。
それらの弦が楽器が使われていた当時のものであることが証明できれば、
その仕様、径や製造法などは貴重な資料となる。
年代測定法としては、炭素14法などがよく知られているが、100年、200年といった単位ではなかなか難しいようだ。

今回はハノーファーの研究者の好意で、電子スピン共鳴法というやりかたで、
時代がほぼ分かっている数本の弦を調べてもらった。
こちらが持参したサンプルは:
*新品のガット
*10年ほど前のガット
*1920年頃に製造されたと思われるガット
*1810年頃のハープリュートに付けられていたガット
などである。


結果は見事!に鉄原子の酸化状態とガットの年代には関係があることが分かった。
より多くのサンプルを調べデータを蓄積すれば、精度も上がるだろう。
非常にエキサイティングな経験だった。実験して頂いた科学者の方には心からの感謝である。



2014年4月28日

10/11コースリュートの低音弦の実験中である。

これまではガット弦を使ってきた。キャットラインやローデッドガットなどだ。
 

弾き心地や音色にまったく不満はないが、この先、合わせものの仕事が増えそうだ。
湿度などの変化に敏感なガットでは、しばしば調弦の必要がある。
合わせものの組曲などでは、曲間にできればあまり調弦したくないし
ピッチを心配して、曲中で番外弦の低音を弾くのを躊躇してしまったりする。

なので、今回は各種の合成樹脂の人工ガット低音弦を10コースリュートに試してみた。
サヴァレスのフロロカーボンを材料にしたKF弦、アクイラの新発売ナイルガット、
そしてアクイラのローデッド・ナイルガットの試作品だ。
こんな感じ↓。

上から、I〜GサヴァレスKF/ナイルガット、Fアクイラのローデッド・ナイルガット/ナイルガット、E,Dナイルガットだ。

なかなか感じよく、アンサンブルのステージなどで充分に使えそうだ。
フレットもダブルにしてみたが、サワリの按配も悪くない。
欲を言えば表面の凹凸があまりないので、音の立ち上がりの立体感にやや欠ける気はする。
まあ結局はガットに優る弦はないということなのだろう・・・



2014年4月27日

このところ、10コース/11コースのリュートを勉強、探求している。

この6月あたりから、主にナンシー・ハッデンとの仕事で17世紀の音楽を多く演奏することになりそうだ。
時代的にはダウランドの最終期あたりからド・ヴィゼくらいまでの間だ。

この時代、リュートは8/9コースから10コース、そして11コースへと変遷していった。

現代では10コースリュートというと、弦長63センチ前後、1コース以外全てダブル、ルネサンス調弦が典型、
11コースは弦長67センチ-70センチ、1,2コースはシングルで他はダブル、ニ短調調弦が典型とされる。

しかし、17世紀には様々な仕様の楽器が使われ、調弦も実に様々であった。

10コースリュートは、非常に広範に使われた様に思われているが、現存する楽器はひとつしかない。
チョックの手になる美しい象牙のリュートで、弦長は67センチ。


もう一つチョックと同定されるリュートがロンドンにあり、こちらは11コース、やはり弦長67センチで、1コースのみ単弦だ。


ライリッヒのリュートが11コースに改造されたものが残っているが、これは弦長61.5センチ。ずいぶん小さい。

この楽器はおそらくもともと弦長57センチくらいのリウト・アッティオルバートだったので、
ボディとのプロポーションの関係で弦長が短くなっているのだろう。

17世紀初頭に書かれたボード・リュート・ブックにおいて、9コースリュートの曲が大半だが、
末尾近くには10コースの作品が書かれている。調弦もルネサンス調弦のみならず、
ハープ式調弦、ゴーティエの調弦、フランス式フラット調弦、いわゆるニ短調調弦など大変多彩だ。

また10コースリュートための特別な練習曲も書かれていて興味深い。



2014年4月25日

リュート製作家スティーヴン・ゴットリーヴ氏が亡くなられた。

ゴットリーヴ氏は歴史的リュート製作のパイオニア、マイケル・ロウやスティーヴン・マーフィらと共に、
70年台から素晴らしい歴史的リュートを作り続けていた。

ガット弦を積極的に推進し、彼が居なければガット弦が市民権を得るのは十年単位で遅れていただろう。
修復したオリジナル楽器も多い。なかなかの親日家でもあった。
彼にはリュートをオーダーすることを考えていたし、またそのうちインタビューも行いたく思っていた。
いずれにしても大変残念だ。謹んでご冥福をお祈りいたします。


2014年4月10日

ケンブリッジのシドニー・サセックス・カレッジで行われたコンフェランスから戻る。


18世紀後半ー20世紀初頭までを扱うギターリサーチの会。今年で4回目だ。
会員数には制限があり、参加には会員全員の賛同が必要なのであまり一般には知られていないが、
アーリーギターの世界においてはおそらく世界で最もアカデミックな会である。


ちなみに、現在発売中の「アーリー・ミュージック」誌はロマンティックギターの特集号だが、寄稿論文は全てこの会の会員によるものだ。


今回は3日に渡って様々なプレゼンが行われた。僕はジェミニアーニのレクチャーリサタイルを行った。
スケジュールを簡単に紹介。

4月7日
*イエルマ・ファン・アメルスフート(ライデン大学):オランダにおけるイングリッシュギター、その歴史とレパートリー
*ポール・スパークス:18世紀後半から19世紀中庸にかけてのマンドリンとギターの為のレパートリー

4月8日
この日はフェルナンド・ソルに関する研究を特集。
*ジェイムズ・ウエストブロック(ケンブリッジ大学/ギターミュージャム):ソルのギター
*エリック・ステンタボルド(オスロ音楽院):ソルの装飾音/ソルのロンドン時代末期について
*ブライアン・ジェファリ(テクラ出版):ソルのメトロノームの指示について
*ケン・ハートデゲン(オークランド音楽院):ソルの右手の運指について
*ウーリッヒ・ヴィーダマイヤー:プラッテンの手稿譜と覚え書きについて
*クリストファー・ペイジ(ケンブリッジ大学):19世紀初頭のイギリスにおける6弦ギター
*コンサート(竹内太郎:ジェミニアーニのギター作品/ヴィーダマイヤー:プラッテンのギター作品)

4月9日
*アンドリュー・ブリトン(ブリストル大学):19世紀にイギリスで活躍した外国人ギタリストたち
*パノス・ポウロポス(ミュンヘン博物館):モリーノのガンバ型ギターについて

プレゼンは全て学問的研究に裏打ちされており、安心して聞いていられる。
演奏家である僕とウーリ以外は皆、PhDの持ち主で、とことんまで科学的な姿勢がここでは当たり前だ。
たまに論争になることもあるが、あくまでもエヴィデンスの有無をめぐってのことで個人的な解釈は関係ない。
ほとんどは文献上のことなので、たまに資料として示されたオリジナル楽譜、楽器などはなかなか新鮮で刺激的だ。

ウーリはプラッテンが生徒のために選定したギターと、彼女が生徒に贈った自筆譜を持ってきていた。

興味深かったのは、自筆譜の裏に書かれた非常に個人的な手紙と詩で、
プラッテンとこの生徒が特別な師弟の感情で結ばれていたことがよく分かる。

ソルが残したメトロノーム記号はベートーヴェンの第九などの場合と同様に、現代の目(耳)には奇異に映ると言われる。
例えば彼の指定しているボレロのテンポなどは大層速いのだ。
今回は、ソルが使用したと思われる1815〜1820年台のメルツェル・メトロノームを数台、コレクターからの提供を受け検分を行った。
僕もこの時代のメトロノームを手に取るのは初めてだ。


ソルは自身の作品解説で「ラスゲアードを巧妙に使うこと」に言及している。
ラスゲアードが要求される箇所は記譜上はアルペジオなどで書かれているが、
ラスゲアードを使用するとテンポを上げることも容易に出来る・・・

大変楽しく為になる三日間だった。
次回は2015年の夏にブライトンでの開催。楽しみだ。




2014年4月3日

来週ケンブリッジで行われるアーリーギターコンフェランスの準備。

僕はレクチャーコンサートを行うことになっている。
ウーリッヒ・ヴィーダーマイヤーとのジョイントで、僕がジェミニアーニ、ウーリがプラッテン、
Two great early guitar composers in Britainと題された企画だ。
プログラムはこんな感じ↓


今日はイングリッシュギターの弦を張り替える。
リスボンで1790年代に出版されたレイテの(イングリッシュ)ギター教本には弦のゲージの指定があり、
これに忠実に張ってみる。

かっちりとした鳴り方でなかなか良い。
低音弦はピーター・バヴィントンに特注したブラス/アイロン上の銅巻きに取り替える。第6コースは錫メッキされている。


全体にテンションが高めになり、鳴りは良くなり音量とサステインが増えた。
反面、押弦の負担が増えるので、弦高を少し下げる。
今回のコンサートはこれで試してみよう。

それにしてもジェミニアーニの様な第1級の作曲家の作品を、オリジナル通り弾けるのは素晴らしいことだ。
その意味でイングリッシュギターはあらゆる撥弦楽器の中でも、大変容易なものから高次元なものまで、
もっとも幅広いレパートリーを誇ると言える。



2014年3月29/30日

英国南部ギルフォードで行われたギタ・リサーチ国際会議に出席。
会場は近代的な設備を誇るサリー大学。


この大学にはギター・リサーチ・センターがあり、教授である作曲家スティーブン・ゴスがヘッド。
名誉会長はジョン・ウイリアムス。

2日間に渡って様々なプレゼンテーションとレクチャー・リサイタルが行われた。
作曲家がヘッドであるだけに現代音楽に関する内容が多かったが、19世紀ギターに関する発表もありなかなか興味深かった。
対象が古いものからいくつか紹介

ルイジ・アッタデモ:パガニーニのギター作品における技巧について

ルイジはつい先頃パガニーニのギター曲全集を完済させたばかりのイタリア人ギタリスト。
オリジナルのグァダニーニ(1851年)を使いながら、パガニーニの書法についてレクチャーした。
話も面白かったが、演奏は圧巻!であった。説得力ありまくりである

使用楽器について聞いてみると
「ピリオド楽器からは教えられることが多い。ラコートはエレガントすぎてパガニーニには合わないように思う・・・」
と言っていた。

スタンレー・アレクサンドヴィッチ:19世紀の多弦ギターとその技巧

Coste, Mertz, Podovec, Dubezの多弦ギター作品を取り上げて解説、演奏。
特にDubezの10弦ギター用の作品は番外弦を多用し、興味深かった。
Dubezはハープ奏者でもあったそうで、さもありなん!である。
パネルの使用楽器はサウスウェル作10弦。



マターニャ・オフィー:新発見のボッケリーニ:ギター5重奏曲の手稿譜について

長らく喪われていたと思われていたボッケリーニの手稿譜の発見のいきさつ。
マターニャは20年ほど前から知り合いだが、いかにも彼らしい発表。なんとなく眉唾っぽいところが味でもある。



アンドレアス・スティーヴンス:1924年の出会い〜リョベート、セゴヴィア、ハウザー

1924年にミュンヘンで、リョベート、セゴヴィアの二人のギタリストがドイツのギター関係者と会合した。
ミュンヘン/ギター・カルテットたちドイツ人ギタリスト、ギター製作家(ハウザ-、ワイスガーバー、ハルラン)らが受けた影響について。


モルガン・バックレー:ウォルトンの「5つのバガテル」とジュリアン・ブリーム
ウォルトンのバガテルはブリームの委嘱で書かれたが、その際に行われた変更について。
ウォルトンの手稿譜とブリームの校訂版には、調性、奏法、リズム、音そのものまで実に様々な違いがある。
今回のコンフェレンスの中で最も興味深く感じた発表だった。



トルガム・コグルー:微分音ギター
フレットが動かせ,数も増やせ、微調整できる微分音ギターのレクチャー。
もともとはエスニックな音楽の演奏の為に考案されたらしいが、ミーントーンや古典調律も実現できる。
現代のギターの調律の可能性をもっとも突き詰めた形であると言えそうだ。



ジョン・ウイリアムスの公開インタビュー。
主に彼が関わった作曲家、ドッジソンや武満などとのエピソードが中心。
やはり彼は「現代」を生きてきた演奏家であることがよく分かる。
現在72歳、まだまだコンチェルトや合わせ物など演奏活動は続けているが、ソロリサイタルはやめたそうだ。
それについては
:リサイタルする指のコンデションを保つには毎日2時間ほどは練習する必要がある。もう練習はいいよ。
:旅行にでるのはもうごめんだ。
と理由を挙げていた。


