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日記

エッセイ風日記です。
(読み込みに時間がかかる場合があります。少々お待ち下さい)

ポーランド日記
(ナイジェル・
ケネディ/ポーランド室内管弦楽団とのリハーサル日記
:2003年11月3日ー11月6日はここをクリック

ドイツ日記
(ナイジェル・ケネディ/ベルリンフィルとのドイツ演奏旅行記
:2003年9月27日ー10月21日)はここをクリック

2020年1月19日

音楽する人に、毎日練習したりレッスンを受ける理由を聞くと、大抵は「うまくなりたいから」という答えが返ってくると思う。

では「うまくなった」とはどういうことだろう?
指が回るようになり難曲名曲が弾ける、アンサンブルできるなど、様々あるだろうが、
僕自身が「うまいなあ」と思うのは、その人自身の言葉となっている演奏を聞いた時だ。
難曲名曲である必要はなく、むしろシンプルな曲や即興演奏にそう感じる場合が多い。

19世紀前半くらいまでの音楽教本を見てみると面白いことに気づく。
僕らがメカニックの練習として認識している機械的な指の練習はほとんどない。
音階練習もなく、冒頭から馴染みやすい旋律を多く弾かせる。
最初は旋律だけだが、学習者の意欲と技術によって三度や六度を任意に重ねたり低音を加えたり、装飾させたりする。
割とすぐに、その旋律に基づく変奏曲が出てくる。

つまり、初心者でも楽器を手に取ってすぐに「音楽」を楽しめたわけだ、「練習」ではなく。
「練習曲(エチュード/スタディ)」のタイトルを持っていても、機械的な指の練習のための曲はほぼなく、
常に奏者の音楽性に寄与するように書かれている。

このように音楽を学ぶと、音楽的な素養(音楽理論、和声、聴音、ソルフェージュなど)と演奏技術はバランス良く向上する。
変奏曲は曲を通して「作品」として弾くものではなく、学習者に様々な技巧を教え、ひいては即興演奏の下地をつくるものだ。

つまり「うまくなった」とは、その人の音楽性そのものが進歩し、
楽器を操って即興演奏、編曲ひいては作曲ができる状態になったということだと思う。

振り返って僕らのことを考えると、それなりに難しい曲を弾いている人でも、簡単な旋律にコードがつけられなかったりする。
即興演奏なんて夢のまた夢だ。
これでは、いくら指が動いて難曲が弾けていても、「うまくなった」とは言えないのではないか。


2020年1月18日

このお正月に音楽の学び方について考えたことを書く。

日本ではその道の大家に師事し、運指や解釈など先生の方法を細部まで踏襲するのがいまだに良しとされているようだ。
これは邦楽や茶道では正しいのかもしれないが、西洋クラシック音楽、ことに古楽と呼ばれる19世紀以前の音楽には適用できない。
奏法や解釈などの研究は日進月歩、情報は日々更新されている。
先生の方法が最上とは限らないし、正解が常に一つというわけでもない。

学習者には師事した相手を師匠と呼び、そのコピーとなるように邁進する人も少なくない。
多くのレッスンを受け上達しても、自分の演奏の良し悪しを自らは判断しない人もいる。
お経を丸暗記して唱え、「これで大丈夫でしょうか」と聞く人にも似ている。
西洋音楽の場合は自分が内容を把握して初めて聴衆に伝わるわけなのだが。

おそらく、日本と西洋における音楽の考え方の違いがあるだろう。
日本では音楽は芸事、多くの場合、人前での演奏が大前提となっている。
西洋では音楽は読書や思索と同じように個人の精神活動の面が強い。
日本ではまず形を整えることを考えるが、西洋では内容の理解を重視する。

西洋の場合は、音楽つくりを人任せにしては音楽する意味がなくなってしまう。
そうならないためには:

作曲者、曲の沿革、和声の構造などについて自ら調べ理解する。
巷にあふれるトリビア本などではなく、せめてグローブ音楽事典くらいは使いたい。
英語ができればなお良い・・・というかある程度以上調べるには必須だろう。
19世紀前半までの曲の和声を分析するには、現代和声ではなく数字付き低音の考え方を使わないとフルには理解できないだろう。

自分の水準を超えた曲にはトライしない。
難曲名曲を目標にすると、いろんなことが疎かになる。
自分が理解できない曲を弾くのは弊害の方が大きい。
頑張ればなんとか弾けそうと思える曲は、実際は自分の能力を大きく超えていることが多い。

機械的な練習は避ける。
コンテクストなく指をいくら動かしてもあまり意味はない。
指が回るようになっても内容が伴わなければ、
軽口は叩けても、心からの言葉を紡ぐことができないのと同じだ・・・
(続く)


2020年1月1日

新しい年が明けたが、特に変わりなく過ごしている。
今日は朝からバロックギターの弦の交換。

通常バロックギターにはガット弦が張られたが、しばしば金属弦も用いられた。
18世紀に流行し「キタッラ・バテンテ」と呼ばれた。

僕の最新のCD「スコットランドのブルーベル」では、浜松市楽器博物館所蔵のシュタッドラー作キタッラ・バテンテを録音している。

1624年に作られたギターで、18世紀中ごろに金属弦仕様に改造されている。
現状の表面板、指板、ヘッドは18世紀のものだろう。

金属弦ギターは非常に甘美な音色と長い響きを持っており、
17世紀にも愛好されたと考えられている。

18世紀のキタッラ・バテンテは以下のような特徴を持っている。
短い弦長。
丸い背面。
表面板はマンドリンの様に曲げられている。
ブリッジは接着されていない。
フレットはガットではなく骨、象牙か金属。

いずれも、細くて比重の高い金属弦用の仕様だ。

しかし、17世紀の金属弦用ギターがどのようなものであったかはわかっていない。
ガット仕様のギターにそのまま金属弦を張ったという説もある。

実験してみる。

手元にあるラウンドバックのギターの弦を金属に交換する。


弦は焼きの入っていない柔らかいアイロン(鉄)とブラス。


弦を張って弾いてみると、その甘美な音色にドギマギする。


ナットを金属弦用に作り直す。具体的には高さは低め、溝の径を狭くだ。


調弦をより容易にするために、調弦用のアジャスターを取り付ける。


ガットよりも短三度ばかり低く調弦して弾いてみる。音量、音色、サステインの良さに驚く。
当時大流行したのも頷ける。


試みにヴィデオを撮る。


リンクはhttps://www.youtube.com/watch?v=9-DV5GkBonw


曲は「大公のバッロ」あるいは「フィレンツェの歌」による即興演奏。
1589年のフィレンツェの音楽劇の終曲で、18世紀に至るまで演奏された当時の大ヒット曲だ。

↑のようにギターのコードとリズム、それに歌詞の書かれた楽譜が多く残されている。

金属弦ギターは弾いていて非常に楽しい。コンサートでも使っていきたい。


2019年12月

フランスの18世紀ギターの調整をする。

パリのソブネル作、1780年頃の楽器だろう。
もともとパリの骨董商が所有していたギターで、10年ほど前からオファーを受けていたが高額のため手が出せないでいた。
今回その骨董商の引退に伴い、日本滞在中の僕の手元に来たわけだ。

↓は受け取った際の状態。
 

胴体には割れの修理跡もなく大変良いコンデション。
指板には象牙のフレットが打たれ、ブリッジはローズウッド。ガット弦と巻き弦が張られている。

前オーナーからの情報では、ブリッジ、ペグ、フレットはオリジナルではなく20世紀に作られたもの。
フレットに関してはもともとはガットが巻かれていたはずだ。
計測してみると、現状のフレットとブリッジは位置があっていない。

折角なので、作られた当時のオリジナルの姿に戻して弾いてみたい。
楽器のオリジナル部分には手を付けない範囲でレストア/調整することにする。

弦を外し、胴体内部をファイヴァーカメラで観察する。


古いバロックギターの多くには、19世紀以降に胴体内部のブリッジ付近にパッチが張られてしまっている場合が多い。
大きなパッチは楽器の鳴りに影響するので除去しなければならない。

幸い内部はオリジナル通りだった。裏板や表板が外された跡もない。

埃が溜まっているので、ローズからお米を入れて清掃する。


指板にマスキングをしてフレットを削り落とす。胴体の木製フレットも除去する。


ペグとブリッジの弦穴を広げガットに対応させる。


ローズウッドのブリッジは現代のもの。
18世紀のブリッジよりも少しだけ広めだが、これは表面板の損傷を隠すためかもしれない。
ローズウッドの比重は高く通常はブリッジには向かないとされるが、実際には使われていたことも分かっている。

迷った末、現状のブリッジを削りなるべく18世紀のスタイルに近づけることにする。


ナットとペグを調整し、ガットを張りフレットを巻く。
フレットはとりあえずシングルを試してから、もう一巻きずづ加えてダブルにする予定だ。


弦高を調整し弾いてみる。


高音は良く歌い、低音は音量がある。
各弦の音色がくっきりしていて、アルペジオは気持ちよく響く。
18世紀後半フランスの5コースギターの良い個体と言えそうだ。

やはり18世紀にパリで作られたマスト作ギターと弾き比べて遊ぶ。

楽しく興味深く、飽きることがない・・


2019年10月

数年前からハープリュートに取り組んでいる。


ハープリュートは18世紀後半から19世紀前半のイギリスで愛奏された楽器。
金属弦のイングリッシュギターにガット弦が張られたのが始まり。
19世紀初頭にはリージェンシーリュート、ハープギター、アポロリラ、リージェンシーハープリュートなど、
形、弦数、調弦の異なる多くのヴァリエーションがあり、これらの総称が「ハープリュート」だ。


現代ではほとんど弾かれることがないが、当時は多くの教本/曲集が出版されている。
入門用から高度な作品まで楽曲の幅は広い。楽器もそれなりの数が残されている。

昨年ハープリュートのCDを録音し先ごろリリースされた。
日本の博物館からの依頼、博物館所蔵および自分の楽器を使用した。


日本にこの種の楽器と音楽の専門家は皆無な上、、
しばしば博物館からの的外れな意見に悩まされながらの孤軍奮闘。

いずれにしても、世界で初めてハープリュートに正面から取り組んだ録音だと思う。
何を置いても共演者のお二人には心からの感謝である。 

これでハープリュートについては一段落だと思っていたが、
英国の文化財団ナショナル・トラストから仕事を依頼された。イギリスの大学との共同プロジェクトだ。

ウェールズのエルディック城に現存するハープリュートと曲集を使ったレコーディングである。


名誉なことだし、面白そうなので引き受ける。
早速プロジェクトに携わる楽器修復者と音楽学者たちから楽器と楽譜についての詳細なレポートが送られてきた。

楽器は王立アカデミーに属する著名な古楽器修復家によって修復済。
修復/調整報告書はちょっとした論文ぐらいの分量がある。

エドワード・ライト作の12弦ハープリュート、シリアルは460台で、確認できるうちでは最も若い番号。


このタイプの特徴の一つは、最高音弦のナットが他の弦の第1フレットの位置にあること。
正直不可解な仕様だ。
弦長が短くなるので弦を太くでき、また切れにくくなるだろうが、
これくらいの差ではそれほど効果はないだろう。

思うにライトがこの仕様を採ったのは、他のハープリュートとの差別化を図りたかったからではないか。
不合理な仕様は他の製作者によって真似されないだろうし、自身の楽器の一目でわかる特徴となる。
実際、ライトはこの仕様の楽器のための大部の教本/曲集を早速出版している。


しかし弾く方にとっては混乱しがち。
僕はこれまでこのタイプのハープリュートには積極的ではなかったが、この機会に取り組むことにする。

練習するにはエルディック城から楽器を借り受けるのが理想だが、ナショナルトラストは所蔵物の貸し出しは行わないのがポリシー。
修復調整する場合も現地に赴いて作業することになっている。

僕の所有するライト作12弦ハープリュートとは異なる弦アレンジなので、同仕様の楽器を探す。
幸いロンドン在住の旧知のコレクターが所有していたので、早速借りてくる。
埃だらけ、破損している箇所もあり金具は錆びついていたが、クリーニングと修理を施してガット弦を張る。
調弦が落ち着くと、楽器は生き返ったように明るくのびのびと歌いだした。