大変楽しい2日間だったが、モダンギターの世界につかりっぱなしだと少々疲れる。
家に帰ってリュートを弾こう・・・




2014年3月24日

ネットで聴けるオリジナル・リュートの音源を探してみた。
まだまだあるかもしれないが、とりあえず見つかったものを紹介。

ロブ・マキロップの演奏で、エジンバラの博物館にある9コースのブーヘンブルグ。
この楽器は僕も弾いてみたことがある。
https://www.youtube.com/watch?v=0njt2z7z07s

改修の跡もほとんど無く、ほぼオリジナルの形態を保っているようだ。
低音には巻き弦が張られているようでちょっと残念。

先日の日記に書いた佐藤豊彦氏のグライフ。曲はド・ヴィゼ。
ブリッジ近くの弾弦などまるでバロック時代の絵を見ているようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=khy1nbjkFNM

同じくジェイコブ・リンドバーグのラウヴォルフでのヴァイス。
https://www.youtube.com/watch?v=DiY5CAdeu_Y

ホプキンソン・スミスのライリヒの11コースでのデニス・ゴーティエ。
ニュールンベルグの博物館所蔵。
https://www.youtube.com/watch?v=OGGzDtu_pqI


同じくホピーの弾くヴィルドハルムの13コース。曲はヴァイス。
https://www.youtube.com/watch?v=Tl5zUvzQt1s


ロブとホピーの演奏はややオーヴァーパワーというか、タッチが強めに感じられるが、まあ無理もない・・・
コピーとオリジナルは要求されるタッチが全然違うのだ。
博物館の楽器は調整も許されない場合が多いし、慣れるまでの時間もあまり長くはないだろう。
ジェイコブと佐藤氏は自身が所有する楽器、流石に弾き方も手の内に入っている。

いずれの演奏からもはっきりした子音、倍音の多いカラフルな響きが聞こえてくる。
また、耳の良い人は気づくと思うが・・・余韻に微かなヴィブラートのような音程の揺れがある。
これはオリジナル楽器の特色で、コピーに慣れた奏者には初めは調弦もままならないように感じられるほどだ。

この微かな揺れは音色に個性を与える。オリジナル楽器が「語る」ように聞こえるのもこのためだろう。
慣れるとこれなしには物足りなく思えてくるのだ。
オリジナル楽器を手にすると、テンポを遅めにとりたくなるのもこれが一つの理由だ。

この微かな揺れは許容される音程の幅を広げてくれるせいか、調弦に狂いが出てもそれほど気にならなくなる。
まったく不思議だが本当だ・・・経年変化の故か、もともとのそのように作られているのかよく分からない。
おそらく両方だろう。

最後に僕の演奏もよろしければどうぞ・・・オリジナルの18世紀ギター3台の演奏である。
https://www.youtube.com/watch?v=zSWsIH_HyQc



2014年3月23日

先日の日記に取り上げた2枚のディスク、共にオリジナルのリュートが使用されている。
どちらも素晴らしい楽器の様に思える。音色はカラフルで、奏者の音楽がダイレクトに伝わってくるように感じる。

バロック時代にも古いリュートが珍重されていたらしい。
文献に書かれていることを読み直してみる。

1603年のロビンソンのThe schoole of Musickeは初心者の頃から良いリュートを持つことの重要性を説いているが、
特に楽器についての記述はない。

1610年のダウランドのVarietie of lute lessonsにはリュートのサイズについて細かく書かれているが、特に製作者名などは出てこない。
弦については詳細に説明があるのとは対照的だ。

17世紀後半以降になるといきなり多くの記述に出くわす。

1670年頃のバーウェル・リュート教本には、マーラー、フライなどの楽器はそのmelodiusな音の為に評価が高いとある。
この時代から約150年遡った時代のリュートだ。

マーラーの6コースが11コースに改造された例

1676年のメイスのMusick's Monumentには多くの記述があり、彼は「古いリュートは新しい物よりも良い」と断言している。
興味深いのは
「マーラーのリュートは、古ぼけ、壊れ、割れが入っていても100ポンドの値打ちがある(美しく装飾された新しいリュートは3ポンドか4ポンド)。」
と書かれていることで、いかに古いリュートが珍重されていたかがわかる。


1727年のバロンのHistorisch-Theoretische und Practischeには、マーラー、フライ、メスト、ハートン、
ティッフェンブルッカー、ブーヘンブルグなどの古い製作家とそのリュートが言及され、
同時代のメーカーとしてはホフマン、ティールケ、エドリンガーなどの名前が挙げられている。
マーラーとフライの作品はその音の良さと希少性の為に大変高価だとも書かれている。
100ー200年前の楽器を改造して使っていたわけだ。

左:ティッフェンブルッカーのリュート(テオルボ?)がエドリンガーにより13コースバロックに改造された例
右:ウンベルドーベンのリュートがジャーマン・バロックに改造された例(ロンドンのフェントンハウス)


こうしてみると、17世紀の後半から古いリュートを11(10)〜13コースに改造して弾くのが、ある種のトレンドであったことが分かる。
メイスにあるように大層傷んでいる楽器でも高価に取引されていたらしい。

ギターの場合、文献的には特に記述は発見できなかったが、
17世紀のギターが改造を経て19世紀にはロマンティックギターとして用いられた・・・ということは珍しくない。
例えば僕の所有するヴェネチアンのセラス工房のギターは、17世紀前半に弦長710センチほどの楽器として作られ、
1690年頃にドイツで改修を受け(おそらくソロ用にサイズが小さくされた)、そして19世紀の初頭にイタリアのヴェローナで
6弦ギターに改造されたらしいことがボディ内部の複数のラベルから分かっている。
このギターも200年間ほどは使われていたわけだ。


良心的に修復された古いリュートやギターにガット弦を張って弾いた場合
まず感じるのはその子音の多さ、音量の小ささ、語り口の明晰さ、音色のカラフルさ、タッチへの鋭敏な反応などだ。
世界で最も評価の高いリュート製作家の一人であるマイケル・ロウは「木材の経年変化だけは真似できない」と言っていた。

「古い楽器は音量豊かに良く鳴る」という意見もあるが、僕は特にそうは思わない。

なるほどストラディヴァリやガルネリなどヴァイオリンのモダンに改造された名器は非常に良く鳴るが、
あれらは力木やネックが取り替えられ、強いテンションのスチール弦が張られたもので、いわば限界まで楽器に無理をさせている。
オリジナル19世紀ギターの場合も、強い弦を張り、爪でひっぱたくように弾いて「良く鳴る」とされている例を見る。

確かに古い楽器は、木材の結晶化のせいだろう、子音の響きが強くなり音の遠達性は向上していると思う。
しかし、バロック時代の人が古いリュートを珍重したのは、やはりそのMelodiusな響きにあるのであって、
決して現代的な意味での「良く鳴る、音が良く通る」からではない。
マーラーなどの古いリュートを賞賛するバーウェル・リュート教本にも、
「リュートの聴衆は繊細な耳を持つ人が数人(2、3人?)まで」とはっきり書かれている。


当時、古い楽器ばかりが珍重されたわけではないことにも留意すべきだろう。
16世紀、17世紀前半のいわゆるルネサンスリュートの時代に、古いリュートが珍重された記録はないし、
バロック時代にも多数の人々は当時の新作リュートを弾いていたわけだ。

バロンは同時代のティールケの楽器を「その美しさと繊細で快い音」、
クリスチャン・ホフマンのリュートを「純粋で良い音と弾きやすさ」を持つと賞賛している。
そして、「楽器の選択は結局は個人の嗜好である」と結んでいる。

また、彼らにとって「古いリュート」とはせいぜい200年前までの楽器で、それは現代の僕らがラコートやパノルモ、
あるいはトーレスなどを、(モダンギターに)改造して弾くことに近いだろう(実際には考えられないが)。

古いリュートは大変魅力的だが、新しい楽器と古い楽器、どちらにも通じる当時の美意識を探求することも忘れてはならないと思う。


2014年3月21日

リュートの新譜を2枚聴く。ジェイコブ・リンドバーグ(ヤコブ・リンドベルイ)と佐藤豊彦氏のディスクだ。


どちらにも大層感銘を受ける。

ともにオリジナルリュートが使用されているが、それ以外にも共通していることがあるように感じた。

ジェイコブのディスクは「ジェイコビアン時代のリュート音楽」、ロビンソン、ダウランド、ジョンソン、バチェラーなどの他、
ヘリーやジャック・ゴーティエなどジェイコビアンよりも後の時代の作品も取り上げている。

使用楽器はラウヴォルフ作のオリジナルリュート。16世紀の終わりに製作後、改造と改修が重ねられ、
現状では11コースのバロックリュートとして修復されている。
第2コースは複弦でも張れるようになっており、ルネサンスリュートしても使用できるわけだ。

この楽器は実演で聴いたことも何度かあるし、自分でもつま弾いたことがある。

ジェイコブの演奏はいつもながらの美音、伸びやかな演奏だ。
以前にも書いたが、彼はこのリュートを弾き始めてからよりより表現的かつ内省的な演奏をするようになったように思う。

この楽器はもともとルネサンス・リュートだが、内部の力木の構造などはバロックに改造されているので、
厳密な意味ではこのリュートで17世紀前半の作品を弾くことはオーセンティックとは言えないかもしれない。
しかし、そういうことを感じさせない説得力のある演奏だ。

ジェイコブが若い頃に得意としていたレパートリーはダウランドに代表されるこのあたりの作品であった。
その後、彼は多くのディスクを発表し、ダウランドやバッハの全集をも完成させている。

そし彼は今、昔のレパートリーに戻ってきた。自分が巡り会うことの出来たリュートを手にして。

ディスクのタイトルのJacobean lute musicは「ジェイコブのリュート音楽」とも読める。
彼はこのディスクに特別な個人的な思いを込めているように感じられる。


佐藤氏のディスクはド・ヴィゼーのリュート音楽。
このディスクにも「個人的な思い」は強く感じられる。

ライナーノーツはご本人が言うように「空想」である。真面目に読むと突っ込みどころが満載だ。
ド・ヴィゼーの経歴に関してもそうだが、
「・・・ド・ヴィゼーは1719年に「王のギター教師」の地位を得たが、才能があるわけではないルイ14世にギターを教えるのはさほど面白くなかった」
とあるが、ルイ14世がダンスとギターに特別な才能を示したことはいくつもの同時代の資料に書き残されているし、
第一、ルイ14世は1715年に亡くなっているので、「王のギター教師」としてのド・ヴィゼーがルイ14世に教えたことはありえない。

しかし、そういったことは問題にすべきではないのだろう。
このノートを読むと(録音時の)佐藤さんが、自身を晩年のド・ヴィゼーに重ね合わせていることがよく分かる。
演奏もジェイコブのものと同じく説得力に溢れている。

使用楽器はグライフの11コース。この楽器ももともとはルネサンスとして作られているが、17世紀後半にバロックに改造されたらしい。
実に修辞的な語る音色である。


この現代を代表する二人のリュート奏者のディスクが、共に個人的なものであることは興味深い。
彼らのように世界中で演奏し多くの音楽的経験を持つ音楽家が、その長いキャリアのもとに採ったパーソナルなアプローチこそが本物の個性であるように思うし、
それらは批評や批判の対象ではない。そしてリュート音楽とは本来パーソナルなものなのだ。



2014年3月18日


このところルネサンス・リュートを弾く機会が続いていることもあり、また講習会などで質問を受けたりもしたので、
リュートの奏法に関して調べ考えている。
特にリュートの右手の奏法に関しては誤解されている場合が多いように思える。いくつか挙げる。

*16世紀のリュートとヴィウエラは親指内側奏法(thumb inside technique)で弾くのが正しい。
 ↓
親指外側奏法(thumb outside technique)は16世紀から広く使われていた。
16世紀のスペインの資料には「親指外側奏法がスペインのフィゲタ」との記述があり、
ヴィウエラは親指外側奏法が一般的に用いられていたと考えられる。


*親指と人差し指の交互で弾く(フィゲタ)場合、強弱をつける。
 ↓
そのように言及されている資料はない。

*フィゲタは、中世のリュートが親指と人差し指に挟んだピックで弾かれていたものの名残である。
 ↓
中世のリュートに用いられたプレクトラムは、人差し指と中指で挟まれることが多く、
大きな強弱はつかなかったと思われる。

上の画像は一見サムインサイドに見えるが、人差し指と中指の間にクイルのプレクトラムが挟まれていることに注意。

*フィゲタは手首や腕を振って勢いをつけて弾く。
 ↓
そのように書かれた資料はない。また現存するリュートのブリッジ周りの弦幅は狭く、手首や腕を振ることは難しい。
ガット弦/ダブルフレットを用いたリュートは指だけの小さな動きで敏感に鳴るので、勢いをつける必要はない。

また、特に日本で非常にしばしば気がつくのが、本人が「親指内側奏法」で弾いているつもりでも、
実際はそうでない場合が多いことだ。
典型的な例を次に挙げる。

フィゲタの際:

まず親指で弾く。


次に人差し指で弾く際、親指を高く上げて手の平の外に出してしまう。


次に親指で弾く際、親指は手の平に入る


親指の弾弦の際、親指は手の平に入るので「親指内側」だと思えるらしいが、これは間違った奏法と言える。

歴史的リュート教本をよく読むと「親指が手の平に入る」という書き方もしているが、
「人差し指で弾く際、人差し指が親指の前でクロスすること」が重要であることが分かる。

つまり:

親指で弾く。


人差し指で弾く際、親指はそのままで人差し指は親指の前に来る。

その際にほんの僅かだが親指(および手全体)が上向きに動く。

そして再び親指で弾かれる。

というサイクルが正しいのだ。

正面から見た場合、奏者の右手はほぼ常に下の写真のようになっていて、
親指が手の平の外に出るのは低音コースを弾くときだけだ。


下の図版は親指内側奏法の瞬間を良く捉えているものだと言える。


手首や腕を振ることや、人差し指の弾弦時に親指を上げてしまうことは、
ナイロンや巻き弦を高い張力で張っていた時代(1970ー80年代?)のリュート奏法の名残だろうと思う。

(続く)




2014年3月16日

今週はロンドンで行われているコンフェレンスに出席している。
19世紀-20世紀において行われた古楽(器)復興に関する国際会議だ。

会場はホーニマン博物館、ドルメッチのコレクションを含む膨大なオリジナル楽器を所蔵している博物館だ。
博物館のガーデンの桜が美しい。


仕事の都合で全てには出られなかったが、幸いホーニマンは僕のフラットから車で10分。
面白そうなプレゼンには出来るだけ出席した。
プレゼンのアブストラクトは以下の通り・・・世界中から学者、製作家、演奏家が参加している。
http://www.horniman.ac.uk/media/_file/RootsofRevivial_AbstractsandSpeakers.pdf

いくつか紹介。

ピーター・ホーマン:「18世紀から19世紀にかけてのイギリスの古楽復興」

古楽の復興運動は19世紀の終わりにイギリス、ドイツ、オランダで興ったと一般には思われているが、
実際は18世紀の半ばからイギリスでは盛んだった。
モーリーやバードのマドリガル、カヴァリエリの器楽曲などが当時の「復興古楽器」で演奏されているのだ。


ジョン・グリフィス:「ヴィウエラの復元」
ヴィウエラは20世紀前半にエミリオ・プジョールらにより復元演奏されたが、
それらはモダンギターの構造をもつ重いモダン・ヴィウエラだった。
次の世代、レネップやウンチーシャ、モレノ、ゴンザレスらにより製作、
ホプキンソン・スミスやモレノらにより演奏されたヴィウエラは、実際はリュート的構造をもつもので、
オーセンティックではない。奏法もリュート的親指内側奏法が採られ、これも歴史的ではない
パリやエクアドルでオリジナルのヴィウエラがか発見、研究されたことにより、やっと昨今になって、
厚めの表面板、少ない力木を持つオーセンティックなヴィウエラの製作が試みられるようになった。
奏法としてはスペインでは親指外側奏法のみが用いられていたと考えられる・・・


デイヴィッド・ヴァン・エドワーズ:「ドルメッチのリュート」
ドルメッチは1901年に所有する象牙/黒檀のリウト・アッティオルバートを盗まれた。
彼はその代わりに自分でリュートを製作したが、そのリュートが昨今ニュージーランドで発見された・・・


ホーンマンでは貴重なオリジナル楽器の特別展示もされていた。


そして最終日にはアメリカの古楽グループによる演奏会。声楽はジュリアン・ベアード。
プログラムはアーノルド・ドルメッチとウイリアム・モーリスにちなむもので、同時代の資料の引用と共に、
バード、キャンピオン、パーセルなどが演奏された。
ドルメッチが所有していたオリジナルのカークマン・ハープシコード、および戦前に作られたドルメッチのリコーダーなどが使用された。
非常によくオーガナイズされ、説得力のある楽しめるコンサートであった。

大変楽しい3日間だった。


2014年3月10日


ブライアン・ジェフリの家にお茶に行く。

ブライアンは文学研究者、音楽学者、リュート/ギターの世界ではテクラ出版の主宰者として知られている。
彼とはずいぶん前から知り合いだが、目下、彼の編集したフェランディエレの曲集の録音の打ち合わせだ。
せっかくなので今回インタビューも行った。現代ギター誌に掲載の予定だ。例によってそのエッセンスを紹介する・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


竹内(以下T) さて、まずざっと経歴について教えてください。

ブライアン(以下J):小さな頃から昔の本を読んだり色々調べるのが好きでした。
図書館にこもって古文書を読むのが楽しみでした。

T:もうそんな頃から?

J:そして17歳の時に最初の本を出したんです。僕のやってきたことはその頃からずっと同じです。
昔の資料や文献を発掘、整理して客観的な結論を導き出すことです。
大学はオクスフォードでフランスとドイツの文学を研究しました。
大学時代にはリュートとギターで沢山のコンサートを行いましたよ。

T:もうその頃にすでにリュートを!そのころ使っていた楽器はどういったものでしょう? 

J:リュートはトーマス・ゴフ作です。知ってる?

T:ジュリアン・ブリームが使っていましたね。僕自身1970年製のゴフ・リュートを持っています。
・・・大学の先生をやめてしまったのは何故ですか?

J:大学の教員は教える他、事務的なことで忙しく研究に割ける時間はなかなか充分ではありません。
また何冊か本を出して感じたことですが、どうしても編集者の意向が入るので、
出来上がりが自分の思ったものと違ってしまいがちなんですね。
ある晩ふと思ったんです。「自分で出版社を興そう! そうすればリサーチをダイレクトに反映できる! 編集者たちにも煩わされなくて済む!」
とね。

T:で、テクラ出版を始めたのですね。テクラの出版物は信頼できるので、僕らリュートやアーリーギターを弾く人間にとって大変ありがたいものです。
僕自身、テクラの曲集を使ってソルやフェランディレをCD録音しましたし、ソルの伝記なども貴重な参考文献です。
・・・いわゆるプロの演奏家になろうとは思いませんでしたか?

J:それを専門にしようとは思いませんでした。
音楽理論などの知識は一通りは持っていますが、僕は正式な音楽教育を受けたことはありませんし、抜け落ちていることもあると思います。
僕が受けたトレーニングは語学と文学、そして古い文書のリサーチに関することですから、それを専門にするのが当然だと思ったのです。

T:なるほど、潔い態度ですね。ギターや古楽器の演奏者や製作者はしばしば専門教育を受けてなくてもプロになっちゃったりしますが、あまり良いことではないと思います。
あなたの最近の出版物、モリーノとフェランディエレ、どちらも大変興味深い内容ですね。歴史的にも新しい情報が満載で・・・

J:モリーノの室内楽はパートが世界中に散逸していたのを、少しづつ集めたのです。
どうしても見つからなかったパートがアメリカの図書館にあったのを発見した時は、飛び上がるほど嬉しかったものです。
フェランディエレはマドリッドの図書館で貴重な資料を見つけました。

T:なるほど、資料を調べることによって、作曲家や作品に新しい見方が出来ますね。まるで探偵の様だ!というと失礼かな?

J:いや、その通りです。シャーロック・ホームズの様に・・です(笑)

T:現在のプロジェクトは何ですか?

J:今はスペイン半島戦争時代の音楽について調べています。1807年にナポレオンがスペインを侵攻しますが、
スペインはイギリスとポルトガルと同盟して抵抗します。
その際にプロパガンダの歌曲が多く作られて歌われているのです。
現在260曲ぐらいが確認されており多くは作者不詳ですが、フェルナンド・ソルが6曲を作っています。
ソルの伝記も近く第3版を出す予定です。

T:なるほど、ソルの伝記の改訂版と合わせて楽しみにしています。
ギター音楽史への学問的なアプローチについてなにか。

J:僕が始めたころはまあひどかったと思います。オリジナル文献を見る人はあまり居らず・・・
まともなのはロバート・スペンサー(注:Robert Spencer 1932-1997、イギリスのリュート、ギター奏者、音楽学者。
多くのオリジナル文献、楽譜、楽器を収集、調査し、貴重な研究論文や記事を残している)くらいだったのではないでしょうか。
現在でもまだまだですが、それでも良くなってきていると思います。

T:やはりオリジナルを見ることが大切ということですね。

J:そうです。原典がはっきりしない資料の孫引きからは何も生まれません。
全てオリジナルを自らから調査して、検分し自分の結論を導き出すのが大切です。
で、先にも行ったようにそれはスゴく面白くエキサイティングな作業なんです。

T:ギタリストや音楽愛好家たち何かメッセージをどうぞ。

J:ギターを弾く人たちにはソロだけではなくて、アンサンブルを多くやることを勧めます。
それから、音楽は音そのものではなくて・・・そこに込められた意味が何よりも重要です。
例えば歌曲の場合、その歌詞の意味や背景などを知らずに演奏は不可能です。

T:例え歌詞のない器楽曲でも、その意味や修辞は重要ですね。

J:全くそうです。音楽にとって(綺麗な)音そのものや音量といった見かけ的なことは重要ではありません。
大切なのはその音楽の意味、修辞なんです。音楽家たちには、広い意味での教養や知性を育んでもらいたいといつも感じています。

T:日本では、音楽に才能のある子供は他の勉強や趣味から離して、音楽だけに集中させる傾向がありますが全く悪い習慣だと常々思っています。
指がいくら速く動いても、音程が良くても、頭がからっぽな音楽家からは何も出てきませんし・・・

J:エミリオ・プジョールが、いろいろ運指などに質問してくる生徒に「家に帰ってプラトンとシェイクスピアを読みなさい」と言ったのを見ましたが、
ちょっと分かる話ですね。

(以下略)




2014年3月6日

CDレコーディングの初日。
今日はナンシー・ハッデンのフルート、エリン・ヘッドリーのガンバ、僕のリュートとギターで器楽曲をいくつか、
および声楽曲を数曲録音した。

ギターのソロは「1600年くらいのスペインもの」というオーダーだったが、この時代から残されているギター楽譜は全てがアルファべートで書かれており、即興演奏を前提としている。
今回はもっともイベリア的なテーマであるロマネスカを選び、16世紀のヴィウエラ作品や1600年ころのアルファべートを参考にしながら即興演奏を行った。
一応プロデューサーの為に大体の楽譜も書いておくが、「この通りには弾きません!」と宣言しておく。
プロデューサーはジョン・ハッデン。ポール・オデットのCDなども手がけており、即興的アプローチには慣れている。

リュートのソロは「1600年頃のイギリスもので愛らしい作品」ということだったので、ボードリュートブックからLights of Loveを選び、
自分のディヴイジョンを加えて弾いた。


会場は北ロンドンの大きな教会。


響きは大層よく、演奏しながらどんどん力が抜けていくのが自分でもよく分かる。
やはり、古楽を演奏するからには響きの良い場所で、常にリラックスして弾いていることが大切だ。
響きのないところでは、体に力を入れるのが常態になるし、楽器の張力も上げたくなってしまう・・・
僕がヨーロッパから離れられない大きな理由の一つだ。

録音は大層スムーズに行き、予定よりも早く終わった。
明日は声楽アンサンブルと弾いたら僕の仕事は終わりだ。

今日も楽しい一日だった。



2014年3月5日

レコーディング直前だがパリに行ってきた。ロンドンから特急で2時間ちょっと。
今回も楽器博物館で楽しい時を過ごす。

マーラーのリュート。内部が見える。力木はバロックになっている。


フレンチの11コース。


フレイチャーのギター、ティールケ系である。


ヴォボアンのギター。


クリスタル・ガラスのフルートたち。


トーレスのギター。


今日も楽しい一日だった・・・


2014年3月2日

ロンドンでコンサート。

会場はロンドン中心部の聖ジョージ教会。
由緒ある大きな教会だ。

来週のレコーディングのプレコンサートだが、今日は僕は一曲声楽を伴奏する他は、ソロを弾くだけなので気楽だ。

教会の音響は大層素晴らしく、弾いていて楽しくて仕方がない。来週のレコーディングも楽しみだ。



2014年2月28日

今日もナンシー・ハッデンとエリン・ヘッドリーとのリハーサル。


楽器はナンシーのルネサンスフルート、エリンのルネサンスガンバ、そして僕のルネサンスリュートだ。

リュートはダブルフレット/ガット弦の7コースにするか、ポール・トムソンのシングルフレット、ナイルガット/ガット
の6コースにするか少し迷った。

ポール・トムソンの楽器は音量があり、頼りになる。
しかし、やはりダブルフレットのリュートは圧倒的に弾きやすく音色もカラフルなので7コースを持参した。
つくづく思うが、ガット弦とダブルフレットは奏者と楽器の距離を縮める。
なんというか、「指がダイレクトに音楽を奏でている」様な気分になるのだ。
シングルフレット、巻き弦、ナイロン弦仕様の楽器を使って、格闘している人を見る度に不思議に思う・・・