シリアルは470台、エルディック城の楽器と同時期に作られたものだろうがほんの少し小さい。
楽器を持ち歩いて練習したい自分にとっては好都合だ。
実際のレコーディングではエルディック城の楽器とこの二台を使うことになるだろう。

ジョージアンの泰斗である音楽学者からは、エルディック城に残されたハープリュートの教本/曲集5冊のPDFが
沿革、コンコダンス、それぞれの曲へのコメント付きで送られてくる。

早速検分する。いずれもライトの出版物だ。
いくつかの曲には書き込みもある。付加された低音や運指だ。興味深い。


ライトのハープリュートは主要弦を長調の和音に調弦する。
音高としてはE♭、DおよびCの3種。

今回の楽器はその弦長からDかE♭に調弦されることが多かったと思われるが、
エルディック城に残されたライトの教本にはDと書かれた個所がCに訂正されている。


なので今回はCに調弦することを考える。
アンサンブル作品ではハープリュートと他の楽器が異なった調性で書かれている場合も多く、
その場合はC以外に調弦することになるが、エルディック城の曲集にはそのような作品は見当たらない。

この先の手続きとしては:
エルディック城に赴いての楽器の調整、楽譜の詳細な検分
音楽学者と相談してレパートリーの選択
練習
ロンドンでのリハーサル
エルディック城での録音
の感じだろうか。

大変なこともあるが一流の学者と修復家との共同作業。
日本での仕事とは対極にある。

とても遣り甲斐のある仕事だ。  


2019年8月31日


オックスフォードで開かれた国際会議に行ってきた。


主催はガルピン・ソサエティ、世界でも最も伝統のある古楽器研究団体だ。
年に一回のカンフェランスにはこれまで数回参加したことがある。
レクチャーコンサートや研究発表も行った。

今回の会場はオックスフォード大学音楽学部。


ここには木管楽器で有名なベイトコレクションもある。


会議のお題は「楽器コレクションとコレクター」

マニアっぽい内容のようだが、実際は17-19世紀に行われた楽器の蒐集の歴史、
20世紀以降の博物館の業務のことなどアカデミックなものだった。

参加者は60人ほど、イギリス、アメリカ、オランダ、フランス、ドイツ、ポーランド、日本などお国も様々。

3日間の会議では、20のレクチャー、7つのポスター発表、パネルディスカッション、コンサート、
オックスフォード近郊のコレクションの見学などが行われた。


ことに興味深かった発表:

「マルチメディアを使用した博物館の展示法」

「アンソニー・べインズ」(イギリスの楽器学者の生涯と仕事について)

「1820年代におけるロンドンの楽器オークション」(1820年代から古楽器のコレクションが盛んになる)

「ヴェローナの楽器博物館における修復について」(所蔵楽器を演奏するか否か?)

「バッハの楽器コレクションについて」
(バッハはスタイナーのヴァイオリン、高価なリュート、リュートチェンバロ、ガンバなど多くの楽器を所有していた)

「ミランの楽器博物館の収集方法について」

「エジンバラのラッセル鍵盤楽器コレクション」

「スエーデンの楽器研究者について」

などなど。


僕は1681年に製作されたヴォボアン作バロックギターでレクチャーコンサートを行った。


ヴォボアンは17世紀ー18世紀初頭のパリの楽器製作工房。
ルイ十四世、イギリスのチャールズ二世もヴォボアンのギターを弾いていたと思われる。
マリア・テレーズ・ド・ブルボンのヴォボアン作ギターは現存している。


現存するヴォボアンのギターは30台足らず、
ここオックスフォードのアシュモレアン博物館にもルネ作1641年作のギターがある。


このギターが製作された1681年はヨーロッパのギター演奏のまさに黄金時代、
コルベッタの「王宮のギター」、ド・ヴィゼのギター曲集、サンスのギター教本などが立て続けに出版されている頃だ。

弦長は724ミリ、現代からするとかなり長めだが、弾いてみると非常に快適、
はっきりとした子音と余韻の長さを合わせもつ鳴り方は、やはりこの弦長あってのものかとも思う。
総ガット、フレットを二重に巻くダブルフレットを採用しているが、
これ以外の弦、シングルフレットはちょっと考えられない。ピッチはおおむねA-370~380ほど。

ベイトコレクション所蔵の楽器のリサーチも行った。
ここの楽器の多くは試奏できるし、図面も発行している。
↓はリチャード・ポッター作1キイトラヴェルソ。
 

このような会議に参加するたびに感じるのは、発表内容のレベルの高さである。
レクチャラーのほとんどは音楽学、楽器学の博士であるし、幅広い教養、
徹底したリサーチと客観的な視点に基づいた研究発表は聞いていて気持ちが良く、非常に勉強になる。
会議の雰囲気もフレンドリーかつお互いのレスペクトに満ちている。

残念ながら日本では、このようなクオリティの研究発表は読んだことも聞いたこともほとんどない。
日本には西洋的な教養を育む環境や、リサーチャーとしての厳格な訓練を与えてくれる教育機関はほぼ皆無だし、
教えてくれる人もいない。
多くの音楽史家/楽器研究家は楽譜を満足に読むことすらおぼつかない。
音楽家で語学や歴史の素養がある人はまれだ。
「研究」と名がついていても、リサーチと客観的な視点に基づかない思いつき、
外国の資料を抜き書きしたような劣化コピー研究が目につく。

日本にも良い学者がいないわけではないだろう。
しかし、そういった人は一種の天才、適正な環境や訓練に恵まれずとも、
自分の力でなんとかなってきたわけだ。
参考にならないし、天才の場合でも独学でバランスの良い学者になるのは難しい。

日本の研究の発表や出版は通常日本語でなされるので、
外国人研究者の目に触れることはまずない。
西洋音楽の場合、当然ながら優れた研究者は外国人であることがほとんど。
つまり日本の研究は(それがどんなに優れていたとしても)、他の優れた研究者とは共有されない。
評価も批判もなされないし、その研究が発展することもないし、どこにも繋がらない。
文字通りのガラパゴスでの研究になってしまう。
これはお互いにとって不幸なことだ。優れた研究は他の研究者の参考になってこそ有益なのだから。