2014年2月25日

ロンドンもなんとなく暖かくなってきた。桜が美しい。


今日はアンサンブルのリハーサル。場所は中央ロンドンの古い教会。雰囲気十分だ。


ディレクターはフルート奏者のナンシー・ハッデン。

僕がリュートとギター。ガンバはエリン・ヘッドリー。そして声楽アンサンブル。
16世紀-17世紀初頭のスペイン音楽が主のプログラムで、来週CD録音をすることになっている。

今回はダブルフレットの7コースリュートを持参した。録音もこれで行う予定だ。


ナンシーはルネサンス・フルートのパイオニアだが、歌手でもありまたバロックギターも弾く。
今回も1曲いっしょにギターで通奏低音を弾く。

ナンシーのギターは大型のストラディヴァリ・コピー。弦長70センチを超える。
本来はかなり低く(第1コースD)調弦されていたと思われるが、現状ではEに調弦されている。
かなり細いナイロン弦を張っているが、弾き心地は全然悪くない・・・というかやはり弦長の長い楽器の響きは素晴らしい。


16、17世紀のリュート、ギターは、長目の弦長に弦を緩めに張って、ピッチも低く、音量もあり、
余裕のある鳴りかたをさせていたと思われる。
簡単にはジェネライズできないが、ルネサンスリュートは64-66センチ、テオルボは89/160センチ、
ギターは69-72センチくらいが標準であったと思われるのだ。

それにしてもルネサンス/初期バロックのアンサンブルをA=440あるいはそれ以上で行うのは、
あまり歓迎すべき習慣とは思えない。少なくとも歴史的とは全然言えないのだ・・・

いずれにしても楽しいリハーサルであった。

帰路にテムズ川から見る夜景が美しい。


2014年2月25日

現代ギター誌の連載原稿の校正。


ド・ヴィゼーのニ短調組曲の最終回だ。
今回はアルマンドとクーラントの編曲譜を載せた。
これでプレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、ガヴォット、ブーレ、メヌエットが揃ったが、
組曲として弾く場合でも順序に拘らず、好きな曲を好きな順番で弾いて良い。
ド・ヴィゼーの他の作品や他の作曲家の作品を混ぜるのもありだ。
(僕は昨年暮れに行ったCDレコーディングの際、ド・ヴィゼーのマスカレードとクープランの修道女モニカをニ短調組曲の一部として弾いている)

奏法解説の記事では今回はリズム変更を取り上げた。いわゆるイネガルと付点の処理だ。

イネガルは非常に多くの場合誤解されている・・・本来はいわば言葉のように不均等に音を紡ぐものだが、
ともすれば均等な不均等とでもいうか、全ての音をターラターラターラとスイングして演奏するのがイネガルだと思われていたりする。
記事ではある程度詳細に、イネガルと付点の処理について例を挙げて書いてみた。(詳しくは買って読んでね!)


最終回なので後書きめいたことも加えた。
以下に抜粋を載せる。

「・・・今回心がけたのは、単なるマニュアルやありきたりの奏法解説に陥らないことであった。
世に蔓延している「音楽史」「演奏法」「楽譜の読み方」なるものはえてして陳腐で、
正確さもどうかなと思われるものが目立つ。
いずれにしてもバロックを弾くのに凡常の知識や小手先の奏法を知ってもあまり意味は無い。

大切なのはその文化、その作品に正面から向き合うことで、
多少の時間と努力は必要だが結果は何倍もの成果となって返ってくる。
当時の音楽だけではなく文学や演劇、美術に触れることはYoutubeで他人の演奏を視聴するより百倍も有益だし、
装飾法の断片的な知識を持つよりも当時の作曲技法(通奏低音の理論)を学ぶ方が全く役に立つ。

それぞれの時代の人々が音楽を愛し日常の糧としていたことを念頭に置いておくことは重要で、
その視点からはバロックの宮廷音楽のみならず、中世の恋歌、18世紀のギャラント作品、19世紀のワルツ、
20世紀初頭のサロン音楽など全てに存在意義があったことが理解できるようになる。

現代人は「人前で演奏する」ことを当然と考えているが、バロック時代にはそういう観点はなかった。
彼らにとって音楽することは、自分と作品と楽器のプライヴェートな対話であった。
響きそのものが愉しみであり、作品の理解そのものがよろこびであったのだ。
「がんばって練習して指が動くようにする」といったスポーツ的感覚で音楽することはなく、
スケールやアルペジォなど基礎練習やエチュードはバロックには存在しない。

貴族がド・ヴィゼーやコルベッタなど名手の演奏に触れ指導を受けたのは、人前で上手に演奏するためではなく、
他の人の演奏を正当に評価し享受することができる確かな耳を育てるためであった。
先日、日本で障害者を騙った偽作曲家騒動を耳にしたが、もしも我々がバロック時代の貴族の様に音楽に対する正当な審美眼と知性を持ち合わせていたら、
ああいった作品はハナから評価されることもなく、大きな騒ぎにもならなかったであろう・・・

バロック音楽の真髄はその限りない自由さにある。楽器の選択やピッチは自由、選曲は自由、
テンポや曲の繰り返しも自由、装飾や分割、リズム変更も自由に行える。
即興はバロック音楽の中核に位置する。人に聞かせようが自分で愉しもうが自由だ。
重要なのは結局は本人の音楽的感性だが、それを育てるのは広範で深い知識と様々な音楽的経験以外ない。
音楽の素養は生まれついてのものではなくあくまで後天的なものだ。
読者諸氏の精進を願ってこの連載を終わりたい。・・・」
(全文は買って読んでね!)



2014年2月22日

リュート協会のミーティング。

今日は「リュートと象徴(シンボリズム)」がテーマ。
仕事の都合で後半のアンソニー・ルーリーのレクチャ−から出席する、
トニーのお話はむしろパーソナルなものだったが、ジュディ・ターリングの「ホイヘンスの庭園」のレクチャーは面白かった。

ホイヘンスはオランダの天文学者、物理学者、音楽にも造詣が深かった。
肖像画にもロングネックのリュートが描かれている。


レクチャラーのジュディはヴァイオリニスト(僕のCD「アフェットーソ」でも弾いている)だが、
昨今はレトリックについての研究を盛んに行っている。
つい先頃ルネサンス/バロック時代の庭園についての論文を発表したばかりだ。
当時の庭園は音楽と同じく修辞的に制作されているというのが彼女の着眼点だ。

ハーグに作られたホイヘンスの庭園は、人体をかたどり随所に修辞的工夫が凝らされている。


お茶の時間には懐かしい顔、マイケル・ロウ、ピーター・フォレスター、エマ・カークビー、
クラウス・ヤコブセン、ヤコブ・リンドベルイたちと話す。

夕方のコンサートはアンソニー・ルーリーとエブリン・タブらによるもの。
トニーは演奏活動から引退するそうで、この演奏会がロンドンでの事実上の引退公演だそうだ。


プログラムは前半にキャンピオンなどのリュートソング。
後半にエブリンの伴奏にトニーの弟子がリュートを弾き、トニー作曲の「リュートにまつわる7つの歌曲」。

彼らのステージマナーは流石で、会場には独特の空気が一瞬にして満ちる。

アンコールでは会場のエマ・カークビーが呼び出され、戸惑い歌詞を間違いながらも一緒に歌った。
(なんという贅沢なコンサートか)


大変楽しんだのだが、帰り道にテムズ川を渡りながらふと思う。


・・・トニーやエブリン、エンマはあの独特のステージマナーと演劇的パフォーマンスで、
古い音楽を見事に現代に蘇らせた。彼らの功績がなければ、現在の古楽の発展はなかったろう。
僕自身リュートを弾いていないと思う。

しかし・・・ああいった演劇的パフォーマンスが果たして16,17世紀的かというと、そうではない。
当時の人は劇的効果を考えるのではなく、その作品そのものをひとつひとつ慈しんで演奏していた筈だ。
現代のステージでの効果を考えてしまうと、それぞれの作品がいわばパーツになってしまう・・・

一見復興したかに見えるリュートにしても、(特に今回は)ナイロン/巻き弦、シングルフレット、
トニーの場合は小指が表面板につかない親指外側奏法、もう一人の場合は12コース(ルネサンス調弦!)に親指内側奏法で、どこから見ても歴史的とは言えない。
1時間ほどの演奏会で調弦はまったく行われなかった。現代の劇的演出にはやはりガットは無理だろう。

その上、曲が現代人の手になった暁には、これはもうまったくEarly Musicとは関係がない。
これが現代の古楽復興の行き着く先かと思うと残念な気もするが、時代はほぼ確実にそちらに向かっている様に思う・・・

いずれにしても楽しい一日だった。



2014年2月16日

バロック/フラメンコ・フュージョンバンド「ミルーナ(旧名エクリプス)との共演。

会場はランダーデール・ハウス。ロンドン北部ハイゲートにある歴史的建物。建造は1582年。


いつものメンバーだがダンサーのマイテ・ベルトランとは初顔合わせ。
マイテはあのカルロス・サウラ監督の映画「フラメンコ・フラメンコ」にも出演している売れっ子だ。
マネージャーによるとこれまで何度も出演を要請してきたが、今回やっとスケジュールが合ったとのこと。

ものすごくリズムにタイトなダンサーで、カスタネットとパルマ(手拍子)の名手でもあった。
エキサイティングな舞踏と演奏に聴衆も総立ち。
このバンドと共演するたびに、世の中にはいろんな才能のアーチストが居るなあと嬉しく思う。
彼らのパフォーマンスはそれぞれ非常にユニークで、ありきたりのマニュアルやステレオタイプとは全く関係ない。
しかもそれを全然気をてらわずに行っているのだ。

今日も楽しい一日だった。

ミルーナのライブ動画は↓をクリック!
http://www.youtube.com/watch?v=iTFdAcnNfXw



2014年2月15日

ロンドンに戻った。
明日は早速ロンドンでコンサートだ。バロックとフラメンコのフュージョン・バンド「ミルーナ」との共演だ。


このバンドのピッチはA=440、今日はどの楽器を使うか検討する。
手元にはモダンピッチに調弦した2台のオリジナル・バロックギターがある。
どちらも18世紀後半にフランスで作られた楽器。サイズもほぼ同じだ。

一台はマスト作、もう一台はドルプランク派。
マストは19世紀に近く、ローズなしでシングルフレット。
これまでモダンピッチの仕事には大抵これを使ってきた。頼りになるギターだ。
ドルプランクはヴォボアン系統のバロックで象牙ローズ、総ガットのダブルフレット。
昨年終わりに修復から戻ってきて以来、低いピッチで使ってきたが、
今回モダンピッチにしてみると大層良い。

弾き比べてみると、個性が大変違っていて面白い。
ドルプランクは音量はそれほどでもないが、音に奥行きがあり良く語る。
マストは驚くほど良く鳴る楽器で頼もしい。

代わる代わる弾いていると、楽しくていつの間にか時間が経ってしまった・・・



2014年2月11日

京都でミニ古楽(勉強?)会。

急遽計画したもので、近隣の古楽奏者/愛好家たちだけに声をかけたセミ・プライヴェートの会だ。
内容はミニ・レッスン、音楽学者落合さんのレクチャー、即興のセッション。

ミニ・レッスンでは机やストラップを使った保持など。


レクチャーは「忠実な羊飼い」について。16世紀末から約200年に渡ってヨーロッパを席巻した古典的劇作品だ。
知っている様で知らなかったことばかりで、大層勉強になった。


即興セッションはベルガマスカ。
これも古典的な低音/和声進行で、16-17世紀には即興演奏、変奏のテーマとして大いに用いられた。

単純な低音だが、実は非常に多くの和声的可能性がある。
少し誇張して言うと、ベルガマスカを各調で即興できるようになると、
大抵の曲の通奏低音はかなり弾けるかもしれない。

僕の講習会に参加された方はご存じだろうが、必ず即興セッションを組み込むことにしている。
テーマとしてはベルガマスカ、パッサカリア、ロマネスカなどが多いが、他にもフォリア、フィレンツェの歌、
チャコーナ、スパニョレッタなどを使うこともある。
16-17世紀の変奏の技法を学ぶ・・・と言えば聞こえは良いが、何よりもまず、楽器で、音で遊べるようになって欲しいのだ。

現代の音楽教育では、楽譜を忠実に音にすることをまず教える。
それは、例え音大を卒業してプロになっても変わることなく、バッハやベートーヴェンなどの難曲を弾きこなす人でも、
曲の構造や和声を理解してなかったり、自分自身の即興になるとお手上げだっりする。

こうなるとタイプライターみたいなもので、楽譜を音にする機械になっただけ。自分自身の解釈や声は持たないわけだ。
(これは18世紀までの音楽のやり方とはまるで異なる・・・音楽の大半の意味は失われているのだ)

僕は自分の生徒さんたちにはそうなって欲しくない。
自分自身で紡いだ音には大変な価値がある。自分の声そのものなのだ。
即興のコツとしては、決して複雑なことを考えるのではなく、自分の音をよく聞きながら、和声に従って論理的に音を組み立てていくことだ。
アイデアを書き留めるのも良い。しかし書いた楽譜に頼りすぎてはいけない。あくまでも覚え書きだ。

即興演奏にはもう一つ大きな効能がある。
それは楽器の保持、姿勢、音の出し方(タッチ)などが、より自然な方向に向かうことだ。
自分自身の音を出すには自然体でいることが必要ということだろう。

即興をある程度勉強した後、ルネサンス/バロック時代の作品を見直すと、以前とはまるで違って見えるだろう。
そして、それらがいかに素晴らしいものであるかに気づく筈だ。

ともあれ・・・今日も楽しい一日だった。



2014年2月8日

横浜のイギリス館でコンサート。
リュート、バロックギター、イングリッシュギターでイギリス音楽ばかりを弾く。

前夜からの大雪でイギリス館の庭も真っ白だ。


運休になった交通機関も多く、来られなかった人も多かったが、
それでも熱心な聴衆に囲まれて楽しく演奏した。


つくづく思うがリュートの演奏(会)に多くの聴衆は必要ない・・・
17世紀イギリスのメアリー・バーウェル・リュート・チューターにも
「リュートを聞かせるのは、小室でのほんの少数のシリアスな聴き手」であるべき旨が書かれている。
弾き手の指づかい、息づかい、ガットから発せられる指の摩擦音、(ダブル)フレットのひそやかなバズ・・・
これらが伝わるようなintimateな空間での演奏がリュートの真骨頂なのだ。

しかし、当日予約していたにもかかわらず、来られなかった方たちには済まなく思う。
そのうち、大雪リベンジ・フリーコンサートを行えればと思っている・・・



2014年2月7日

TVでニュースを見る。
障害者の作曲家を演じていた人間の作品がヒットしていたが、
真の作曲者が名乗り出てその嘘がばれ、また実際には障害者でもなかったらしい・・・という内容。

「ああ、やっぱりそうだよねー」と思った。

昨年NHKなどでたまたま、件の偽作曲家を取り上げた番組を見る機会があったが、
いかにも怪しいことばかりで、最初からやらせだと思っていた。

聴覚障害者で被爆二世、目も悪く頭の中には絶えず耳鳴りがしていて杖をついている・・・
その人間が広島を主題にした長い交響曲を艱難辛苦の元に書き、マスコミを初め音楽家や評論家が絶賛し、
録音され、ヒットし、その(偽)作曲家が障害のあるヴァイオリニストの為の書いた曲を五輪競技に使おうとする人までいる。

まったく出来すぎ、出来レースの話ではないか。

番組を見た際に思ったが、彼が実際に作曲をするような人間でないことはわかる人にはわかったはずだ。

音楽に真摯に携わる人間はあのように苦労をネタにするようなことはないし、
作曲の際の絶対音感云々もしろうとっぽいおかしな言い方だ。
ちょっとピアノを触るシーンも見たが、音楽の素養のある人間の弾き方ではまったくなかったように記憶している。
(ピアノの弾けない音楽家とピアノの弾けない素人、ピアノがちょっと弾ける素人、それぞれ触り方は異なるのだ)

この人間は、障害者や被爆した人たち、音楽愛好家たち、そして音楽そのものを冒涜した。厳しく糾弾されるべきだと思う。

真の作曲者が名乗り出たことは良かったが、それでも18年もの間すべてを承知して偽作を続けていたのは罪が重い。
今回のインタビューを見ていると、自分は無垢無知な音楽家としての立場に甘んじたいように見えるが、立派な詐欺の共犯者だ。

「作品が良ければ良い、作品に罪はない」的な言い方も聞くが、それも間違っている。
大体、真の作曲者が「あの程度の作品は現代音楽の作曲を勉強した人なら誰でもできる」と言っているのだ。

マスコミや評論家は作曲技法に触れて
「頭に浮かんだメロディーをまず書き留め、それに低音を書き入れ、ハーモニーに従って木管楽器やヴァイオリンの高音を書き入れる・・・
そして数十もの旋律が同時に進行する膨大なオーケストレションを仕上げるのだ。まさに天才のなせる技・・・」
みたいな言い方をしていたが、これも噴飯ものだ。

大体、オーケストレーションなんてものは規則も方法も決まっている。ベルリオーズの「管弦楽法」以降多くの参考書もある。
僕自身作曲を音楽学校で勉強したことがあるが、オーケストレーションのほとんどは自動的に決まっていくし、
声部を増やすのもいくつかの主要な旋律を楽器に合わせて変更しながら重ねていくだけなので、特に難しいものではない。
今だったらコンセプトのソフトを打ち込めばPCがその作業を一瞬にしてやってくれる類いのものだ。
手書きだと時間はかかるが、そのテクニカルな作業を大げさに吹聴するのもどうかしている。
音楽の最も大切なところはそんなことではないのだ。

この作曲家を評価した音楽家、作曲家、評論家、そして録音した指揮者の目は節穴だったと言っても良いが、
もっと言うと彼らはこの作曲家と作品をネタにして、自分の為に利用しようとしたのだと思う。
こういう作曲家を持ち上げ利用することで、自分自身への評価と金銭を得ようとしたのだ。恥ずかしいことだ。

今回のことは、現代日本の音楽界の貧しさを象徴するような事件だと思う。
作る側、伝える側、演じる側、聴く側、評する側、全てにおいてまともな知性や良識などはどこにもなかったのだ・・・




2014年2月5日

日本に来ている。

2月8日に横浜イギリス館でリサイタルを行う。


今日は楽器の選定と調整をする。
リュート、バロックギター、イングリッシュギターの3種を使う予定だが、手元にはそれぞれ2本ずつ候補がある。


リュートは弦長66センチの6コースと60センチの8コース。どちらもダブルフレットの総ガット。
現代では60センチ弦長の楽器が全盛だが、16-17世紀にはむしろ65センチ前後の弦長のリュートが好まれていたらしい。
ダウランドも「リュートは手にあったものを選ぶべきだが、長目の弦長を勧める」と書いている。
長い弦長の楽器は確かに左手の拡張をより必要とするが、響きはより豊かになりレガートに響く。
なので、音を保持するために左指を指板に残しておく必要はそれほどない。
また、リュートの音域は低めになるため、より人の声に近く語るような音色となる。

バロックギターはヤコブセン作のイタリアン・ラウンドバックとマーシャル作のオリジナル・フレンチ。
どちらもシングルフレット、総ガット。
弦長は同じくらいだが、ラウンドバックとフラットバックの差、コピーとオリジナルの差は大きい。
ヤコブセンのコピーは楽器全体で鳴り、母音が豊かに響く。
僕は2人目のオーナーだが、製作以来ずっとプロ奏者にコンサートやレコーディングで使われてきた楽器なので、
響きもこなれている。
ソロはもとより通奏低音には絶大な威力を発揮する。一つの完成されたコピーと言えるだろう。
マーシャルのフレンチはフラットバックならではのクリアーや響き、オリジナルならではの子音のはっきりした音色を持っている。

イングリッシュギターはどちらもプレストン系列のもので、1本はペグヘッド、木/象牙ローズの大変エレガントな楽器、
もう一つはCD「アフェットーソ」で使用したもので、ウォッチキイ調弦マシン、金属ローズ。
ペグヘッドのギターは軽く鳴り音量豊か、柔らかな響きを持ち、金属ローズのギターは芯のある音でクリヤーに響く。

それぞれの楽器すべてに特色と良さがある。当時、様々な仕様の楽器があったことにはやはり理由があるわけだ。

時々感じるのだが、僕ら現代人は楽器にしても作曲家にしても、順位を付けがちというか、「ベスト」や「一番」を決めたがる傾向がある。

その判断の基準となるのは個人の感性だと言われたりする。

しかし、物事を判断するには多くの経験と知識が必要だ。
例えば僕自身これまでにおそらく何百本かの19世紀-20世紀初頭のギターを弾いたと思うし、
ロンドンの楽器庫には修復調整されたオリジナル6弦ギターを数十本所有している。
ファブリカトーレ、ラコート、パノルモ、シュタウファー、トーレス、ラミレス、ハウザーなどもあるが無銘、無名の楽器も多い。

オリジナルのバロックギターに関して言うと、ストラディヴァリやヴォボアンを含む数十本は手に取って検分したし、
10本を超える修復されたオリジナルを所有して演奏に使っている。弦長や寸法、材料も様々だ。

弾きにくい楽器もあれば弾きやすい楽器もある。非常に良く鳴る楽器もあれば鳴らない!と思う楽器もある。

しかし僕は、それぞれの楽器にまったく優劣はつけられないと感じるのだ。

初めて弾いた時に「こりゃだめだ!」と思った楽器でも、しばらく弾いていると自分の知らなかった良さが見えてくる。
それは弾き心地の良さであったり、音色の含蓄の深さであったり、弦やコンディション、奏法の意外さ、であったりする。
それは自分自身の経験不足、知識不足を思い知らされる瞬間でもあり、また安易に優劣を判断することの軽率さを恥じる時でもある。

これは感性以前の問題なのだ。人間は知らないことは判断できない。
音楽の素養や聴く能力はあくまでも後天的なもので超能力ではないのだ。

楽器はそれぞれ目するところがあり作られている。
例えばリュートに現代的な意味の「鳴りの良さ」という評価はまったく的外れだろう。
本来リュートはあくまでもプライヴェートな空間で演奏されるもので、その語り口こそが重視されていたのだ。
「良く鳴る」リュートは20/21世紀に多く作られているが、本来の語り口が犠牲になっていることに気づいている人はあまり多くないだろう。
「リュート・フォルテ」というモダンリュートがあり、歴史的でないとしてとかく批判されがちな楽器だが、
単弦の(アーチ)リュート、ナイロン弦と巻き弦、シングルフレットといった方向を完成させた現代楽器と言えるのかもしれない。
僕自身が弾くことはないだろうが・・・



2014年1月29日

装飾についての続き。

装飾に関して誤解されていることに、音数の多い細かな装飾音が速く演奏されがちなことがある。
確かにフレンチ・バロックのダングルベールの装飾音表、

バッハの装飾音表、どちらにも細かな装飾音が記されている。


なので、鍵盤楽器奏者やモダンギタリスト、そして往々にリュートやバロックギターなど古楽器奏者に至るまで、
沢山の細かな装飾音を弾くのが(フレンチ)バロックのスタイルだと思い込んでいるふしがある。

しかし、これは的外れだ。
鍵盤楽器の場合でも闇雲に細かな装飾を施せば良いわけで無いのは勿論だが、
ことリュートやバロックギターにおいては、音数の多い細かな装飾音は歴史的資料には全く出てこないのだ。

装飾音に詳しい重要な文献というと、コルベッタの「王宮のギター」、ムートンのリュート曲集、ド・ヴィゼーのギター曲集などだが、そのいずれにも音数の多い装飾は出てこない。

たとえば「ド」にトリルの記号がある場合、「レード」、ごくまれにカデンツの場合「レードーレード」と書かれているだけだ。
「ド」にモルデントの場合は、「シード」、まれに「シードーシード」とあるだけだ。


考えてみると当然で、装飾の重要な意義は「旋律をレガートに響かせる」「不協和音を強調する」なのだから、
速い細かな装飾をする意味はないのだ。
レガートに響かせるためには速い装飾は逆効果だし、不協和音を強調するためには装飾音の最初の音を長く伸ばして強調するのが有効だ。

鍵盤楽器に細かな装飾音が使われたのは、当時の代表的な鍵盤楽器チェンバロは音色や音量を一音ごとに変化させることが出来ないからなのである。
(いわば仕方なしに)装飾の数やスピードを表現に結びつけたわけだ。

撥弦楽器の場合は一音ごとに無限とも言えるニャアンスを付けられるので、音数の多い装飾音は必要ないのだ。

以上はトリルやモルデントなど記号で記される装飾音に関してだが、バロックの装飾にはイタリア風装飾とも呼ばれる分割装飾がある。
和声の中で旋律を細かく分割していくやり方で、コレッリやクヴァンツに良い例がある。