真摯な研究者には是非、外に向けて発表や出版を行ってもらいたいものだ。
このことは歴史や文学など他の分野にも言えることだろうと思う。

学会や国際会議には、これからも積極的に参加していくつもりだ。
この9月に東京の上野学園の撥弦楽器に関してのレクチャー
来年の春にはケンブリッジのギターリサーチ学会での発表がある。
コツコツと良い仕事をしていきたいものだ。

(会議の詳細:http://www.bate.ox.ac.uk/conference2019/


2019年8月20日

週末のコンサートのためにバロックギターの調整中である。
楽器はパリのジャン・ヴォボアン作、1681年作。

主な作業は弦の選別、フレット巻き、ナットの調整、
そして表面板に保護用プラスチック板を張った。

バロックギターではバテンテと呼ばれるかき鳴らし奏法が多様される。
かき鳴らしの主要な場所はネックとローズの中間地点、もっとも倍音豊かに鳴るポイントだ。


激しくかき鳴らすと、爪が表面板に当たり傷をつけることがある。
実際、残されている多くのギターにもかき鳴らし傷がついている。

現代に作られたコピーの場合、木材がしなやかで、へこんだりしても大きく傷つくことはそれほどない。
傷がついてもニスなどで修理はできる。

しかし、作られてから数百年も経ったオリジナルの場合、ニスや木材が硬くなっているので、
傷がつくだけでなく割れるおそれもある。貴重な文化財、こういったことは絶対に避けたい。

なので僕は自分がコンサートやレコーディングで弾くオリジナル楽器には、破損防止用の薄いプラ板を張る。
これについては講習会やレッスンでしばしば質問されるので、ここにやり方を書いておこう。

東急ハンズや美術用品店で薄いプラ板を買ってくる。
透明で薄いものがお勧め。


表面板のアウトラインにそって切り抜く。ほんの少し小さめにしておくのがコツ


両面テープと透明テープで切り抜いたプラ板を貼り付ける。
表面板のスプルースはテープで傷めることがあるので、
テープが触れるのは黒檀、メープル、象牙などにすること。


テープの使用量を最小限にすることは言うまでもない。
プラ板はなるべくピンと張り、たわまないようにする。でないと弦と干渉することがある。


材料を選び丁寧に作業すると、仕上がりも目立たない。
貴重なオリジナル楽器を思い切り弾けるのはやっぱり楽しい(^^♪



2019年3月16日

昨年、オックスフォードのジャーナル「アーリーミュージック」に学術論文を発表してから、アカデミックな仕事が増えてきた。



具体的には: 論文の査読、学術誌への記事、書評の執筆、学会でのプレゼンやレクチャーコンサートなどだ。
いずれも興味深く、何よりも自分の勉強になるのでできるだけ引き受けることにしている。

アーリーミュージック誌の一論文あたりの字数制限は6,000ワード、
日本語にすると15,000字から20,000字くらいだろうか。
ずいぶん短いなと思ったし、事実、草稿では大分オーバーしてしまった。
学者の友人やオクスフォード大学出版局の編集者のアドヴァイスを受け字数内に納めたが、
その課程で、自分の文章の冗長な箇所に気がつかされ、良い勉強になった憶えがある。

そして今、他人の書いた論文の査読を行っていると、無駄な文章が目につくことも多い。
学術論文では、重要事項でも重複して書くべきではないし、注を説明のために安易に使うのも良くない、
もちろん個人的な体験談などは論外。これらをクリアーするだけでも内容は短く、読みやすくなるはずだ。

(↑のような視点で、現行の修士論文、博士論文などを見ると、無駄な文章の多さに驚くことが多い。
同じことをリピート、筆者の考えが行きつ戻りつ逡巡・・・まあ学生は勉強中なのだし、
一定の字数を義務として埋めなければならないので、そうなりがちなのだろう)

そのように考えるとアーリーミュージック誌の「掲載論文は6,000ワード、注は原則として文献のため」は、
学術誌としては当を得た規定であると言える。さすがオックスフォードだ。


同じことは学会などの発表時間にも言える。

音楽関係の国際学会の発表時間は通常20分、質疑応答に10分、計30分が通常だ。

僕がよく行う、実演を含めてのレクチャーコンサートの場合でも35分、質疑応答入れて45分が相場。
短いようだが、よく準備されたプレゼンを聞くと、20分で充分であることがわかる。
内容が充実していて情報が豊富であるために、それ以上は聞き手の処理がおっつかなくなってしまうのである。

(余談だが、日本で簡潔かつ充実した音楽関係のレクチャーを聞いたことはあまりない。
日本の学者で国際学会での発表を行う人は多くはないし、日本語は論理的な発表には向いていないのかもしれない)

昨年、イギリスの楽器学協会「ガルピン・ソサエティ」から書評の依頼があった。

半年後に出版される紀要への執筆で、
対象はクリス・ページの研究書 'The Guitar in Stuart England: A Social and Musical History'(ケンブリッジ大学出版)だ。


ページ博士はケンブリッジ大学の中世文学と音楽の教授。こちらはなにかと教えを受けている身だ。
迷ったが、身に余る光栄と引き受けた。

書評は書籍の紹介で、評者の考えを述べるものではない。
分量も500ワードから1,000ワード程度が多い。

しかし、ガルピン協会の書評は2,000ワード、
オックスフォードの学術論文が6,000ワードであったことを考えるとそれなりの量だ。
念のためにガルピン協会の編集者に問い合わせてみたが、
「以前は1,000ワードだったけど、書評もsubstantial なものにしたくて2,000ワードに設定したんだ」とのこと。

つまりは、ありきたりの紹介や推薦文ではなく、その書籍の内容に深く迫る実体のある書評が求められているわけだ。

当該書籍は一通りは読んでいたが、細かくメモをとりながら読み直すことにする。
300ページ足らずだが、読めば読むほど内容のある本で全てのページに知らないことが出てくる。
(口幅ったいが、17、18世紀のイギリスギター音楽を専門とするこの僕ですらそうなのだ!)

言及されてる一次資料を確認するために大英図書館に日参し、不明なところは音楽史家に質問。
・・・クリス先生に直接聞けないのがイタい。
(書評する人間は、書評が出版されるまで著者にその旨を告げるのはタブーとされている)

たかが書評と言っても、読者は楽器と音楽に造詣の深いガルピン協会員たちだ。
もちろん著者であるクリス・ページ教授も目を通すだろうし、
彼は古いギター音楽とその歴史に関してはこの世で比類なく詳しい人間なのだ。
いい加減な感想など一切書けない。

ともあれ、書評の載ったジャーナルが今日届いた。
自分の文章が活字になるのはどんなときでも嬉しいものだが
今回はそれ以上に、この本を隅々まで読む機会が与えられたことに感謝する思いだ。


ガルピン協会は、この8月にオックスフォードで国際会議を開く。
僕もレクチャーコンサートを行う予定。楽しみだ。

ガルピン協会へのリンク
http://www.galpinsociety.org/


2018年8月

今回の日本滞在でも幾つかの講習会を行っている。
いずれも素敵な受講生に恵まれ、有益かつ楽しい会であった。

こういう催しで最も大事なのは、参加者が音楽の喜びを共有することだと思っている。
古楽器の経験の有無、上手下手に関わらずだ。

音楽とは面白いもので、難しい曲の流暢な演奏が心に響いてこないこともあるし、
初心者がゆっくり弾くフレーズに感銘を受けることもある。

それは、大きな声で喋り続ける人との会話が楽しいとは限らず、
口数の少ない、もしくは口下手な人とでも楽しい時間を共有できるのと似ている。

その意味で、音楽演奏とはその人のありかたそのものだ。

リュートやアーリーギター、トラヴェルソといった古楽器にはモダン楽器のような練習は必要ない。
弾きやすい楽器で弾きやすい曲を演奏するだけで充分に楽しめ、アンサンブルやセッションもできる。
18世紀までの楽器教本には「エチュード」はほぼ全く出てこないが、それは指の練習など必要なかったからだ。

しかし、現代の古楽の形は当時とは大きく違ってしまっている。

一つには楽器のあり方。
現代のリュートやバロックギターの多くには高い張力で弦が張られている。ガット弦を見ることは稀だ。
本来、各コースによって異なっていた張力は均等にされている。
弦高は高く、太いフレットがシングルで巻かれている。
楽器本体は板厚が薄く軽く作られており、神経質で乱暴な発音をする。
音量最優先で作られており、肝心の弾き心地や音色は古楽器というよりモダン楽器に近いものになっていて、
左手は押さえづらく、右手は弾きにくい。

トラヴェルソやリコーダーの場合は、現代的な意味で音程良く、発音がクリアーで鳴りの良い楽器が好まれ、
本来それら木管楽器が持っていたファジーでフレキシブルな特性は失われている。
ダブルホールの「バロック」リコーダーが主流なのはその現れだ。

これらは「現代古楽器」とでも呼ぶべきものだ。
現代の会場で正確に音が出ることを主眼に作られていて、
弾き手自身にはそれほど大きな喜びを与えない楽器たちなのだ。

日本で見る「古楽器」の大半がそういった現代古楽器だし、
オリジナル楽器やそのセッティングに関して、高度かつ公正な知識と経験を持つ指導者は多くはない。
(門下生に「ガット弦の使用を禁止」するリュート教師がいると聞いて心底驚いた。
このリュート教師は生徒から音楽の喜びを奪っていると言っても過言ではないだろう)


もう一つは、古楽には様々なトリビアがつきまとっていることだ。
「バロックピッチ=415」とか「モンテヴェルディにはクオーター・ミーントーン」、「ルネサンスリュートは8コースが標準」、
「サンスに使うギター調弦には低音なし」、「ビウエラはギターよりも高貴」、「リコーダーやガンバは18世紀に滅びた」、
「舞曲は実際に踊れるテンポで弾くべき」などなど、一見もっともらしいが正確ではない迷信、伝説の類いだ。
これらは初心者の参考にはなっても、そう単純なものではないことばかりなのだ。

講習会などで最も困ったな・・・と感じる瞬間は、以上のような事柄を聞きかじった人がとくとくと自慢げに述べ始める時だ。
他の受講生に不正確な知識を与えるだけでなく、「古楽」への敷居を意味なく高くしてしまう。雰囲気も白ける。
出所を聞いても「ダレソレ先生がそういった」とか「Youtubeでそう弾いているのを見た」とかあやふやなものばかりだったりする。

本人は正しいことを喋っているつもりだからなおさら厄介だが、まあそれも無理はない。
日本では一次資料や学術論文など信頼できる文献を読み、
オリジナル楽器を探求している古楽奏者や音楽学者も多くはないのだから。

しかし、僕は自分の講習会をそのような場にしたくない。
当時の音楽や楽器を愛し、当時の人たちが楽しんでいた内容に敬意を持って探求する人たちだけで、
これからも続けて行こうと思っている。経験や演奏レベルは全く問わない。
先に書いたように、いたずらに流暢な演奏よりも、初心者の弾く一音が心に染み入る場合も多いのだから。


2018年1月29日

「オリジナル楽器で遊ぶ会」を開催した。


文字通り17〜19世紀に作られた古いオリジナル楽器を実際に見て、
触って、弾いて、聴いて遊ぶ会である。今回で3回目か4回目。

今回の出展楽器は以下の通り
バロックギター(無銘)、19世紀ギター(ヴィヨーム、ラミー)、
ハープリュート(ライト、レヴィアンなど)、イングリッシュギター(トンプソン)。
トラヴェルソ(カスダー作総象牙、無銘総象牙、ステンズビー派総象牙、ジャンテ1キー、ポッター8キー他)
リコーダー(ガン総象牙、18世紀初頭)、バード・フラジオレット(総象牙)。