これは演奏者の技量を見せる意義が高いが、決して技術を見せびらかせる為ではない。
あくまでも音楽性、曲の理解度など、言ってみれば即興演奏、作曲家としての技量が問われているものなのだ。



2014年1月26日

現代ギター誌の原稿の校正をする。2月20日頃発売の3月号用。
お題はド・ヴィゼーの組曲ニ短調、今回はガヴォットとジーグを取り上げたが、
特に装飾に関してはある程度詳しく書いた。


バロック音楽に装飾は不可欠だと一般には思われている。

音楽書にはバッハの装飾音表はよく引用されている。

バロックギターの場合、コルベッタやド・ヴィゼーの装飾音表はよく知られている。


バロック音楽に装飾音が重要な位置を占めるのは確かだが、よく見聞するのは曲の基本的な理解や演奏技術が十分ではないのに、
装飾を絶対に必要だと思い込んで弾き、装飾音の箇所で力が入ってしまったり、装飾の箇所だけが目立ってしまうことだ。

バロック時代の資料には装飾の意義として:
旋律をレガートに響かせる、不協和音を強調する、演奏者の技術を見せる、などが挙げられている。

また、注意するべきこととしては:
作品の意図に沿っていなければならない、過度には使わない、和声の知識が必要、
下手に装飾を付けるよりはない方が良い、など書かれている。

装飾音は料理の調味料のようなものだと言える。
うまく使われれば全体が何倍も引き立つ、最も効果的なのは隠し味的に用いられた場合で、
目立ちすぎるのは趣味が悪いとされ、聞き手の興を殺ぐ。

カッチーニやクープランは装飾の必要性を説き、実際に多くの装飾音を自身の作品に使っているが、
同時に不適切な使用、過度の使用を堅く戒めている。
彼らが装飾音に関して多く言及しているのは、装飾を推奨しているというよりも、
下手に装飾されることが耐えられなかったからだと思われる。

しばしば先生が安易に装飾に言及するのも感心しない。そんなことよりも教えるべきことは沢山ある。
バロック音楽の場合、装飾音の小手先の奏法よりも、作品の構造と和声を把握することがよっぽど大切だ。
それがある程度わかって初めて装飾音も本来の意義を持って演奏することが出来るのだ。

現在発売中の現代ギター2月号ではド・ヴィゼーの組曲のサラバンドとメヌエットの編曲譜と奏法解説、
またバロック楽器の音について書いている。どうぞお読みください。



2013年1月24日

ロンドンに戻っている。また2週間ほどで日本に向かう予定だ。

今回はこちらでは特に大きなコンサートなどはないが、2月からのコンサートやレコーディングの準備で忙しく過ごしている。
現代ギターその他の原稿の締め切りもあり、時差ぼけ頭で仕事に邁進だ。
今朝になって諸々とりあえず落ち着いたので、留守中に入手した楽器などをゆっくり検分する。

まずはマヌエル・ラミレス(工房)作のギター。

マヌエル・ラミレスはいわばトーレスの後継者として、20世紀の初めにもっとも人気のあったギター製作家だ。
セゴヴィアが長年使用したギターもマヌエル・ラミレス工房の作品であった。

僕は昔からマヌエルの楽器にはあこがれていたのでとても嬉しい。
この楽器はやや小型のトーレスモデル。実際トーレスとうり二つ。


裏横材はハカランダ。


真珠母貝があしらわれたロゼッタが美しい。


弾いてみると、はじけるように敏感で同時に奥行きのある名器の響きだ。
弦高が低く弦幅も狭めで非常に弾きやすい。これはもうモダンクラシックギターとは別の楽器だ。

次にグレンザーのフルート。
グレンザーは日本ではアウロスのプラスチックトラヴェルソのモデルとしても知られているが、
今回の楽器は甥のハインリヒの製作した4キイ。典型的なクラシカル・フルートだ。


非常に甘い音ながらしっかり鳴る楽器でやはりマスターピースと言える。
今回発見したのは、グレンザーのフルートがイギリスのポッターのフルートと大変良く似ていることだ。
おそらくアウグストが後期にリチャード・ポッターの方式に影響を受けたのだろう。


最後におまけとして・・・ボグオークを使用したスコットランドの民族ナイフ、スキャン・ドゥ。

ゲリ−・サウスウェルのボグオークギターを弾いた際、そのあまりの美しさと感触の良さに、
思いあまって(?)スコットランドのナイフメーカーに注文したものだ。(2013年12月15日参照)
彼には以前、象牙ハンドルのスキャン・ドゥーを作ってもらったので、これで白黒のペアになった。



2013年1月15日


TVで邦楽の番組を見る。

日本の横笛/能管の奏者が出て話をしている。
興味深く聞いたが、「日本の笛は西洋の笛とは本質的に違う。それぞれの楽器の音高は様々。
運指は指穴を順に開けても音階にはならない。音色や音律は耳で調節する・・・」
とのくだりで違和感を感じた。

なぜならば彼が挙げた日本の笛の特質は、ルネサンス〜古典派の西洋のフルートにそのまま当てはまることだからだ。
現代の金属管ベーム式フルートと能管を比べた場合は間違いではないかもしれないが、
能管のような古くに成立した楽器は西洋古楽器とこそ比べるべきだろう。
発言した人は日本と西洋の差を言い顕したつもりだろうが、そう簡単ではないのだ。

こういう一見わかりやすいが、正しいとは言えない対立概念は古い音楽の世界であちこちに見る。
ルネサンス楽器とバロック楽器、18世紀のスタイルと19世紀のスタイル、貴族の音楽と市民の音楽、
フランス様式とイタリア様式・・・まだまだあるだろう。

それらを対比させて論じるのはとても簡単で、一見説得力も持たせやすいが、
少しでも深く追求すると、そのように分けて考えることはそう簡単にできることではないことがよくわかる。
多くの場合は単なるレッテル貼りであって、結局は思考停止に陥ってしまうだけだ。

僕はいつの間にか「この曲はイタリアンだから・・・」みたいな発言を聞くと、なんとなーく失望するようになってしまった・・・




2013年1月14日

横浜のイギリス館の下見をしてきた。


ここでは2月8日にイギリス音楽ばかりのリサイタルを行う。
楽器はルネサンスリュート、バロックギター、イングリッシュギター。


会場は特に残響が長いわけではないが、明瞭で暖かい響きはやはり古い西洋建築の音だ。
本番が楽しみだ。

詳細はここ!↓
http://www.yamatepc.com/-e8-8b-b1-e5-9b-bd-e9-9f-b3-e6-a5-bd-e7-89-a9-e8-a.html



2014年1月13日

3連休は滋賀の大津と横浜で講習会とワークショップを行った。

忙しかったが楽しい3日間だった。

僕が教える際に気をつけていることがあるとすれば、対症療法的なレッスンは避けるということだ。
受講生はともすれば難しい曲を持ってくる。
読譜にミスがあったり、技巧的に弾けてない場合もあるが、やはり音楽的理解が伴っていないとレッスンは難しい。
その場合、僕はその曲のレッスンは早々に止めて、よりジェネラルで有益な方向に持って行くことにしている。

受講生には自分自身が理解できる・・・最低限その構造を分析できる曲を弾いてもらいたい。
人前での演奏を目さないのも大切で、発表会などに慣れている愛好家ほど手に余る曲を選ぶ傾向にあるようだ。
古い音楽はまず第一に奏者がその曲を理解し、聴衆が居る場合はその理解を共有する悦びのためにある。本人の喝采願望の道具ではない。
そこを間違ってはいけない。


2014年1月3日

現代ギター誌の最新号(2014年1月号)を見る。僕の編曲したド・ヴィゼーの作品と奏法解説が載っている。


組曲ニ短調を4回に分けて連載することになっており、今回はプレリュードとブーレ。
2月号にはサラバンドとメヌエット、その後はガヴォットとクーラント、アルマンドとジーグと続ける予定だ。


ド・ヴィゼーのギター作品の多くには、ギター・タブラチュア版の他、五線譜版(旋律楽器と通奏低音、もしくはクラヴサン独奏用)、テオルボ版などが存在する。
またギター版にも異稿がある。それらは通常、リズムや旋律の形、低音、和声など少しづつ異なっている。

今回はそれらを参照して、クラシックギター版を作っている。
編集長からは「ギター版決定版」との要請だし、今回の楽譜の説明にも「竹内氏がすべての版を参照して作った決定版」との文言がある。

もちろん当方は時間をかけて真摯に編曲を作っているのだが、同時にルネサンス/バロック音楽には「決定版」は存在し得ないことも書いておきたい。

ド・ヴィゼーの作品に限らず、異なる複数の原典があるということは、言わばどの版でも良いということだ。
いずれにしても実演に際しては、どの楽譜を使おうとその都度異なる即興的なアプローチが取られていただろう。

また現代人は時代的に遅い版、最終稿を「決定版」として考えがちだが、これは的外れだ。
たとえばバッハのマタイ受難曲のアリアの一つは、もともとリュート・オブリガートのために書かれたが、
後にはリュート奏者がバッハの周りに居なかったために、やむを得ずガンバ・オブリガートに書きかえられている。
この場合はリュート版がバッハの本来の意図であったと言える。しかしガンバ版がリュート版より劣っているというわけではない。

ド・ヴィゼーに興味を持っている読者に勧めたいのは、どの版でも良いから原典に触れることだ。

オリジナル楽器そのものに触れることなく、他の製作家のコピー楽器を参考にしてもレプリカを作るのが出来ない様に、
他人の編曲を使っても本質に迫った演奏は出来ないだろう。結局、編曲というのは個人のその時点での解釈、翻訳に過ぎないのだ。
たとえば僕自身が今日、編曲を作り直したら結果は違ったものになるだろう。

幸い、ド・ヴィゼーのギター作品の多くは五線譜の形でも残されている。
モダンギターにはバロックギター版よりもむしろ向いていると思う。

連載では原典を各曲につき一つは載せるつもりだ。どうぞオリジナルを参照しつつ拙編曲をご覧いただきたい。
特にド・ヴィゼー自身が作成した五線譜版は、バロックギターを弾かない人にとって最も良い資料だろう。



2014年1月2日

レコーディングも終わり少し時間が出来た。

CDのライナーノートや博物館に提出するレポートを書くためもあり、フランスのギターに関するいくつかの文献を読んでいる。

中でもパリ楽器博物館のフロランス・ゲトルーの「ヴォボアンとそのギターに関する最新の研究」は面白かった。


彼女はヴォボアン研究の第一人者で、1988年にはヴォボアンの展示会をオーガナイズしており、
その際に出版した[Rene, Alexandre et Jean Voboam: des facteurs pour 'La Guitarre Royalle']は
ヴォボアン・ギターの最も信頼できる研究として知られている。

今回読んだ論文はAmerican Musical Instrument Societyの2005年度紀要に掲載されたもので、
ヴォボアン一族の血縁関係、現存する楽器のリスト、楽器の構造や寸法などの情報が先の論文から一新されている。

1730年製作の小型のジャン・バチスト・ヴォボアン作ギターのデータが載せられているもの大変興味深い。
19世紀ギターに改造されてはいるが、多くの部分はオリジナルで、18世紀前半のギターの貴重な例だ。


今回、個人的に納得したのは力木に関するデータだった。

現存するヴォボアンのギターの力木には、表面板ブリッジの下部に小さな扇状の(ファン)バーリングが付けられていたり、
斜めに横切るものがあったりする。たとえばこんな↓感じ。


フローレンスの古い論文でもそれらのバーは載せられている。


しかし、僕はこれらのバーは(早くても)19世紀以降に付けられたもので、バロックのオリジナルではないと感じていた。
オリジナルに見えるものはないし、構造的にも付ける理由がないというか、むしろバロック楽器の振動を妨げるだろうと思っていた。
新しい論文ではフローレンスもその立場だ。新しいバーリングの図はこれ↓。点線は後世のバーだ。


ヴォボアンのギターは表面板に横切る2本ないしは3本のバーを持ち、多くはスパニッシュヒール、
表面板のブリッジの裏側には羊皮紙の補強がされているのがオーセンティックなのである。
今、僕の手元にあるフレンチのオリジナルの内部がまさにそうである。


新年からスッキリした気分だ。



2014年1月1日

浜松市楽器博物館のレコーディングも終わったので、貸与されていたギターはいずれも博物館に返却した。

思えばこの3年ほどこれらの楽器と付き合ってきたわけだ。
博物館所蔵のものとほぼ同じスタイルのオリジナル楽器は自分のコレクションに持っているので、
楽器を返却しても特に寂しいわけではない・・・いずれにしても今回これらの楽器から得たものは非常に大きい。
楽器たちと博物館に感謝!である。