レプリカも幾つか、オトテール派のトラヴェルソ(392)、中世アイリッシュハープ(クラルザッハ)、歴史的セッティングのヴィオラ・ダ・マノなど。

参加者が自由に楽器を触る時間と30分ほどの特設コーナーが交互に来るスケジュールを組んだ。
最初のコーナーは「初心者トラヴェルソの会」。
フルートの経験のない/浅い人がトラヴェルソを吹いてみる試み。
先生の的確なアドヴァイスにより、初心者が音を出して行く様子は見てても面白い。
僕自身大変勉強になった。


自由時間の後にはミニ・レクチャー「ハープリュートについて」。
金属弦6コースを持つイングリッシュギターが、ガット7弦のハープギター、12弦のハープリュートを経て、
14弦をもつインペリアル・ハープリュートになっていく様をデモつきで解説、最後にテナーの方とモーツァルトの旋律を一緒に(^_^)。
 

19世紀のオリジナル・ブラギーニャ(ウクレレの先祖)とその忠実なレプリカのご披露。
このHPの親ウェブサイトであるクレーン工房鶴田誠師匠の秀逸なプレゼン。
やはりちゃんとしたレプリカは非常に説得力がある。欲しい・・・


自由時間の後、今度はオリジナルの18世紀バード・フラジオレットとその忠実なレプリカのお披露目。
バード・フラジオレットは小鳥に歌を教えるために用いられた小型の笛で、曲集「小鳥愛好家の楽しみ」はよく知られている。


目下、現存する総象牙のオリジナルを詳細に検分して、グレナディラ、ピンクアイボリー、ローズウッドその他でレプリカを製作中。
もちろんいずれは象牙でも製作する予定。


その他、番外編として18世紀のオリジナルリュートのために作って貰ったカスタム軽量ケースのお披露目。
ロンドンに帰って楽器を入れるのが楽しみだ。


また、ダブルフレットを巻き、弦高とテンションを低く調整したヴィオラ・ダ・マノを使って、
16〜18世紀の撥弦楽器の歴史的なセッティングのお話などもする。
詳しくはここをクリック


その後はミニ・パーティに突入。

今日も楽しい一日だった。  



2017年12月2日

昨年から学術論文を書いている。

これまでに雑誌用の記事やレポートなどは多く書いたことがあるし、
学会や国際会議でのプレゼンも幾つかは行ってきたが、プロフェッショナルなレベルでのアカデミックな論文執筆は初めて。

昨年の4月、ケンブリッジ大学の国際会議で「英国リージェンシー時代の撥弦楽器と音楽」の研究発表をしたが、
それがクリストファー・ペイジ教授の目にとまり、論文にすることを勧められた。
大変名誉なことだし、自分の勉強になるので早速取りかかった。

まずは内容を決め、要旨/アブストラクトを書く。
当初はリージェンシー時代の様々な撥弦楽器、イングリッシュギター、ハープリュート、ハープギターなど全般を論じる事を考えたが、
内容が膨大になりすぎるので、1800年頃の「リュート」に集中することにする。

 


2016年夏にアブストラクトをペイジ教授に見せると気に入ってくれたらしく、オクスフォード大学出版(OUP)に紹介してくれた。
2ヶ月後、OUPからジャーナル「アーリー・ミュージック」誌に掲載の可能性があるので、2017年2月を目処に草稿を送るように案内が来る。

それからは毎日のように大英図書館に通い、また方々の博物館を訪ねてリサーチを行った。
すでにかなり多くの情報は手元にあったが、正式に出版されるとなると、考えられる限りを網羅し、
また何重にもチェックが必要だ。

年内には草稿を書き上げ、数人の博士号を持つ友人たちに読んで貰う。
英語のスペルミスから、論理上の間違いまで様々な指摘を受け、書き直す。
勿論、読む人によって意見はそれぞれ異なるので、最終的な判断は自分が頼りだ。

年明けにはペイジ教授に最終チェックをしてもらい、2月にOUPに提出する。
提出稿には執筆者名やそれをうかがわせる情報はどこにも書いてはいけない。
その後、数ヶ月かけて、OUPでは外部の専門家による査読が行われるが、ひいきや忖度がないようにとの配慮だ。

査読後、OUPからは以下の様なランク付けで結果が送られてくることになっている。
*合格:そのまま掲載
*合格:少しの書き直し必要
*合格:大幅な書き直し必要
*不合格

噂では「合格:そのまま掲載」は非常に稀で、合格の場合でもほとんどの場合書き直しはさせられるようだ。

同時期にやはりOUPに論文を提出した友人の場合、2ヶ月ほどで「合格:少しの書き直し」の結果が送られてきたが、
その書き直し箇所は300カ所ほどあったそうで、査読の厳しさがよく分かる。

僕にはOUPからの連絡は提出後4ヶ月経っても来ず半ば諦めていたところ、7月の半ばに
「合格:少しの書き直し必要」の通知が送られてきた。
嬉しかったが、査読者と編集部からのコメントを読んでちょっと焦る。

査読者は二人居り、一人は幾つかの小さな指摘にとどまっている。
もう一人は好意的に読んでいてくれているのだが、二章ある本論の一章を省略し、残る一章をより詳細に書き直すことを勧めている。
自分としては省略はしたくないし、再提出の期限は2週間後。本論の半分を書き直していては間に合わせるのも大変だ。

クリス・ペイジ教授に相談したところ、省略は惜しいし大幅に変更の必要はないという意見なので、
それを参考に書き直しのプランを立てて編集部に送る。
同時に再提出の期限を数週間延ばしてくれるようにお願いする。

幸い編集部からは承諾が得られたので、夏は書き直しに邁進するが、日本に滞在中で手元にない資料もあり、
8月の中旬にロンドンに戻ってから再び大英図書館通い。

再び数人の友人たちに下読みをお願いして、9月に草稿をOUPに再提出。
編集部からの指摘に応えたり、何回かの校正を経て、数週間後に「全てOK」の返事が来たときはほっとした。