「博物館のギターでCDレコーディングをする」と言うと、しばしば「良い楽器なんですか?」といった質問を受けた。
僕はそのたびに少しヘンな気持ちになる・・・腕の良い職人により美しく作られ、よく保存され、経験豊かな専門家が修復し、
僕が歴史的な情報に基づいて弦を張り、フレットを巻き調整した楽器だ。

悪いわけが無い・・・というより、現代の我々は良いとか悪いとか判断する立場にはない。
この楽器が18世紀当時のギターの弾き心地と音色を持っていると信じて、
ギターから the most of itを引き出すように最大限の努力をするだけだ。

で・・・自分自身は大変満足している。
プロジェクトの当初から、バロック楽器のセッティングとして18世紀に普遍的であったと思われる幾つかの仕様、
ダブルフレット、低い弦高、不均等な張力などを試すつもりで、様々な実験を行ったが大きな成果があった。
多くの貴重な体験をすることが出来た。
出来上がったCDは18世紀の音がするユニークなディスクになる筈だ。

博物館のギターは返却したが、昨年入手した同仕様のオリジナル楽器が手元にある。
これからもこの楽器で探求を行うことが出来ると思うと嬉しい。


しかし、現代人は(オリジナル楽器に限らず)楽器の良い悪いに簡単に言及、また判断をしてしまうように思う。
このことに関しては改めて書きたい。



2013年12月31日

浜松のレコーディングも無事に終了。
今回はイングリッシュギターとチェンバロでジェミニアーニの作品、バロックギターと声楽、チェンバロでグレトリのオペラアリア、
ギターと声楽でシャンソンやバラッドなどを録音した。共演者は声楽:野々下由香里さん、チェンバロ:大塚直哉氏。

楽器のコンビネーションとしては、プレストンのイングリッシュギター(1790頃)とカークマンのハープシコード(1795)、
無銘バロックギター(1760頃)とブランシェのクラブサン(1765)。当然ながら合い性は抜群に良い。


曲目などはこんな感じ↓

18世紀のギター音楽
スパニョレッタによる即興演奏 バロックギターソロ
ド・ヴィゼ/クープラン:組曲ニ短調(Res.F.844より) バロックギター・ソロ1730年頃)
2つの小品 (God save the King/ Haydn's surprise) イングリッシュギター・ソロ1770年頃)
メルキ:ソナタ2番  イングリッシュギター・ソロ1766年)
ジェミニアーニ:ギターと通奏低音のための作品第1番  イングリッシュギターとカークマン・チェンバロ1760年)
トラッド:歌曲「素敵なナンシー」 声楽とイングリッシュギター(1780年頃)
ボルトン:ピアノギターのための小品  ピアノフォルテギター・ソロ1790年頃)
トラッド/プレイエル:リール  ピアノフォルテギター・ソロ1780年頃)
メルキ:2本のイングリッシュギターのためのソナタ5番  2本のイングリッシュギター1766年)
歌曲秘密(きらきら星の原曲)  声楽とバロックギター1780年頃)
ルモアーヌ:「ねえ、ママ、聞いてよ」による変奏曲  バロックギター・ソロ1780年頃)
グレトリ/ヴィタール:アリア「フォヴェットの美しい歌声」  バロックギター、クラヴサン、歌1782年)
英国民謡による即興演奏  バロックギター・ソロ(17世紀ー18世紀)

年が明けたら、使用した楽器の調整などについてのレポート、CDのライナーノーツなどを書く予定だ。
ちなみにディスクの発売は2014年11月頃の予定。楽しみだ。



013年12月24日

再び日本に来ている。

明後日から浜松市楽器博物館でのレコーディングの続きだ。
今回はギター、チェンバロ、声楽との合わせ物を中心に録音する。
チェンバロはフレンチのブランシェとイングリッシュのカークマンの2台。

こちらの使用楽器はドルプランク派のフレンチ・バロックギターとプレストンのイングリッシュギター。
楽器は前回と同じだが、レパートリーに合わせてセッティングは変更の必要がある。

バロックギターでのソロの録音はA-390で行ったが、今回はブランシェに合わせてA-402。

(・・・ところでA-390あたりをフレンチ・バロック・ピッチと(気軽に)呼ばないで欲しい。
このピッチがバロック時代のフランスで普遍的に使われていたわけでもないし、フランスでだけ使われていたわけでもない)
今回僕がA-390を使ったのは、使用したオリジナル・ギターは1760年頃にフランスで製作されたもの、A-400あたりで感じ良く鳴っていた。
そして偶然というか当然というべきか、アンサンブルで使う予定のブランシェ(1765年製作、パリ)もA-402に調律されていた。
なので、A-400あたりをその楽器のピッチとして考え、コンサートもそのピッチで行った。
しかしコンサート後に楽器の鳴りがよりよくなってきたので、ソロの録音ではピッチを下げて臨んだ。
そのピッチが(たまたま)A-390だったというわけだ。

今回は高音の何本かの弦以外はほぼ同じセッティングのまま402に上げることにした。
テンションは上がるが、主にアンサンブルなのでちょうど良いわけだ。

第5コースの低音は通常のガットからオープンワウンドに交換した。
前回はド・ヴィゼ、クープランなど18世紀前半までのレパートリーだったので、通常のガット弦が適切だったのだが、
今回はルモアーヌ、ヴィダールといった18世紀後半の作品なので、よりパワーのあるオープンワウンドを採用したわけだ。
低音が1本変わるだけで楽器の響きはまるで変わる。18世紀後半のアルペジオの多いギター書法には良く適合する。

・・・つくづく思うのだが、古楽器奏者は楽器の良し悪しを云々する以前に、弦をもっと検討するべきだろう。
おおもとの音を作っているのは弦なのだから。
たとえ良い楽器でも、ナイロンやカーボン、巻き弦を張ってしまうと古楽器本来の音や弾き心地ではなくなると言って良い。

イングリッシュギターの弦は替えないが、音律のチェックを念入りに行う。
イングリッシュギターは固定金属フレットで、多くの楽器のフレッティングは一種の古典調律・・・ヴァロッティにやや近い。
フレットは動かさないが、ブリッジの位置で調律の按配は大きく変わる。ブリッジの高さや弦の押さえ加減も大きなファクターだ。

今回はチェンバロの調律もヴァロッティを指定してあるので大きな齟齬は無いはずだが、それでもギター固有の癖がある。
ソロではほとんど気にならないような微細な差もアンサンブル・・・とくに音色や音域が似たチェンバロとの合わせでは目立ちやすい。

今回の楽器に関しては7フレット以上の高いフレットがやや高めになっているので、ブリッジは高め(弦長を長め)に設定したいところだが、
やりすぎると低いポジションの音高が低くなりすぎる・・・結局は演奏時に耳を使って押さえ方を調整しながら弾くことになる。
ヴァロッティに合わせたチューナーを使ってブリッジの位置と弦高を設定した後は、レコーディング現場での調整だ。

歌の伴奏では移調のためのカポタストも使うが、カポタストを装着すると音律もいっぺんに変わるので、
ブリッジ位置も変更が必要だ。


こちらも確認、調整し、2箇所のブリッジ位置には接着力の弱いマスキングテープを張って目印とする・・・



2013年12月15日

ギター製作家ゲリー・サウスウェルを尋ねる。
ゲリーはいわずと知れた歴史的ギターの名工で、世界でも随一の専門家として知られている人だ。
彼の製作する各種の19世紀ギター、トーレス、ハウザーは世界中でプロ奏者に使われており、
バロックギターやルネサンスギターも製作している。

今回は、彼が最近完成させたAシリーズギターの試奏、および僕の所有するゲリー作ルネサンスギターの調整のためだったが、
インタビューも行った。日本のギター誌に載る予定だ。ここではエッセンスを紹介する。
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ゲリー・サウスウェルのAシリーズはシュタウファー系の19世紀ギターにヒントを得て製作された新式ギターで、
デイヴィッド・スタロビンを初め世界各地にユーザーは多い。
そして今回のギターには非常に貴重な材料「ボグオーク」が使われているのだ。

ボグオークは数千年前に沼地などに沈んだ楢の木がいわば化石化したもので、
イギリス、デンマークなどで少量のみが採れる希少な材料だ。
工芸品の材料として高い評価を得ているが、いまだ組織的には探されておらず、
農家が土地を開墾する際などに偶然発見されるだけだ。

数千年も地中にあったため、採掘後すぐに適切な処置を行わないと風化、ひび割れなど起こしてしまい扱いは難しい。
ボグオークはこれまでにも指板やブリッジなどには使用されているが、ギターのボディを作ったのはゲリーが初めてだろう。


竹内(以下T):ボグオークのギター、2台目だね。

ゲリー(以下S):1台目は半年くらい前に完成して非常に結果が良かったので、すぐにもう一台作り始めたんだ。
最初のギターが良かったのは他の要因もあったかもしれないからね。
でも今回も同じような結果なので確信できた。ボグオークは僕にとって長年探し続けた理想の材料だということさ。

T:まず君のAシリーズ・ギターについて教えて。

SAシリーズは現代音楽や現代のステージに対応するために考えられたギターだ。
シュタウファー系の19世紀ギターに大きな影響を受けている設計だ。ボディ内部の構造なんかはまったくのオリジナルだ。

T:ネックも取り外しできて、弦高が自由に変えられるね。

S:ステージの条件や弾く曲によって弦高が変えられるのは素晴らしいよ。
技術的に困難なソロ曲を弾く際には弦高を下げ、大きな音が必要なアンサンブルの際には
弦高を高めにするみたいなことが出来る。

T:ボグオークについて教えて。

S:去年、ボグオークを専門に使って家具を作っている工房を訪ねたんだ。
最初はブリッジや指板に使う小さな材料を探してたんだけど、
その工房にはボディを作ることが出来るような大きな材料があったんだね。
すぐに思ったのは、ワオ!ギターの胴体をこれで作ってみよう!ということだった。

T:化石化したことでやっぱり普通の楢とは違うのかな?

S:全然違う。たぶんもともとのスピーシー(種)も多少異なるんじゃないかな? 
そして長い年月の間に組成もだいぶ変わっているだろう。
乾燥もゆっくり行う必要があって、通常の材料の数倍以上の時間が必要なんだ。
でも、いったん乾燥したらゆがみもまったくこないし、その意味ではローズウッドや黒檀よりも扱いやすいね。

(ここで彼のボグオークAシリーズギターを拝見)


T:すごいね、なんというか・・・変な言い方だけど日本刀の名刀を持っているみたいな気がするよ。
研ぎ澄まされていて、実用的で、この上なく美しい・・・コワイくらいだ。工作精度も素晴らしいけど、材料の美しさもすごい。
木目の美しさはどうだい!木目が縦横に走っている・・・
色は濃い茶色で決して派手ではないけど、いくら見ていても飽きない・・・
ああ、それが日本刀の刃紋を思い起こさせるのかな?
ボディ周りのパーフリングはグリーンホーン(角)だね。ロゼッタも変わっている・・・

S:ロゼッタの意匠はイギリスに古代から伝わるものさ。誰もその意味を知らないんだ。

T:そういったこともこのギターの持つ神秘的な雰囲気、ワイルドな古代が思い起こされる要因かな?

(ここでギターを試奏。タッチに敏感に反応良く鳴る。音色は非常にカラフルだ。)


T:ああ、とても弾きやすくてフレンドリーなギターだね。バランスも最高だ。
正直言ってこんなに弾きやすいとは思ってなかったよ。

S:ギターは弾きやすい方が絶対にいい。7080年台に大型で弾きにくい楽器がはやったことがあって、
プレイヤーが努力して弾きこなすのがエライ!みたいな風潮があったけど、僕はそう思ったことは全然ないね。

T:そうだよね。弾きやすい楽器はそのまま良い演奏に結びつくからね。

T:ボグオークの比重は?

S:大体ローズウッドは同じくらいだ。ブラジリアン・ローズウッド(ハカランダ)はすでに使用や輸出ができないから、
その意味でもボグオークは貴重だね。
まあ僕自身はハカランダがインディアン・ローズウッドよりも優れているとは思わないんだけどね。

T:ボグオークの魅力は何?

S:自分にとっては、まず音響が良いこと、美しいこと、
それから自分の生まれた国から採れる材料であることも非常に大きい。
なんていうかアイデンティティの問題かもしれない。いずれにしても僕にとっては真に理想の材料だ。

T:君のギターは大層美しく作られているけど、外観にも凝るほう? 