しかし、これで終わりではない。この後は論文中に使う図版や楽譜などの著作権をクリアーしないといけない。
これは非常に厳しくて、全ての著作者(博物館、図書館、個人、撮影者など)から許可証を得てOUPに提出しないといけない。
時間とお金もかかる。
例えば、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所有するエッチングの図版を論文に使う場合、
博物館にお伺いメイルを出して返信が得られるのが早くて3週間後、実際に許可証を発行してもらえるのは数ヶ月後だ。
許可をもらえない場合は論文そのものの書き直しも必要になる。
費用としては小さな図版一枚使うだけでも数万円はかかる・・・なかなか大変だ。
このことについてはまた別に書きたい。


今回、論文を書くに当たって自分自身気を付けたのは以下の様な点だ。

*必ず一次資料に当たること。
今回、論じた楽器と資料は全てオリジナルを自分自身で検分した。
たとえインターネットでオリジナルが閲覧できる場合でも、かならず手に取って観察することが大切。

*やむを得ず二次資料を使用する場合は、学術論文や研究書など信頼できるものにすること。
その場合でもかならず自分で裏をとる。特に発表後15年以上経っているものには注意する。
正直な感想だが、学術論文や研究書にも間違いはかなり多い、

*現代の目線で資料を「解釈」しないこと。
あくまでも当時それらの楽器がどのように使われ、音楽がどのように享受されたかを資料からくみ取る。
最近流行の「社会学的」アプローチは採らない。

*単なるトピックや思いつきの羅列ではなくて、その論文が他の真摯な研究者、後世に役立つものになること。

*自分が本当にはよく知らないことは書かない。
例えば、音楽教育を受けていない学者や評論家が音楽に関して意見を書くことや、
原典を原語で読めない人が翻訳を頼りにしたり、その内容を論じることはナンセンスだなと常々感じている。
・・・・・・・・・・・

拙論文: Re-discovering the Regency Lute はオクスフォード大学出版アーリー・ミュジック誌2018年2月号に掲載されます。



2017年9月20日


この夏に日本に短期間滞在した。

主なイヴェントは二つ。古典舞踏研究会の夏期講習会、アーリーギターのコンフェランスだ。

古典舞踏研究会の講習会を教えるのは今年で三年目。
今年のお題はルネサンス・クラスがカローゾの「優しいラウラ」、
バロッククラスが「メディチのロンド」だ。
それら以外にも、舞踏会用にパヴァーナ、コントルダンス、キァランツァーナなどを練習した。

この講習会の音楽クラスは毎年、いろんな楽器が集まるし、受講生の音楽的経験もまちまちだが、
それでもすぐにアンサンブルできるところが古い音楽の良いところだ。
今年も10人近くの参加者と楽しくセッションした。
ゲストには芸大古楽科から声楽とヴァイオリンに来て貰ったが、大変よくやってもらって感謝である。


この講習会では2日掛けてダンスクラスと音楽クラスが別々に練習し、
最終日の夜に舞踏会(発表会)を行うことになっている。
なので、ともすれば講習自体が発表目的になりがちなのだが、
僕はできるだけそうならないようにしたいと思っている。

この時代の音楽やダンスで残されているものは、ほぼ全て愛好家のために作られたものだ。
当時の愛好家も練習はしているが、発表を最終目的とはしておらず、
自分自身の楽しみ、その音楽や踊りを知性的に理解することが最も大きな比重を占めていたと思われる。

それは、スポーツの様に鍛錬、単純な反復練習を重ねて身体に馴染ませる現代的な練習とは大きく違う。

決まったやり方を何度も繰り返して間違いなく演奏出来るようにするのではなく、
周囲に気を配り、お互いを補う音を出し、一期一会で音楽を皆で楽しむのが大切だ。
当然ながら演奏はその度に変わる。

読譜の正確さ、良く動く指、絶対音感や絶対テンポ感はあまり役に立たない。
楽譜からその和声進行や構成をざくっと読み取る能力、周囲の音に反応できるミュージシャンシップ、
言ってみればフレキシブルであることが必要だ。

決して難しいことではない。
古い音楽では和声や調性や大抵簡素だし、楽器の演奏技巧も複雑ではない。
ある程度楽譜が読めて、しばらく楽器を練習したことのある人なら対応できる。
自分の手に余ることはやらなければ良いし、他の人にカバーしてもらうのも良い。
アンサンブルはそれで成立し、皆で楽しめるものなのだ。




2017年7月17日

現代ギター誌「7月号」の拙稿「ジェイン・オースティン時代のギター音楽」の注釈です。
誌面の都合でカットされていますが、ここに補遺として載せておきますので、参考にしてください。






2017年7月15日


6月にフュッセンのリュートフェスティヴァルに参加した際、リュート奏者アンソニー・ベイルズと会った。
彼とは面識はあったが、親しく話をするのは今回が初めて。
学生時代から憧れのリュート奏者だったので、大変嬉しかった。

彼は70年台から活躍、ソロ録音などは決して多くない(12枚)が、
いずれも内容や使用楽器など時間をかけて考え抜かれたものばかりだ。

その後、7月にバーゼルに行く機会があり、トニー・ベイルズの自宅を訪ねた。
彼の所有するオリジナル楽器を拝見し、様々なお話も伺った。
いずれ日本の音楽誌にインタビュー記事が載ると思うが、ここに覚え書き程度に書いておきたい。

竹内(以下T):先日のフュッセンのリュート・フェスティヴァルであなたの素晴らしいバッハの演奏
BVW1003:原曲は無伴奏ヴァイオリン作品)を聴きましたが、バッハの録音はいかがですか?

ベイルズ氏(以下B):予定はありません。正直言ってバッハの作品はリュート的とは思えませんし・・・
1980年台にバッハのリュートでの録音が流行った際にレコード会社からオファーもありましたが、断りました。
リュートの本当の良さを提供できない気がしたので。


T:録音には1618世紀に作られた古いリュートも使っていますね。

B:オリジナル楽器は数本所有しており、録音はできるだけそれらで行なってきました。
こういった古い楽器は自分が所有しているのではなく、文化財として一時預かっているだけだと思っています。

お金を惜しまずに良い楽器を持つことは本当に必要だと思います。
良い楽器は良い音楽にダイレクトにつながりますからね。
僕はこれまで
50本以上の楽器を入手したと思うけど、安かろう悪かろうの楽器を買ったことは一度もありません。

16世紀に作られ、17世紀に改修されたオリジナルリュートを弾くベイルズ氏

T:これからの計画について教えてください。

B:二つほど論文を書きたいと思っています。ひとつは「フレンチ・リュートについて」
17世紀フランスのリュート音楽には昔からたいそう興味を持っていますが、僕が始めた70年台には理解者はほとんどおらず、
「あんなものは面白くない」との評価がリュート関係者においてすら一般的でした。だいぶマシになってきましたね(笑)。

もう一つは「オリジナル・リュートの音色の秘密について」:僕らが知っているように古い楽器と現代のコピーは全然違う鳴り方をします。
古い楽器の鳴り方はピュアな上、音色は非常にカラフルです。
それが故に
1619世紀のリュート/ギター奏者は古い楽器を珍重し、探し出して改修して弾いていたのです。
現代の奏者、製作家、聴衆もこれら古い楽器の音色の良さを理解し、それに倣って欲しいと切実に思います。

T:確かに古い楽器とコピー楽器は全然違う鳴り方ですよね。

B:そうなのです。だから、僕はオリジナル・リュートをみんなに弾いてみせて
「ほら!ホントはこの音だよ」と言いたいのです。でもそれは大抵の場合、反撥されますけど。


T:現代の奏者や製作家は「自分たちの楽器のどこが悪い!」という反応になりがちですね。
オリジナルの楽器の鳴り方は、全ての作り手と弾き手が先入観を廃して謙虚に学ぶべきだと思うのですが。
昨今ではコピーしか知らない「専門家」も居ますよね。


B:僕のオリジナル楽器を使ったCDの批評に「演奏は素晴らしいが楽器が良くない」と書かれたことがありました。
その批評家はオリジナルのリュートの音などそれまでにほとんど聞いたことがなかった筈なのに・・・驚きました。


T:よくあることです。現代のコピー楽器の音が本来の音だと勘違いしてしまったのですね。

B:多くの人に古い本当のリュートの音を知って欲しいものです。

T:最後に若い音楽家、楽器製作家、愛好家にアドヴァイスを。

B:何よりも多くの経験をすることです。多くの本を読み、多くの人と話をし、多くの音を聴くことです。
たとえ自分と立場や意見が違っても、かならずそこには有益なことがあります。それはあなたを成長させます。
僕はこの年になってもそれを感じますね(笑)

ベイルズ氏の所有する18世紀のオリジナルギターを弾く竹内

2017年5月29日

今年はイギリスの女流作家ジェイン・オースティン没後200年に当たる。


代表作は「ノースアンガーアビー」「説き伏せられて」「分別と多感」など。

熱心な音楽愛好家であったオースティンの作品には音楽や舞踏会の記述も多い。
オースティン家の音楽帖も伝えられいる。

ジェイン・オースティンは毎朝早く起きてピアノを数時間弾き、楽譜を筆写した。
お気に入りの作曲家はプレイエル。
美しい声で歌った。スコットランドの民謡が好きだった。
人前で弾くことはなかったが、ダンスの伴奏は好んでいた。好きな舞曲はコテヨン。
舞踏会では踊ることよりもむしろ人間を観察していた。

僕は今年はオースティン関係のコンサートを幾つか行う。(ロンドン、6月23日/ 東京、11月2日)
また現代ギター誌7月号に記事「オースティン時代のギター音楽」を書いた。
ここに短くまとめてみる。

オースティンの時代のイギリスでは各種のギター、リュートとその音楽が花開いていた。
楽器は、5弦および6弦のスパニッシュギター、金属弦のイングリッシュギター、リバイバルされたリュート、
ハープとギターのハイブリッドであるハープギター、ハープリュート、アポロリラなどなど。
教本や楽譜も多く出版されている。


楽器の弦数、調弦、音色などは異なるが、多くの場合レパートリーは共有していた。
楽譜の多くは簡素に書かれているが、奏者がそれぞれの技量により和声や低音などを付け加えて演奏するのが当たり前だったからだ。


これらの楽器のためのオリジナル作品としては、シュトラウベ、ジェミニアーニ、メルキ、ヴォイヤーによるものがある。
他、当時人気のあった作曲家、ハイドン、ヘンデル、プレイエルなどの編曲も多い。
楽曲の種類としては、ソナタ、舞曲、民謡の編曲、変奏曲などだ。

変奏曲は「作品」というよりも、奏者が様々なアドリブの技法を学ぶための教材的な性格をもつものが多い。

アンサンブル作品も少なくない。多くはヴァイオリンやピアノ伴奏のギター/リュート曲。
技巧的にはそれほど難しくなく、初見もしくは多少の練習で楽しめる作品が多い。
当時、音楽の合奏はメンバーが演奏を完成させるために努力するのではなく、
作品とお互いのコミュニケーションを楽しむために行われていた。


沢山のリュート/ギター歌曲も書かれている。
当時、一世を風靡した女優、歌手ジョーダン夫人はリュートの弾き語りを舞台で披露して喝采を浴びたが、
彼女の作品も多く出版されている。


ジョーダン夫人がそうであったように、これらの歌曲は通常弾き語りされた。
当時は歌を嗜まない音楽愛好家はむしろ珍しかっただろう。

歌詞はイタリア語とフランス語のものも少数あるがほとんどは英語。
モーツアルトのアリアなども英語の歌詞が付けられて出版された。
当時、自分が堪能でない言語で歌うことはなかったと思われる。


つまりこの時代の音楽愛好家にとって重要だったのは:

楽曲は様々な解釈が可能。
アンサンブルでは奏者間のコミュニケーションが大切。
一つだけではなく複数の楽器や歌を嗜む。
歌詞や内容が分からない曲は演奏しない。
人に聞かせたり技巧の修練が目的ではなく、自分自身が理解し楽しむ。

ジェイン・オースティン時代のギター音楽
6月23日:ロンドン・Daiwa Anglo Japanese House
10月?日:京都(TBA)
11月2日:東京・近江楽堂

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