S:うん、楽器としてはやはり弾き心地と音が重要だけど、外観も重要だと思う。
やっぱり細部まで綺麗な楽器を作りたいね。

ここで横で聞いていたゲリーのお嬢さんマリアがひとこと
マリア:ダディは工房で夜遅くまで一人でよく唸っているのよ!「ああ、この部分が違う!」って(笑)

T:アハハ、それは僕ら演奏家が編集中の自分のレコーディングを聴いて「ああ、ここにミスがある!」と思うみたいなものかな?
他の人は全然気がつかないんだよね、たいていの場合。

S:そうそう、自分だけが気がつく・・・というか自分はその部分にしか注意がいかなくなる(笑)

T:でも楽器は製作者よりも長生きするからね。

S:沢山の古いギターを見ていると、ほんとにそう思う。やっぱり綺麗な楽器を残しておきたいね。

T:今でも機械はあまり使わないの?

S:使わない。ほとんどは手仕事だ。
最近の楽器工房の多くは「手工品」をうたっていても、多くは機械によって加工されていて、
時にはCNC(コンピュータ制御の工作機械)まで使っていたりする。
ネックなんかを寸分と違わぬ規格で大量生産できちゃうわけだ。僕は決してそういう方法は取りたくない。

T:楽器を調査したりするのもインターネットの普及で一見容易になったけど、
実物のオリジナル楽器を手にとって調べたりする人はかえって少なくなった気がするよ。

S:そうだね、僕は修行時代から各国の博物館や個人コレクションを訪ねて、
沢山の楽器を実際に手にとって検分、調査したけど、結局そうでないと決して本当のところはわからないね。

T:そういえば・・・以前、ギター講習会で教えていた際に、ある製作家が
割と出来の良い自作の19世紀ギターのコピーを僕に見せてくれたことがある。
「オリジナルは何ですか?」と聞いてみたところ彼はなんと「ゲリー・サウスウェル!」と高らかに言ってたよ(笑)。

S:アハハ、 でもねえ・・・

T:うん、彼には「ゲリーの19世紀ギターはこの上ないほどオリジナルに忠実ではあるけど・・・
やっぱりオリジナルそのものを見るべきですね」と言った。

S
:その通り。僕の19世紀ギターはあくまでも僕の解釈だからね。

T:こういったことは演奏者にも言えるね。
僕が師事したナイジェル・ノースは世界各地の図書館から山のように古い楽譜のマイクロフィルムを取り寄せて研究していたし、
彼の師のロバート・スペンサーなんかは貴重なオリジナル楽譜を多く集めていた。
なんというか、その頃は専門家も愛好家も本物と対峙することが当たり前だったんだけど、
最近は結構平気で出典の怪しげな楽譜を使う。
古楽や古楽器が広まった分、内容の濃さや真摯な姿勢はかえって薄くなってきたように思う。
製作者も演奏者も、根拠のない怪しげな情報に踊らされているのは全然珍しくなくなってるしね。

S:そうだね、何よりも事実を的確に見据えることが大事だね。

T:君のAシリーズギターがとても説得力があるのは、君が様々なギターを調べつくした上で設計、製作したからだと思うんだけど。

S:うん、僕は19世紀ギターの調査と製作にすごく時間をかけたけど、
ルネサンス、バロックのギターなんかも作ったし、トーレスとハウザーの調査も随分おこなった。
おかげで、たぶん他のギター製作家には見えないところも見えてると思う。
例えばハウザー1世のギターに関しては、彼はマヌエル・ラミレスをコピーしたように一般には言われているけど、
実際は彼の作品はジャーマン/オーストリアンのギター製作の伝統とスパニッシュの折衷なんだ。
ジュリアン(ブリーム)は僕のそういった視点や経験を高く評価してくれて、僕にハウザーのコピー製作を任せてくれたわけだ。
このボグオークを使ったAシリーズ・ギターはね、自分にとってのいわば集大成みたいに感じてるんだ。
僕は沢山の古いギターを調べてレプリカを作った。
レプリカを作る際はオリジナルに忠実に、彼らの声を代弁するように作ってきた。
そしてAシリーズ・ギターは僕自身の声なんだ。
今回、理想の材料であるボグオークにめぐり会って、パズルの最後のピースが嵌ったような・・・
運命的な出会いだと思っているんだよ。

T:スモールマンを初めとして、新方式のギターは最近ずいぶん多いよね。
古いところでは物理学者シュナイダー/カーシャの方式っていうのもあったけど。

A:シュナイダー/カーシャは1970年頃かな? 彼らは物理学の方面から良いギターを探求したんだけど、
実際の成果はそれほど上がらなかったようにも思う。
まあ物理学者の理屈がどうあっても、良いギターっていうのは結局は製作家の指先の感覚から生み出されるものだと思うよ。
今はいろんな新方式が考案されて試されてるけど、新しいスタンダードになるものが出てくるかもしれないね。

T:ボグオークは希少な材料だけど、まだ在庫はあるの?

S:手元にあるだけであと40本くらいは作ることが出来るよ。
いろいろな方面に情報を送ってもらうように手配しているから、また新しく発見、入手できるかもしれない。
ボグオークを使った楽器はどうしても値が張るし、これまで通りローズウッドも使っていくよ。

=ここで竹内の所有するルネサンスギターのセッティングを行ってもらう。4コースの小型のギターである。

T:ぼくは最近フレットを二重に巻く「ダブルフレット」を試してるんだ。ダブルフレットはびりつきをマイルドにする・・・
言い換えればすこーしビリつくくらいの弦高でもっとも美しく鳴るんだ。
弦高はかなり下げられるので演奏もラクになる。これは当時の文献にも書いてあるんだよ。
このギターはもうダブルフレットにしてあるけど、今回はナットの高さを低くして、それからコース内の弦幅を狭くして欲しいんだ。

SOK!すぐに出来るよ。・・・こんな感じかな? どう?


T:(弾いてみる) うん!すごく弾きやすくなったし、音色にも深みと含蓄が増えた! 
ほら、音の立ち上がりに子音が聞こえるでしょう? これが広い会場でも遠達性に貢献するんだ。

S:面白いね!とても説得力があるよ。このギターは良く使ってる?

T:やっぱりテオルボ、バロックギター、リュートを弾く仕事が圧倒的だし、時々弾くくらいかなあ。
もっと使っていきたいと思ってるけど。
・・・最後に一つ聞いていいかな? 古いボグオークの使用とか、アイデンティティや運命のこととか、
古代の意匠を使うこととか、なんとなーく超自然的なものへの志向を感じるんだけど、オカルティックなものに興味ある? 

S:うーん、どうだろう。何か特定のものというわけではないけど、超自然的なもの、運命的なものを信じている面は確かにあるね。
・・・このルネサンスギターも君のもとで多く活躍してくれると思うよ!

T:今日はどうも有難う。

ゲリーと話すのはいつも楽しい。世の中にこういった真っ直ぐな姿勢の楽器製作家がいることを感じるだけでもハッピーになる
・・・それにしてもボグオークのギターは美しかった!
そのようなことを考えながら帰宅すると、ルネサンスフルート奏者ナンシー・ハッデンからのメイル
「来年のCDレコーディングとツアーにルネサンスギター奏者として参加して欲しい」旨の内容だ。
「ルネサンスギター」指定の仕事は珍しく、思わずゲリーの最後の言葉を思いだしてしまった次第だ・・・
超能力者ゲリー!?(実話です)

今日も楽しい一日だった。



2013年12月14日

原稿も目処がついた・・・週末に読み返して校正、月曜日には送る算段だ。
いつもは毎月20日締め切りだが今月は年末進行。

今日はルネサンス・ギターをダブルフレットに巻きかえ、弦も全てガットにする。
あの!ゲリー・サウスウェル作の貴重な4コースだ。


もともとゲリー特有の透明な鳴り方のギターだが、ダブルフレットではより暖かな音色になった気がする。
明日は楽器持参でゲリーの工房を訪ねることになっている。彼の感想が楽しみだ。


・・・なぜ僕がダブルフレットにそこまで拘るかを疑問に思う人もいるだろうから、説明しておく。

まず言っておきたいのは別に拘っているわけでもないし、「歴史的に正しいから」行っているわけでもない。
弾きやすさと音色の良さを求め、いろいろ調べていたら、ダブルフレット(および総ガット弦)に行き着いただけのことだ。

リュートやアーリーギターは数百年に渡ってヨーロッパで用いられた。
沢山の曲が書かれ、名手を輩出し愛好者も非常に多かった。

そういう楽器の扱いや演奏が非常に難しかったとは思えない。
それなりの良い教えを受けたら、まあ言ってみれば誰でもある程度は弾けた楽器の筈なのだ。

しかし、現代の我々はあまり簡単ではないと感じる場合も多いようだ。

左手で複弦を的確に押さえるのは骨が折れるし、右手で複弦を両方鳴らすのはコツが必要で、
コースの多い楽器の場合は低音の弾き分けも大変だ。弦長の長い楽器では指の拡張が難しい・・・

しかしこういった問題は、歴史的な情報を丹念に調べると解決のヒントが見つかるものなのだ。

16−18世紀の図像資料や文献から、僕らはダブルフレットが主流であったことを知っている。
オリジナル楽器の弦幅は狭く、また弦高も低かったらしいことも判っている。
弦はもちろん(ほぼ)ガット弦のみが使われていた。

これらを実験すると次のようなことがわかる。

*ダブルフレットにするとビリツキがマイルドになるため弦高は思い切り下げることができ、押弦は飛躍的に容易になる。

*オリジナル楽器に倣ってブリッジ上およびナット上の弦幅(コース内、コース同士両方)を狭くすると、
複弦を押さえ、また複弦を同時に弾くのは簡単だ。左手と右手の拡張もラクになる。

*弦幅が狭い場合、下から掬いあげるような(現代の)親指内側奏法だと弦同士が当たりがちだが、
昔の絵画に見られるようにブリッジ近くを親指外側で弾くと、その問題は起こらない。

*ガット弦を張った弦高の低い楽器は軽いタッチによく反応するので、右手の負担は減る。
手がリラックスすると速いパッセージは楽だし、コースの多い楽器も弾きやすくなる。

*また、当時の楽譜から左手の運指を見ると、彼らは1フレットに一つの指を対応させるクラシックギター的なものを採用していない。
たとえば第1フレット→第3フレットを押さえる場合、人差し指と小指を使うことが多く、このようにすると弦長の長い楽器も楽だ。

そう、歴史的な情報から、最も容易に音楽が出来る方法がわかってくるのだ。
考えてみれば当然で、昔のリュート奏者もラクチンな方法が良かったに決まっている。

古楽器が復興して数十年、僕らはまだまだ弾きにくい楽器を弾いている。
弾きにくい要因は、高い弦高、ナイロン/巻き弦、シングルフレット、広い弦幅、その他にもまだまだある。

楽器に限ったことではなく、演奏に関してもそうだ。
例を挙げると、17世紀の通奏低音にチェロやガンバを使うこと、バロックピッチの名のもとにA=415を使うこと、
クラシカルピッチの名のもとにA=430を使うこと、所謂古典調律に拘ること、舞曲の踊るテンポに拘ること、
組曲をアルマンドからジーグまで続けて弾くこと・・・これらは実際は歴史的には必ずしも正しいとはいえないものばかりだ。

実際には:

*17世紀には通奏低音は和音楽器のみで弾かれており、ソロパートは自由に歌いルバート出来た。
通奏低音が擦弦楽器で補強されるようになるのは世紀の終わりころからだ。

*バロックピッチもクラシカルピッチも現代人が便宜的に決めたもので、実際にそのピッチが演奏に使われた例はむしろ少ない。
特にリュートやアーリーギターの場合、大抵はピッチなど関係なかったし、合わせる場合でもカンマートンなど、より低いピッチに調弦することが多かった。
フレスコバルディやメルセンヌを初めとして平均律に属する調律は多く言及されており、特にフレット楽器には早くから平均律が採用されていた。

*舞曲を弾くのに当たって踊りのイメージを持つのは大切だが、テンポまで厳格に従う必要はない。
例えばダウランドのガリアルドを踊りのテンポで弾いて説得力のある結果が出るだろうか?

*特にフランスの場合、組曲は「同じ調性の曲の集まり」であり、奏者は好きな曲を好きな順番で弾いていた。

つまり、正しい歴史的な情報を知れば知るほど楽器の扱いや演奏はラクになるのだ。
なんだか現代人は自分で自分の首を絞めているようにすら感じられるのだ。
温故知新というが、僕が本来のあり方を探求することはまだまだ必要だと思うゆえんだ。

それがわかった上で採用するかどうか、また自分なりのやり方を編み出すかどうかは結局は個人個人の選択だ。
しかしまずは調べ、実践してみることが大切なのだと思う。

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